第9話 なぎさの事情。

「ただいまー」

 なつみさんのスタジオから駅を3つ挟んだ、下町情緒の残る街並みのはずれにある、お世辞にも綺麗とは言えないというか……正直に言えばボロボロにボロい二階建てのアパートに私は帰宅する。

 セキュリティなんてあって無いような簡単な鍵を開けて部屋へ入る。

 なつみさんのスタジオ、カードキーでピピッて鍵開くのアレ格好良かったし便利で良いなぁ……まあ、泥棒も盗むものに困るくらいのこの家には必要ないのだけど。

 ただいまーとは言ってみたが、中は電気がついてない。

 時計は夜の10時過ぎ。

 平日の放課後に撮影を始めたのだし、どうしてもこのくらいの時間になってしまう。

 弟の真文(まふみ)はもう寝ているんだろうな。

 起こさないように、そっと靴を脱いで荷物を所定の位置へ。

 入るとすぐに簡素なキッチンがあり、その奥に六畳の和室、さらにその奥に4.5畳の和室というちょっと縦長な2Kに家族三人で住んでいる。

 ……まあ、今は私と弟の二人だけなんだけど。

 母が病気で入院してからは、私が家を支えなければならず、日々のバイトに追われていた。

 念のために入っていた簡易保険のおかげで入院費は何とかなったけれど、それプラス日々の暮らしを賄えるほどの金額ではなかったのです。

 でも今は週に何度かまとめて動画を撮影すればバイトするよりだいぶ多い金額が貰えるので、そういう意味では本当に、ほんっっっっっとうになつみさんには感謝してる。

 ……まあ、男装だけはどうしてもまだ慣れないところではあるんだけど……そうも言ってられないもんね。

「ふぅ……疲れた……」

 手洗いうがいを済ませて、ペットボトルに入れて冷蔵庫で冷やしておいた水道水をコップに注ぎ、それを持って居間……のように使っている6畳の部屋へ。

 部屋の中心には、暖かい時期は布団を外してあるコタツ机が置いてあり、以前はここで家族そろって食事をしていた。

 あとは一応中古の安物だけどテレビとレコーダー、大きめのタンスとちょっとした棚。

 それと物置のふすまに、奥の部屋へ繋がる引き戸があるだけの部屋だ。

 奥は私たち姉弟の寝室兼子供部屋で、母は寝る時に机を端に寄せて物置から布団を出して、この居間で寝ていた。

 正直狭いけど……それでも思い出の詰まった我が家だ。大事にしたい。

 ……いやまあ、宝くじとか当たって凄い大金が手に入ったらすぐ引っ越すけどね?不便だし。

 コタツの周りに一つだけおいてある座椅子に座って、わりと倒してある背もたれに体を預けると、ようやく今日が終わった実感に包まれる。

 普段はこの座椅子は母が使っているものだけど……以前から母が家に居ない時には座っちゃってた。座り心地良いし。

 今は自由に好きなだけ座れるけど……そうなっちゃうと、それはそれで寂しい。

 居ない隙にこっそり座っちゃうあの背徳感がまた味わえると良いな……アレが、私たちの日常だったんだから。

 座椅子に体重を預けて、たまに水を飲みながら小さな音でテレビを見ていると、不意にお腹が空いていることに気付く。

 くぅ、グルメ特集なんかするからだぞテレビめ!

 最近の若い子はテレビを見ない、なんて言われるけど私はよく見る。

 スマホも一応持ってるけど、格安プランだしギガには限りがあるのだ。そんなにずっと見てられない。

 それでも、さすがにSNSとか動画サイトとかをチェックしないというのは女子高生としても配信者の立場としても許されないので、フリーWi-Fiのある店には心から感謝する日々です。

 普段は画質を抑えてる動画が高画質で見られた時の喜び……!

 って、そんなこと言ってる場合じゃない。

 ご飯を食べよう。そう言えば夕食まだだった。

 ……動画の企画で食べ物が出る時は助かるんだけどなぁ……毎回食べ物の企画入れてください、とはさすがに恥ずかしくて言えない。

 冷蔵庫を漁っていると、後ろから物音がした。

 一応、朝に晩御飯は二人分作っておいたけど、この時間になってがっつり食べるのも太りそうよね……軽くお茶漬けとかにしようかな。

 茶碗に軽くご飯をよそって、梅干しを一つと、塩昆布を少々。ここにお茶をかけるだけで御馳走が産まれる幸せ。

「……ねー、帰って来たのか?おかえり……」

 食べようと手を合わせて頂きますした瞬間、弟が眠そうに目をこすりながら様子を見に来たようだ。

 弟の真文は、私の事を「ねー」と呼ぶ。「さん」とか「ちゃん」とか敬称を付けるのが面倒らしい。

 まあでも可愛いから良し。

「あっ、起しちゃった?うるさかったかな、ごめんね」

「ん?いや、別に平気だけどあんま寝てなかったし」

 真文はちょっとツンデレだ。

「そう?あっ、そういえば夕飯の後片づけありがとうね、助かるよ」

 流し台の水切りラックには、ちゃんと食器が洗って立てかけてある。

 疲れて帰って来た時にやることが一つでも減ってると本当にありがたい。

「別に……オレが食べたんだからオレが片付けるのとか普通だし」

 目を逸らしてふんっ、と鼻を鳴らしながらそう呟く真文。

 よく出来た弟……!可愛い!!

 真文はまだ10才で、6つも年齢が離れているので素直に可愛い。

 外見的には私をそのまま幼くしたようで、私がそもそも昔から男子に間違えられていたというのもあるけど、だいぶ似ていると思う。

 ただ、眉毛はだいぶ太い。

 個人的にはもうちょっと剃って細眉にした方が最近の流行じゃない?とか思うのだけど、本人的にはその眉毛の太さに男らしさを感じて気に入っているようなのだ。

 まあでも、それもまた微笑ましい。

 とにかく可愛い弟なのです。

「ねーさ、ちょっと質問あるんだけど……」

「ん?どした?こんな時間に。ご飯食べながらでも良い?ねーおなか空いちゃってさ」

 なんだろ、宿題とか教えて欲しいのかな。

「最近さ、帰り遅いこと多くない?」

 うっ、それは……。

「そう、かな?ちょっとそうかも。ごめんね、バイトがあるから」

 寂しい思いをさせているかな、という反省はあるのだけど……働かないと暮らしていけないので許してほしい。

「いやさ、バイトで遅くなるのは別にいいっていうか……働いて貰ってありがとうっていうか、ごめんっていうか……そういう、その、アレなんだけど」

 この子ほんと良い子!自慢の弟です!!

「でもさ、ねー……」

 真文は私の顔をじーっと見て、真面目な顔で、覚悟を決めたように質問を吐き出した。


「ねーは、何のバイトしてるの?」


 ―――――ついにそれ聞かれたか……!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る