009 アルカディアの世界へ


 放課後。

 悠斗、滝川、春奈の三人はVRルームに向かった。

 部屋の中には、ぎっしりとVR筐体きょうたいが並んでいた。

 VR筐体は二段ベットのように、上下に重なってスペースを節約している。


 筐体といっても、ふたと鍵付きの個室ベットにVR用ヘッドギアが繋がっているだけの簡単なものだ。

 VRをするのは、本来ならヘッドギアだけあれば十分なのだが、それだと色々と問題が起きてしまった。


 VRをしているプレイヤーは、寝ている状態と同じになる。

 年頃の異性が無防備に寝ていると、イタズラをする不埒者ふらちものがでてしまうのだ。

「生徒がイタズラしないように先生が見張っておこう」

 と言った先生がイタズラをしていたという珍事件も発生。

 その結果、ふたと鍵付きの個室ベットが並べられたという訳だ。


 始めは男女で部屋を分けていたが、同性同士が固まると今度は悪ふざけを始めてしまう。

 それなら男女兼用でオープンにして、人の出入りを多くすれば、イタズラや悪ふざけを防げるということで現在に至る。


 女子は二段目を使用することが比較的多い。

 これはイタズラされずらいという防犯意識と、寝ている姿を覗かれにくいという羞恥心しゅうちしんからだ。


 男子も二段目を使用することが多い。

 表向きは女子と同じ理由を述べるが、本音は違う。

 男子が使った後のベットよりも、女子が使った後のベットの方が良いからだ。

 特に人気のある女子の使用後は、男子コミュニティの間で、高値で裏取引されていたりする。


 裏取引は男子だけでなく、もちろん女子の間でもある。

 人気男子の使用後の取り合いは、むしろ男子より激しい。

 その理由は女性の嗅覚が男性より鋭敏なためである。

 自分と異性の遺伝子的な距離を嗅ぎ分けることができる。

 距離が近ければ〝臭く〟感じ。遠ければ〝良い匂い〟に感じる。


 遺伝子が近いと劣等遺伝子が顕在化しやすく。

 障害を持った子供が生まれるリスクが高まる。

 近親交配が良くないと言われる所以ゆえんである。


 年頃の娘が自分の父を臭いと言うのは、近親交配を避けるための防衛本能。

 女性は、自分と遺伝子的に遠い異性を本能的に求める。

 つまり男女ともに、二段目の方が人気がある。

 なので、VR筐体は二段目から基本的に埋まっていく。



 三人は、それぞれ空いているVR筐体に入った。

 滝川は一番手前のVR筐体に一度入った後、すぐに出る。

 こっそりと、春奈がどのVR筐体に入ったかチェックした後、元の筐体に戻った。


 悠斗は滝川の姿を見て、苦笑いを浮かべた。

 ヘッドギアをかぶり、準備を始めたところで春奈がトコトコとやってきた。


「ん、どうしたの?」

「八神くん、私と場所交換してくれない? おねがい」

「別にいいけど……」


 どうして? と悠斗は理由を視線で問う。


「ごめんね。別に機械が壊れたとかじゃないの。

 ……ええと、自意識過剰って思われたら嫌なんだけど。

 私が使った場所をチェックしている人がいるって噂で、それで……」


「……ああ、そうなんだ。それはなんだか怖いね。いいよ」


 先ほどの滝川の行動を悠斗は思い出していた。

 美人で人気があると良いことだけじゃなく。別の面倒ごとにも巻き込まれて大変だなと、春奈を少し哀れに思った。


「ありがとう、八神くん」

「それじゃ、あっちの世界で」


 悠斗は春奈と場所を交換して、筐体に入りヘッドギアをかぶった。

 春奈が、かぶったすぐ後なので、少しだけシャンプーの匂いが残っていた。

 筐体のふたを閉じて内鍵をかけ、ベットに横になり目を閉じる。


 しばらくして、メニュー画面が表示された。

 登録されているVRタイトルの中から『ヴァルキュリー・アルカディア・ミラージュ』を選択する。

 脳波認証で自分のアカウントにログイン。

 目を開けると、そこは一面の草原世界だった。

 風が頬をなで、日差しがあたたかい。

 悠斗の意識は、トウヤの体に乗り移っていた。


「……あれ? いない」


 目の前にいるだろうと思っていた少女――シトリーの姿がなかった。

 きっと近くを散歩しているのだろうと思い、辺りを探すことにする。


 少し歩くと少女の声らしきものが、かすかに聞こえた。

 背の高い草が視界を遮っているので、姿は見えない。

 他のプレイヤーでも見つけて、話でもしているのだろう。

 もし魔物にでも遭遇していたら危なかったが、大丈夫そうだとトウヤは一安心する。


「なんだか、楽しそうだな」


 少女の楽しげな声が、だんだんと近づく。

 その笑い声につられて、トウヤにも薄い笑みが浮かんだ。

 草を掻き分け、トウヤは声を掛ける。


「シト――」


 言葉が途切れる。

 トウヤの背筋に悪寒が走った。


 目の前にはホーンラビットの大群。

 何十匹という魔物の群れが、そこにはいた。


 個々のレベルは低いが、数が多いのでトウヤでも戦い方を間違えばやられる。

 戦闘経験のないシトリーなら、なおさら助からない。

 楽しげな声だと思った少女の声は、まさかの断末魔の声だった。


「…………」


 トウヤは無言で、剣を抜く。

 シトリーがプレイヤーならば、死んでもまた生き返ることができるので問題ない。

 しかし、NPCの場合、死んだら終わりだ。生き返ることはない。


 せめて、少女のなきがらだけでも、埋葬してやろう。

 近くにいたホーンラビットがトウヤの殺意に気付き、戦闘態勢をとった。


 トウヤが剣を振ろうとした瞬間、


「――待って!」


 少女の声が二つの殺意を止めた。


 トウヤは自分の耳を疑う。シトリーの声が聞こえるはずがない。

 シトリーは魔物の群れに襲われ、命を落としたのだから。

 幻聴か? そう思ったとき、再び少女の声が聞こえる。


「そこのふたりー、ケンカはダメですよ!」


 まるで子供をしかる母親のように、シトリーの声がはっきりと聞こえた。


「シ、シトリー! 生きているのか?」

「え? はい、ここにいますよー。あはは、くすぐったいですよ」


 ホーンラビットたちの中心に、手を振るシトリーの姿が見えた。

 シトリーはホーンラビットたちに懐かれて、笑っていた。


「…………」


 まさかの出来事にトウヤは言葉を失う。

 魔物とたわむれて、楽しく笑う少女。

 少女の姿は、どこか懐かしさを感じさせた。


「お待たせしました。もう時間なんですね?」


 シトリーは魔物の群れを掻き分けて、トウヤの前にやってきた。

 魔物たちは遊び足りないとばかり、シトリーの足元に体をこすり付けている。


「ああ、そうだけど……」

「あれ、どうかしました?」


 言葉を詰まらせるトウヤに、シトリーは疑問を投げかけた。


「シトリー、君は何者だ? 魔物と仲良くなれるなんて……」

「私は生まれつき、魔物と仲良くなるのが、得意なんです」

「そうか。調教師テイマーの才能があるんだね。魔物に襲われていると思って、焦ったよ」

「ごめんなさい。魔物に近づくのは危ないって注意されていたのに、約束を守らなくて……」

「いや、君に調教師テイマーの才能があるって分かっていたら、そんな注意をしなかった」

「そう言ってもらえて、良かったです」


 シトリーは、ほっと胸を撫で下ろした。


「でも、一つだけ忠告させてくれ。この草原の魔物はレベルが低いから、仲良く出来たけど。

 もしレベルが高い魔物と出会ったら、仲良くできない可能性もある。

 そのときは命の危険さえある。ちゃんと見極めるようにしたほうが良い」


「わかりました。次からは気をつけます」


 シトリーは頷くと話題を変える。


「あの、なんだかトウヤさんの雰囲気が前と違う感じがします」


「今はVRで、意識がこの体に乗り移ってる。

 前はARでカメラマーカー。俺の背中にあった四角い箱から、この体を操作していた。

 だから、動作やしゃべりかたが全然違う」


「そういえば、四角い箱がないですね。私は今のトウヤさんの方が好きです」


「それは良かった。前の方が良いって言われたら、複雑な気分になってたよ」


 トウヤはほっとして、笑顔を見せた。


「今のトウヤさんの方が、表情がころころ変わって楽しいです。前のトウヤさんは無表情で、ちょっと怖かったです」

「ARは感情表現の操作が難しいから、基本的に無表情だね」

「なるほど、プレイヤーには二種類あるんですね。エーアールは無表情で背中に箱がある、ブイアールは表情があると」

「うん、そんな感じ。そろそろ第2世界に行こうか」


 シトリーは頷くと、魔物たちに別れを告げる。

 魔物たちは名残惜しそうに、少し離れた場所で二人を見つめていた。


「手をだして」

「はい」


 トウヤはシトリーの手を握った。


虹の橋ビフレスト……第2世界」


 トウヤを中心に虹色の魔方陣が展開される。

 魔方陣からあふれ出す光に、二人は包まれた。



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