第6話 涙

 遊歩道の紅葉の下を並んで歩いていたら、夜美が突然、振り返り言った。

「―――なによ?」

「なにが?」

「なに、ニヤニヤ笑ってずっとわたしを見ているのよ? 何か変?」

「変なところはないよ。綺麗だよ。こうして歩けるのが嬉しいんだ。見惚れているんだよ」

「―――なっ?」

 夜美は顔を朱に染める。

「わたし、貴方のそう言う所、苦手だわ……」

「傷つくなぁ。女性は異性に見られて美しくなるものだよ」

「わたしは美しさなんかいらない。異性は総じて苦手なのよ」

「じゃあ、僕の視線には慣れてもらわないと。なにしろ、クリスマスまでに君の絵を仕上げるのだから……」

「努力するわ……」

 夜美は固い声でそう答えると俯いた。

 視線を避ける為だろうか? 夜美は遊歩道を僕の一歩先を進んだ。僕は夜美のヒップからうなじまでのラインに見入りながら、遊歩道を上る。丁度、遊歩道の横を流れる渓流を遡る形になる。渓流は時にせせらぎに時に滝へと変化する。七段の奇形の滝を登り切った所で夜美は足を止めた。

「ここよ。この下に名物の茶屋があるわ」

 後を歩く僕には少し前から、藁葺き屋根のてっぺんが見えていた。遊歩道の下にあるアルゴには珍しい和風家屋に興味が惹かれていた。茶屋と聞いて得心がいった。

「なるほど」

 と答えて、夜美の前を横切り茶屋へ下りる階段へ飛び移り、振り返って夜美に手を伸ばした。

「じゃ、行こうか?」

 夜美は呆気に取られる顔をしたが、すぐに笑みを返し、僕の手を取ろうとして固まった。

 表情を失った夜美に、「どうしたの? 行かないの?」と尋ねると、夜美は伸ばした自分の腕に唖然として見入っていたが、僕の声に我に返り、伸ばした腕を凄い勢いで引っ込め、抱きかかえる様にした。

「なにをする気?」

 詰問口調で夜美は言う。

 僕は訳が分からず、間の抜けた声で「いや、手を引こうと思ったんだが……」と答えた。

 夜美は怯えた様に後ずさる。

「なぜ、手を繋がないといけないの?」

 声が震えている。

「いや、手を引いた方が安全だろ?」

「いや、無理。無理だから……。わたし男性アレルギーだから……」

「……そう。そりゃ、悪かった。じゃ、下りようか?」

 突っ込みたい所はあった。だが、僕は伸ばした手を引っ込め、何事も無かった様に誘う。夜美は「―――うん」と頷いて僕の後を下りて来た。しおらしい態度だった。

 正直、男性アレルギーのくだりは問い詰めたい所だったが、それをすると、夜美が二度と会ってくれない予感がして、訊けなかった。

 茶屋は古い日本の民家を再現したものだった。『お休みどころ 猫っ子』と看板が出ている。夜美はこの茶屋の常連で、顔も身分も知られていた。作務衣を着た猫娘の案内で奥の座敷に通された。客の数もまばらだが、夜美の後ろを歩く僕に客と店員の視線が集まる。静かだった店内にざわめきが生まれ、店の厨房からは押し殺した嬌声が聞こえる。

 落ち着かない僕の様子に、夜美が謝る。

「ごめんなさい。わたしの所為だわ……」

「このざわめきが? なぜ?」

「わたしが異性を連れているのが、皆、信じられないの。わたしの男嫌いは有名だから……」

 そう語る夜美の表情は寂しげだった。

 僕たちは抹茶を啜り、栗饅頭で小腹を満たした。その間、僕たちは無言だった。遊歩道の帰り道、夜美はぽつりぽつりと語った。

「わたしは言い寄る男を片っ端からはね除けて来たのよ。それでも力尽くでわたしをものにしようとした男もいたわ。わたしはそいつらを斬り殺したわ。知ってる? アルゴでの殺しはリアルでの殺しと変わらないの。五感が完全に再現されると言うことは、腕を斬り落とされたら、その痛みもリアルに感じるの。だから、殺されたら、その恐怖も痛みも感じるのよ。その意味でわたしは人間辞めていると言えるわね」

 僕にはかけるべき言葉が無かった。暗に夜美が僕に忠告しているのは分かった。僕が無言でいると、夜美は下から僕の顔を覗き込み、言った。

「わたしのこと、怖くなった?」

「―――いや。それも君の魅力なのだと思う。それに君になら、殺されても本望だね」

 と、唐突に夜美は僕の右手を取った。次の瞬間、僕は一本背負いで石畳の道にしたたかに打ち付けられていた。全身に痺れるような痛みが走り、肺の空気が全部抜けて、呼吸困難になった。むせこみ伏したままの僕に夜美は馬乗りになり、短刀を僕の首筋に突きつけた。

「どう? 怖いでしょ? 苦しいでしょ? この状況で同じ台詞が言えるの?」

 答えようとしても、むせこみ、言葉が出ない。僕は仕方無く真摯に夜美を見つめて、微笑んだ。

 夜美は驚愕に目を大きく丸く見開き、たじろいだ。

「なぜ、そんな瞳をしているの? なぜ、笑えるの? 怖くないの?」

 僕は僕の首筋に短刀を押しつける夜美の手首に優しく触れた。短刀がころりと地に落ちた。僕の呼吸が整ってきた。

「怖がっていたのは、君だ。ずっと怯えていたんだね。その十分の一でも僕に背負わせてくれたら嬉しい」

 夜美は力を無くし、上半身を僕の胸に倒れ込ませた。そして夜美は泣いた。声を殺して静かに泣き続けた。その間、僕は夜美の黒髪を撫で続けた。


 夜美は半時程泣き続けた。泣き止むと静かに立ち上がった。僕に背を向け、着物の乱れを直している。

「今、顔をみないで」

 夜美はそう言った。

 僕は勇気を出して、夜美の手を握った。夜美は逆らわなかった。

「貴方は不思議な男。最初からわたしの男性アレルギーが出なかった」

「そう……」

「天性のプレイボーイなのかとも思ったわ。でも、貴方の瞳には邪念が無かった。貴方、本当に男なの?」

「僕は男だよ。童貞野郎だから淫らな妄想ばかりしているんだ。でも、君は特別なんだ。憧れていた。君の喜ぶ顔が見たかった。だから、君が苦しんでいるんなら、助けになりたい。武技では適いそうにないから、精神的な支えになりたい。そう真摯に思ってる」

 その言葉に夜美は僕の手を握り返して来た。

「わたし、面倒くさい女だよ」

「うん」

「裏切ったら七代祟るよ」

「うん」

「貴方、馬鹿ね」

「うん」

 僕たちは見つめ合い、クスクスと笑い合った。

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