アルゴ・ホワイトクリスマス

桐生 慎

第1話 アルゴへ


 朝、実家の母から電話があった。

 誕生日を祝う言葉を聞いて、今日が自分の誕生日であることに気づいた。

 母は「ちゃんと自炊をしているか? 野菜を取っているか? 睡眠は足りているか?」と矢継ぎ早に尋ねて来る。適当にあしらって、電話を切った。その時、ベランダの窓から駅前のロータリーが見えた。ロータリーの中心に立つ杉の木がクリスマス仕様に飾られているのが見えた。完徹ですっきりしない心の襞から黒い感情が生まれた。

「……リア充、爆発しろ」

 声に出すと益々、心が黒く染まった。僕はふて寝を決め込むことに決め、やりかけの作業を放り出したまま、布団にくるまった。


 チャイムの音に眠りから呼び起こされたのは、午後三時を回った頃だった。僕はぼりぼりと頭を掻き、目を擦る。ふらりと立ち上がり、防犯カメラの映像を見る。NHKの集金人なら居留守を決め込むつもりだった。最近、あいつらは相手をしたらしつこい。まるで税金を取り立てるように「義務ですから」と離れない。「TVなど無い!」と答えても「携帯を持ってるでしょう? 視聴環境があるじゃないですか」と言う。そもそもTVと言う情報媒体が斜陽にある中、わざわざNHKなど見ないのだ。

 僕が見る視聴媒体はパソコン配信のアニメのみだ。

 防犯モニターには、この寒空の中、半袖のTシャツにデニムのジーンズと言う出で立ちの丸い顔に丸いメガネを掛けた丸井と言う同級生だった。僕の所属するサークルの責任者でもある。

 僕は自分の格好を見る。

 二日前から同じスェットの上下で風呂にも入っていない。無精髭も伸びている。だが、この男相手に見栄を張ることもない。僕はインターホンの会話ボタンを押し、言った。

「今、開ける。ちょっと待て」

 ドアを開けると、丸井は満面の笑顔で遠慮無く部屋に上がり込んだ。許可も出していないのに、テーブルセットに腰を下ろし、重そうなリュックを外して太い息を付く。部屋の温度が二、三度上がった様に感じた。

「竜ちゃん、イラストの調子はどう?」

「昨夜、三枚仕上げた。四枚目で躓いている」

「大丈夫? 十枚のカラーイラストは無理があったんじゃない?」

「コミケ前日には仕上げる」

 丸井の顔が引きつる。

「竜ちゃん。それじゃ入稿出来ない。二日前には仕上げてよ~。竜ちゃんはウチの看板絵師なんだから~」

「善処する。スケジュール作る為にお前が学校にインフルエンザだと申告してくれたんだからな。他のメンバーの手前、頑張るよ。上げなかったら珠美辺りに踵落とし喰らいそうだもんな。尻叩きに来たんだろ? 今から取りかかる」

「いや、今日は休めよ。外に出よう」

「―――どう言う風の吹き回しだ?」

 丸井は大きなリュックから紙袋を取り出した。

「十八歳のお誕生日おめでとう。誕生日くらい遊ぼうぜ。俺が良いところへ連れて行ってやるよ」

 丸井は下卑た笑いで眼鏡をキラリと輝かせた。

(―――風俗か?)

 僕はそう推察する。十八歳。高校最後の誕生日を祝ってくれるのが、丸井一人と言うのは寂しかった。去年はささやかだが、サークル全員で祝ってくれた。今年は同人誌のボリュームをアップし、総力戦となっている。絵師達は皆、自分の限界に挑んでいる。皆、修羅場だ。

 丸井は絵師ではない。文章は書くが所謂プロデューサー兼マネージャーの役回りだ。サークルの雑務は全て担っている。ウチのサークルは優秀な一年生絵師が三年前集まり、今年は所謂、大手と言われる位置づけについた。今年は真価が問われるコミケなのだ。幸いにも夏のコミケは成功裏に終わり、振り込まれた報奨金は大卒一年目のサラリーマンの年収を倍にしたものだった。税務署対策で報奨金はアルゴと言うバーチャルリアリティの世界でロンダリングされてネットマネーとして振り込まれた。丸井は経理士としても優秀な男だった。経営者手腕もあり、余剰になった運営金で、サークルのメンバー一人一人に気分良く仕事が出来る様、媚薬をかがす。

 今日、僕の所に来たのも経営者の観念からだろう。

 だが、僕は風俗などに興味は無い。三次元の異性など唾棄すべきものだと思っている。それなら、ブラウン管のパソコン画面に齧り付いている方がマシである。

「そりゃ、ありがとう。その包みはシャトレーゼか? 並んで買うなんて、男相手にマメだね。紅茶煎れるから待っててくれ。ティーパックだけどな」

「気持ちだよ。他のメンバーからのプレゼントも預かっている。本当なら盛大にパーティー開くところなんだが、悪いな」

「気持ちで十分だ。だから、その『良いところ』と言うのは、遠慮しておく」

「お前。童貞捨てたくないか?」

「魔術師になるつもりでいる」

「相手が二次元の美少女でもか? ちなみに俺は十月に十八になったから、捨てたぜ。今はリア充生活満喫している」

「この裏切り者!」

 僕は思わず丸いの太い首を締め上げていた。

「三次元の女に転ぶなんて! 男の契りを忘れたか! 相手は誰だ? 今は風俗でも本番や類似性行為は堅く御法度だ! まさか、サークルのメンバーに手を出したんじゃないだろうなぁっ!」

 丸井は苦しそうに咽せこむと、

「苦しい。離してくれ。説明するから……」

 と言った。僕も我を忘れていた。徹夜続きでテンションが変になっていた。

「アルゴだよ」

 丸井はそう言った。アルゴと言えば五感が大剣出来るバーチャルリアリティーのファンタジー世界の代名詞でユーザーは二十五億人を突破したと言う。

 アルゴで遊ぶには、アルゴでの身体となる儀体を作成し、バイオメットと呼ばれる脳波干渉装置を被り、アルゴへダイブする。ダイブと言うのは意識がリアルからアルゴへ移る感覚がまるでダイビングをする感覚に極似していることから生まれた造語だ。

 日華経済連合『龍樹』が南極に建設した新世代コンピュータ『蓬莱』と多数の衛星通信網で世界を席巻した超高速・超高機能の演算能力と通信スピードは『アルゴ』と言う桃源郷を作りだした。そこではリアルより現実的な体験が楽しめると言う。

 冒険者と言う職を選んだプレイヤーの中でも七大英雄と言う龍樹が設定した能力の上限を超えたプレイヤーがおり、その一人、ドロス・ケルベロスがアルゴを支配する教皇庁の許可を得て、始めた巨大娼館エリアがあり、そこでは古今東西の美女・美男の容姿をした儀体や、エルフに代表される美しい亜人の儀体と熱い一夜が過ごせるのだと言う。ドロスの娼館では現実世界のスターの儀体も多い。本人に巨額の肖像権代金を支払い本人と寸分違わぬ儀体を作っている。噂では、時に本人自身がダイブして春を売ることもあると言う。ドロスの娼館では金さえ出せば、銀幕スターとの甘い一時が過ごせる。ドロスの娼館は王都・ベネチアで独占権を得て営業しているが、世界中のオタク達が集まって作られた特別自治区・アキバでは独自の娼館を作り上げた。古今東西のアニメキャラ、ゲームキャラをグッドスマイルカンパニーに委託して三次元化した儀体に春を売らせていると言う。儀体は違和感を無くす為、より人間ぽく製作されていると言う。

 要するに、丸井はアキバの娼館で童貞を捨てたのだ。以来、通い詰めらしい。

 僕は呆れた。

「バーチャルリアリティで、童貞捨てたと言えるのか? そもそもリアルでの体験とは別物だろう?」

「それは違う」と丸井は言う。

 アルゴでの体感は現実となんら変わらぬのだと力説する。例えば空腹を覚えて、レストランでフルコースを頼んだとする。すると味の微妙な差異まで体感して味わえて、満腹感まで覚えると言うのだ。両人による味の差異も存在するし、その地方地方での素材の味の違いまで味わえると丸井は力説する。驚くべき事に排泄行為まで催すのだと言う。それに怪我をすれば痛みがあり、治癒しないと悪化するのだそうだ。

 それに娼館の女達は個性と感情があり、見事にキャラに成りきっていると言うのだ。

「ああ。もどかしい! パソコン借りるぞ。これ見ろ! これ! これをプレゼントすると言っているんだ」

 ちなみにパソコンの回線も『蓬莱』のものでサーバも『蓬莱』だ。処理速度の信じられぬ早さから混雑と言うものが無く、アプリもサーバ上のものを使用する。どんな複雑な演算でも瞬時に答えが返って来る。だから、僕らはフリーズと言うものを知らない。

 モニターには『ハニートラップ』と言うアキバの娼館のホームページが表示された。


 クリスマス特別企画。

「クリスマスイブを貴方の好みの恋人と過ごしませんか?」


 頭をガンッと殴られた気がした。

 テロップの下には今、人気絶頂のアニメのヒロイン『名無し』ちゃんとヒーロー『春日』が正装して並んで座っている画像がある。手は恋人繋ぎだ。

 確かにアニメキャラの面影を強く残しながらも現実の人間と違和感が無い。

 その画像の下には好みの相手を選択する画面がある。

『女性』『男性』『両性具有』の三つだ。『女性』を選ぶとアルファベット順にずらりと五百人の顔写真が並んだ。

「ヒロインの名前で検索かけてみ」

 と言うので、『名無し』と入れると、『名無し』ちゃんの特設ページに瞬時に変わった。アニメ版の衣装に身を包み、ポーズを取った『名無し』ちゃんの大きな画像の横にはキャラ解説。スリーサイズ。お好みのデートプランが幾つか上げられ、その費用も書かれている。『名無し』ちゃんとデートする権利はオークション制になっていて、入札資格はアルゴのIDがあることだ。現在入札数は二十五万を超えていて、価格は350ドルを超えており、それも見ている間に跳ね上がって行く。僕は悲鳴を上げた。

「なんでこんなに高いんだよ!?」

「それはな、一人のキャラに付き一体の儀体しか用意されていないからだ。心配するな。お前はオークションに参加しなくても、権利を獲得出来る密約を交わしている」

「なんで、そんなこと出来るんだ?」

「アキバ特区の自治会代表ののりちゃんはリアルでの俺の知り合いだったんだ。アルゴでは猫耳の獣人のブリーストで冒険者としてもAランクの凄腕なんだぜ? で、お前の初めての画集の販売権を譲渡したんだ。勝手に話を進めて悪かったが、お前はそれだけ評価されているんだよ。十八になったら、アルゴにデビュー出来る。これから新宿のアルゴセンターへ行って、登録と儀体デザインして、軽くダイブしようぜ。な? 悪い話じゃないだろう?」

「シャワー浴びて髭剃って来る」

 僕は短くそう答えた。


続く

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