第四夜 度牒(どちょう)の代わりに

 とりあえず、元の時代に戻ってもろくなことにならない。ここが来世なのか、過去なのか、これも妄像もうぞうの御仏の修行だのお告げだのということにして、一丁自分が『天主』となるべきだろうか。

 …いやいや、いやいやいや。

「…どうしよう。」

 無理だ。無理すぎる。キリスト教の知識が中学生で止まっている自分には無理だ。

 そもそもイエス・キリストって何した人だっけ。十字架にかかって死んだことしか知らないぞ。その未来を回避すればいいのか? それがタイムスリップした理由? え、そんなことしたら、キリスト教なくなって、その後の全世界の文化がぶっ壊れてしまうのでは?

 ―――汚らしいホモ!!

 ―――出ていけ、ホモ!!

 ………。もしかして、もしかすると。


 


 そういうことだろうか。そうとしか考えられない。でなければ、自分のような半端な修行僧がこの時代に来た理由がない。


 そうと決まれば、この土地で、仏の教えを説くまでだ。


「君、名前は?」

「え? えっと…。実は、まだ名前を呼ばれたことがなくて…。」


 孤児だろうか。なら仕方ない。


「俺で良ければ、名前をつけようか?」

「―――はい!」


 名前の候補は、すぐに見つけた。


慈雨じう。君の名前は、慈雨じうだ。」

「じゅ?」

「じう。発音そんなに難しくないだろ?」

「どういう意味?」

「慈しむ雨と書いて、『じう』と読む。浄土では、お釈迦様の教えが雨になって降り注いでいるんだって。」

「雨! 雨は良いものです。大地を潤し、草を芽生えさせ、羊が食べることが出来ます。」

「あー、うん。ソウダネ…。」

 ダメだ…。

 文化が、全く分からん!!!


 そう言えば、タイムスリップしたのだとして、今自分は、何語を喋っているのだろうか。自分の感覚では、日本語を喋っているし、少年、改め慈雨も同じようだ。

 ただ、ここがイスラエル、しかも古代だというと、どうなのだろう。

 そう言えば、日本のルーツはイスラエルのナンタラだとか言うと、学会で針の筵に座らされる、という話を聞いたことがある。もしかして、この時代のイスラエルでは日本語が通じるのだろうか。

 とりあえずそんなことを考えながら、慈雨に外に出ることを提案した。慈雨は少し不安そうだったが、

「インマヌエルが守ってくださいますから。」

 と、すっかり乾いた袈裟にしがみついてきた。

 ………。と、いうか。

 なんだかすっかり『キリストさま』になっているのだが、これは訂正したほうが良いのではないだろうか? 天罰が下りそうだ。

「その、慈雨。俺のことは、エルだとか、ダビデの子だとか、そういうのはやめてほしいな、なんて…。」

「どうしてですか?」

「照れくさいんだよ。俺に務まるかどうかわからないし…。個人の名前がほしい。イエス以外にないの?」

「なるほど、新しいお役目を担うにあたって、新しいお名前が欲しいのですね。」

「そういうもんなの? いや、そういうもんなの。」

 慈雨が何故納得しているのか、全くわからないが、下手に理由を聞いて、どうのこうのと言われるのも面倒だ。

「では、ヨシュアはどうでしょうか。」

善也よしやか、それでいい。」

 何をしても、『ホモだ』と、捻じ曲げられる自分に皮肉が効きすぎた漢字が浮かんだ。きっと慈雨のいう『よしや』には、そんな意味はないのだろう。ただ、善也よしやというその名が、今の自分にはしっくりと来た。

「じゃあ、慈雨。救世ぐぜの旅に行くとしようか。」

 持ってきてもらった粥をすすり、ぱんぱんと尻を叩く。

「はい! ヨシュアさま!」

 慈雨は片付けもそこそこに、カバンのようなものに何かを入れている。塩や水の類だろうか?

「………。よし! 準備万端です!」

「…何処に行けばいいの?」

 イスラエルの土地勘なんて、皆目検討もつかない!

 すると慈雨は、それこそ慈しむような微笑みを浮かべて、提案した。

「シナイやエルサレムから吹き下ろす風は、遠くの人々に声を届けます。丘が良いでしょう。」

「…連れてってくれる?」

「もちろんです!」

 輝かんばかりの笑顔が、凄く重たい。今更ながらに、滅相しかないことに首を突っ込んだと言うか、選択してしまったと言うか。


 と、いうより。

 聖書の登場人物たち(?)に、釈迦の説法なんて通じるのか!!??


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