第43話 気分が落ち込んだ時は餃子!②

「本当に一人で大丈夫か?」

「はい。サグルさんはここで待っていてください」

「わかった。何かあったらすぐに呼んでくれ」

「わかりました」


 京子はサグルと一緒に実家まで戻ってきていた。

 築十数年の少し古びたマンションの一室が京子の実家だ。


 京子は慣れた手つきでエレベーターに乗り、自分の実家のある階へと移動する。

 そして、いつもと同じように実家の扉を開く。


 鍵はかかっておらず、扉は簡単に開いた。

 扉の先には見慣れた廊下が広がっていた。


「やっぱり、掃除してないのね」


 だが、その廊下にはゴミや衣服が散乱しており、足の踏み場もない状況だった。

 家の掃除は主に京子が行なっていた。

 京子がいなくなればこうなることは分かりきっていた。


 京子は自分が使っていた部屋の前を通り過ぎ、リビングの扉を開く。

 すると、リビングの椅子に座っていた女性が怯えるように京子の方を見てくる。


「!! なんだ、あんたか」

「……」


 その女は京子の母親だった。


 京子の母親は京子の顔を見て、安心したように椅子に座る。

 それは明らかに怯えている何かでなかったことに対しての安堵であり、娘が帰ってきたことに対する安堵ではなかった。


「今までどこ行ってたのよ。あんたが掃除しないから部屋が散らかり放題になってるじゃない。ちゃんと掃除しておいてよね」

「……」


 京子の母親はいつものように京子に命令してくる。

 京子は自分の心が明らかに冷めていくことを感じていた。


「それから――」

「お母さん。私を水商売の店に売り飛ばしたって本当?」

「!!」


 京子が母親のセリフを遮るように質問を投げかけると、母親の体はびくりと震える。

 母親は焦ったように髪の毛の先をいじり出す。

 これは母親が何かを誤魔化そうとしている時の癖だ。


 どうやら、金田という男が言っていたことは本当のことだったらしい。


 京子の中で何かが音を立てて崩れ去っていった。

 それがなんだったのかはわからないが、大切なものだったと思う。


 世界が歪み、立ちくらみのような感覚を受け、倒れそうになる。


(サグルさん)


 倒れそうになる京子の頭の中に、サグルの不器用な笑顔が浮かぶ。

 なんとなく、世界が彩りを取り戻したように思う。


 ちゃんと終わらせてサグルの元に帰らないと、サグルに迷惑がかかってしまう。


 ここで母親と決別することで金田たちに追われているという今の状況が変わるわけではない。

 だが、京子の中で区切りをつけることはとても重要なことだった。


 京子は震える体を叱咤して、前を向いた。


 京子にはもう目の前の女が汚らしい何かにしか見えなかった。


「本当だったみたいだね」

「あんた、なんでそれを……」


 京子は母親だった相手にたいして、深々と頭を下げる。


「今までお世話になりました。顔も見たくないので、私は二度とこの家には帰らないことにします」

「な!」

「もう二度と会うことはないと思いますが、お元気で」

「ちょ、な! この恩知らずが! 育ててもらった恩も忘れて!」


 京子はそう言い残すと、母親に背を向けて歩き出す。

 こんな場所にはもう一秒も居たくなかった。


 京子に向かって投げつけられる罵声に背を押されるように京子は自分の家を後にした。


◇◇◇


「えーっと。おかえり」

「……サグルさん?」


 幽鬼のような足取りで京子が自分の家から出てきた。

 そして、俺のことを見て不思議そうな顔をする。


 マンションの外で待っているはずの俺が自分の家の前まで来ていたのだから、驚くのも当然か。


 俺は気になって部屋の前まで来てしまっていた。


 部屋の前まで来て正解だったと思う。

 京子が家の中にいたのは数分程度の時間だったが、家から出てきた京子は今にも倒れてしまいそうに見える。


 もしかしたら、衝動的にこの階の廊下から身を投げてしまっていたかもしれない。

 流石にそんなことはないと思いたいが、ありえないとは言い切れないような表情だ。


「大丈夫か?」

「サグルさん!」

「うわ!」


 京子は俺の胸の中に飛び込んでくる。


「うぁぁぁぁぁぁ!」

「えぇ!」


 京子は俺の胸の中で大声をあげて泣き出してしまった。

 サグルはどうしていいかわからず、オロオロとしてしまう。


(こういう時、どうしたらいいんだ!? 確か、アニメとかでは頭を撫でたりしてたけど、通報されたりしない?)


 俺の中に「ただしイケメンに限る」という一文が流れた。

 かといって、他にできることもない。

 直立不動の姿勢というのもなんかおかしい気がするし。


(えーい! ままよ!)


 恐る恐る京子の頭に手を乗せる。

 京子は一瞬びくりと震えたような気がしたが、拒絶している様子はない。

 俺はそのまま優しく京子の頭を撫でる。


 柔らかい髪の毛の感触がすごく気持ちいい。

 めっちゃキューティクルですわ。

 いつまででも撫でてられる。


(じゃなくて)


 俺は女の子ってどうしてこんなに可愛いんだろうというどうでもいい思考を放り投げ、できるだけ優しい言葉を京子にかける。


「大丈夫。大丈夫だから」

「うぅ。うぅぅぅ」


 俺は京子が泣き止むまで京子の頭を優しく撫で続けた。

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