第31話 『飛行船・ルフトヴァール』
「と、ここが俺たちの席か」
「Bフロアの201列ですから、ここですね。間違いありません」
ルフトヴァールに乗り込んでから数分。ようやく俺たちは、自分たちの席がある飛行船の奥の方へとたどり着いた。
聞いたところルフトヴァールには操縦席と乗り込み口から比較的近く、値段もやや張る高級志向のAフロアと、奥に位置するBフロアの二つが存在するらしい。
俺たちの席は言うまでもなくBフロアだ。だが、今まで来たAフロアのと変わらず船内は広い上に、ほとんどのソファ席は窓際に位置しているため、雄大な外の景色を一望できる。
それほどAフロアとBフロアでの違いは俺は気にならなかった。
「で、窓際の席には誰が座るんですか?」
到着するなり、いの一番にエルシェが口を開く。彼女はうずうずした様子で身体を揺らしており、どうやら窓際に座りたいらしい。
こういう所は年相応っぽいよな。まぁ、エルシェから実際の年齢を聞いたことはないが、多分俺やレイナよりもやや年下くらいだろう。
ちなみにレイナの年齢も知らないため勝手に同年代だと決めつけてしまっているが、俺は俺自身の年齢も実際のところはわかっていない。ただ外見から、十代半ばくらいだろうとそう判断しているだけだ。
「別に私はどこでも構わないけれど」
「少年はどうですか!?」
「あぁ、俺も別にどこでもいいよ。好きなとこに座ってくれ」
「……! よしっ……!! いえ、なんでもありません!」
エルシェは小さくガッツポーズしたが、すぐにハッと表情を変えると平静を装ってソファの一番奥、窓際のほうへ腰を降ろした。
その表情はどこか満足げに見える。さて、俺も座るか。
「よいしょっと」
エルシェの隣に座る。《
ルフトヴァールの乗り心地は結構快適そうだな。
ふと、隣を見ると───。
「ん、レイナはこっちに座らないのか?」
レイナの方を見れば、彼女は俺たちの席とは通路を挟んで反対側に位置する向こう側の席に座っていた。
「あれ? 航空券だと、この席は私達三人のものなのですが……」
エルシェが航空券を確認しながら不思議そうに言う。たしかに、俺とエルシェの二人だけではこのソファ席はあまりに広く、現状スペースに余裕がありすぎる状態だった。
おそらく三人か四人くらいが座ることを想定されているのだろう。
「ルフトヴァールは席ではなく列指定よ。私はここにするわ。そちらの席もこの席も、同じ201列の席だから問題はない。もっとも、今日は私達のほかに乗客も少ないようだし、別に他の列の席に移っても問題はないと思うけど」
「え? なんでですか?」
向こう側の席から発せられたレイナの言葉に、きょとんとした様子のエルシェが首を傾げる。汚れのない清く純粋な青い瞳を突然向けられ、レイナは少しばかり動揺したようだった。
「なんで、って……別に、大した理由はないけれど。貴女達もあまり私と関わりたくないでしょう? だからお互いに……」
「でも、一人は寂しいです。───寂しいのは、だめです」
それはエルシェにしては珍しく、静かに呟くような、誰に向けて言うでもないような、そんな言い方だった。
「せっかくですし、レイナも一緒に座りませんか?」
「……」
「……?」
赤い視線と青い視線が互いに交差し、数秒間の沈黙が船内に訪れる。
俺は何か言おうか迷いながらも、視線が交差する様をその間で眺めていた。レイナはしばし無言で考え込んでいたが、
「……はぁ。仕方ないわね」
やがてしぶしぶといった様子で俺の隣に座ってくる。
それを見たエルシェはどこか安心したように唇を綻ばせ、小さく頷いた。
俺は隣のレイナにそっと小声で話しかける。
「あー、なんか悪いな。もし嫌だったらあっちの席に移っても大丈夫だぞ? エルシェには俺から話すし」
「いえ、構わないわ。……私も、あの子……騎士さんには恩がある。無闇に彼女のあの笑顔を奪うほど、私も悪趣味ではないから」
「そうか……」
半ばため息混じりに呟いたレイナの表情は相変わらず無表情に近かったものの、それでも声音からはさまざまな感情が入り混じっているかのような印象を受けた。
一体何を考えているのか、謎の多い彼女の胸の内を察することは俺にはできない。
けれど、いつかできるようになる日がくればいいなと、ふとそう思った。
と、その時。
ジリリリリ! と船内にけたたましくベルが鳴り響いた。
「うぉっ!?」
「な、何事ですか!? 敵ですか!? 賊ですか!?」
「落ち着きなさい。離陸を知らせるベルよ」
ビクンと肩を跳ね上がらせる俺に、慌てふためき木剣の収められている腰の鞘をガチャガチャ鳴らすエルシェ。そんな俺達を見て、呆れた様子でレイナが説明してくれる。
と、ガラガラと扉を開けてBフロアに入ってきた乗務員の男性が、よく通る声でフロア中の乗客に告げた。
「ベイルーニャ・グスティロス空港発、セルビオーテ・エンブリア中央空港行ルフトヴァール5番船、まもなく離陸致します」
男性が言い終わるのとほぼ同時に、ベルが止む。そして───。
「み、見てください! 地面が……地面が遠ざかっていきます!」
「おおお……!! う、浮いてるぞ……!!」
「……これは飛行船なんだから、当たり前でしょう」
エルシェとともに窓に張り付いて外の様子を眺める。
すると徐々にベイルーニャの地面が遠ざかり、あれほど大きかった家々の大きさががまるで木の実のようにどんどんと縮んでいく。
ルフトヴァールが離陸し、上昇を開始したようだ。
すごい、ただすごいとしか言いようがない。これが飛行船か。
「これ、落ちないよな? いやわかってる。何度も聞いたもんな。でも悪い、聞かせてくれ───これ落ちないよな? レイナ」
「窓の下を指す指がガタガタ震えてるわよ? 落ちないと言っているでしょう」
お、落ちないんだよな。そうだよな。大丈夫、大丈夫……。
「……正直お前を追ってあの裏路地に入ってった時くらい怖いんだが……」
「そう、それはさぞ勇敢だったわね。あの時貴方が後に続いているのは知っていたから途中で離脱したけれど、まさかすぐ後で獲物を横取りされるとはね」
「それは申し訳ない……」
でもわざとじゃないんです。なんならあの黒蛇もどきとは会えずに済むものなら会いたくなかったです。ほんとに。
「わ、私は全然怖くないですよ、このくらい! き、騎士の掟第40条、『高い所を愛せよ』です。 このくらい、騎士にとってはなんとも……ひゃっ!? これどこまで昇るんですか……!?」
こちら側を向きふふんと胸を張るエルシェだったが、ちらりと視線を窓の外にやったかと思えば聞いたことのない可愛らしい声をあげた。お前も怖いのかよ……。
そうして俺とエルシェがガタガタ震えている間にも、ルフトヴァールはぐんぐん高度を上げていく。
やがて眼下に広がった家々やベイルーニャの灯台、教会といった建築物がすっかり豆粒のように見える頃には上昇も収まり、なんとかほっと一息。
「よ、ようやく安定しましたか……いえ、怖くはありませんでしたが。騎士なので。ええ、騎士なので」
「ああ、これ以上は上がらないみたいだな……あ、あれって雲じゃないか? 嘘だろ? どんだけ高いところまで来てるんだ、この船は……なぁレイナ、落ちないよなこれ?」
「そうね。次、同じ質問をしたら貴方の人生最後に見る景色は美しい大空になるわよ。覚えておいて」
サラッと遠回しに『お前をここから突き落とすぞ』と恐ろしい警告をしてきているレイナさんのことは一旦置いておくとして、俺はこんな景色を見るのは初めてだ。
飛行船の下、雲が海のように一面に広がり、遠くに見えるのは果てしない地平線のみ。
いや、違うな。厳密には初めてではない。俺はこれとよく似た景色を知っている。
───これよりも、もっと透き通った青く壮大な世界。地上から切り離されたその場所にいたのは、白い髪の神様を自称する謎の少女。シロと名乗ったそいつは俺によくわからん代償付きの神の力───曰く『神格』を授け、そしてこの世界が残り三年間で滅ぶなどという無茶苦茶なことを言いだした。
結果として彼女は俺の質問にほぼ答えることなく、世界の滅亡を阻止するたった一つの
現状シロに関する情報はほとんどない。彼女の正体も、目的も、所在地も何もかもが謎。
けれどもしかしたら、だ。
もしかしたら、ここにも目を凝らせば、彼女がいるのではないか。ふとそんな気がした。
「まぁ、いないよな。いたらいたでどうすればいいのか分からんが」
「いない? 何の話?」
「いや悪い、こっちの話だ。ただちょっと気になってさ。実は俺を半神なんかにした神は、意外とこの空の辺りにいるんじゃないかってさ───ん?」
そこまで言ったところで、隣から袖をくいくい引っ張られていることに気づいた。
見ればいつの間にか席から立ち上がっていたエルシェが期待を込めた眼差しでこちらを見ている。
「あの」
「なんだ? エルシェ」
「気になりませんか、少年、レイナ」
「気になる……って何がだよ」
エルシェは俺達の前を横切り、通路まで出るとドアの方を指さして言った。
「決まっているじゃないですか。この船の全容ですよ! ここまで来る途中にAフロアや渡り廊下は通ってきましたが、まだ船のどこに一体何があるのか、その全てはわかっていません。ですから……探検です!」
「探検? つまり、船内を歩きたいということかしら」
「はい! 高度も落ちついたみたいですし、これからちょっと船内を一通り見て回ってみませんか? 実は乗った時からずっと気になっていて……それに騎士の掟4条、『怪しい場所はとりあえず探索すべし』です! どうですか?」
ふむ、探検……というか、散歩みたいなもんか。
俺はエルシェの提案を受け、顎に手をやって考える。
……悪くないな。もう今後この船に乗ることがあるかどうかもわからないし、この機会に一度飛行船の全貌を見ておくべきかもしれない。あと、純粋に興味がある。
「よし、行くか」
「はい! 私が先頭です。ちゃんと付いてきてくださいね!」
こうして俺は、一旦席を離れエルシェとともにルフトヴァールの船内を見て回ることになった。
……例によってレイナさんは不参加(参加拒否)だ。
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