アスターテール ​~今日から半分、神になったようですが~

小鳥遊一

第一章 《水の都》レーヴェ編

第1話 『白い髪の少女』

 自分が誰で────何者であるのか。


 そんなことをきっと、全ての記憶を失う前は考えたこともなかっただろう。

 それは、自分は誰で何者であるのか。

 その答えをおそらく、以前の俺は知っていたからだ。


 だけど俺は────あの日からそれを今でも探し続けて、答えを追い求め続けている。

 そう。地平線が果てしなく広がるあの雲の上で、少女と出会ったあの日から。


 俺の全てがまた始まった、あの日から。


 ◆???◆


 ───こいつは一体、何を言っているんだ。


 それが最初に、俺が彼女に対して抱いた印象だった。


「はじめまして!  わたし、君の神様だよ!」


「……は?」


 出会って早々意気揚々と目の前でポーズを決める見知らぬ少女に、ぽっかりと開いた口がまるで塞がらない。


 ───なんだこの状況は。一体何が起こっているんだ。


 俺は出来うる限り冷静に努め、思考をクリアにしてから現状の把握に徹する。

 OK、落ち着け。深呼吸だ。これはそう、タチの悪い幻覚か何かの類だろう。

 だっておかしいじゃないか。あり得ない話だ。


 こんな場所───こんな空の上、澄み切った青空と雲しか存在しない謎の空間に人がいて。

 しかもそれが、眩しいくらいに真っ白い髪の美少女ときた。

 うん、とてもじゃないが現実だとは思えない。


 夢や幻に決まっている。一度深呼吸して、リセットすればきっといなくなる。

 まずは息を吸って、吐いて。よし、落ち着いた。

 俺はゆっくりともう一度目を開く。


「───神様だよっ!」


 そこには満面の笑みでVサインを突きつける先ほどの少女の姿があった。

 ───ああ、なんという事だろうか。どうやらこれは現実らしい。

 いや、意味がわかんねぇよ。何かがおかしい。

 否、何もかも全てがおかしいのだ。


 おかしいといえばこの空間には、そう。大きく分けて二つ。

 常識的に考えて有り得ない、そしてにわかには信じがたい二つの『異常』が存在していた。


「……」


 まず一つ目の『異常』、それはなんと言っても───ここが空の上であるということ。


 あまりに突拍子もないこの一文を瞬時に理解できる人間は、この世にそう多くはいないしれない。


 あまりに奇天烈、あまりに唐突。まるで訳がわからない。

 気持ちはわかる。俺だってそうだ。

 けれどそれでもどうか許してはくれないだろうか。

 それ以上正確にこの状況を表せるに足る語彙を、生憎と俺は持ち合わせていないのだから。


「……」


 ふと首を動かし、周りを見る───俺の目の前に広がっているのは、透き通る青空と白い雲の地平線がどこまでも広がる世界だった。


 天を仰いでも、足元に目をやっても、そこにあるのは眩しいくらいの青空だけ。

 見えないだけで実態を持つ床のようなものの上にいるのか、幸いにも下へ真っ逆さまに落下する気配はない。


 それ以外にはこれといって何も無く、向こう側へと目をやればそこは地平線の彼方まで見渡せる。まるで川の流れのように大きく移動する雲の群れの速度は異常に速く、吹きすさぶ風は肌を切り刻むように冷たかった。


 他に生き物の姿は見えず、この空に立っているのは俺ともう一人だけ。

 どういう状況なのか、皆目見当もつかないし理解も追いつかない。


 そしてこんな全くもって訳の分からないミステリーすぎる状況を打破しうる唯一の可能性を秘めた二つ目の『異常』が───俺の目の前で手を後ろに組み、ニコニコとこちらに向かってほほ笑みかけているこの少女だった。


 青空の中では眩しいくらいに、光を反射してきらきらと輝く白いロングヘア。


 服装もこれまた純白のドレスのような装いに身を包み、見る限り真っ白の外見だ。

 色白の肌はすべらかで、黄色の瞳はくりっと大きく真ん丸に見開かれている。


 笑顔でこちらを見つめてくる様は一見すれば人懐っこそうな印象を受けるものの、その雰囲気にはどこか幼さにも近い、神秘的ななにかを感じさせるものがあった。


 呆気に取られた俺はしばし彼女を見つめる。

 彼女もまた、こちらを見つめていた。


「……?」


「……?」


 向き合い、互いに同じタイミングで首を傾げる俺たち。

 いや、笑顔でそんな『はい、なにか?』みたいにされましても。


 まるで自分と俺がここにいるのがさも当然のことであるかのように、少女は天真爛漫な笑みを浮かべていた。


「……あ、もしかして聞こえなかったのかな? こほん、えー」


 少女はどこか恥ずかしげに咳払いし、一旦居住まいを正す。そして一呼吸おいてから大きく胸を張ると、


「はじめまして、わたしは君の神様だよ‼」


「聞こえてるよ⁉ いや、そうじゃなくてだな」


「むっ、聞こえてるなら返事してよ。なんでなんも反応してくれないんだよー」


「いや、いきなり現れて急に自分のことを神様だとか言い出す奴相手にどう反応しろって言うんだよ……」


 先程神と名乗ったこの少女はむすっと頬を一瞬膨らませると、今度は拗ねた子供のような表情を見せる。笑ったり拗ねたり、さっきから威厳もヘッタクレもなさそうな自称神様である。


「あっ、その態度! 不敬だよ! 初対面の女の子、それも神様に向かってなんたる口の聞き方! ……初対面、だよね?」


「そりゃそうだろ」


「それもそうだったね。まーよろしい、わたしは寛大な御心を以て君を許します」


 ウンウンと頷き一人で勝手に納得しだす自称神様。いや、意味がわからねえよ。なんだこいつ。


「それで、結局お前は誰なんだよ。なんなんだよ」


「だから言ってるじゃん、君の神様だってば」


「その説明じゃわかんねーよ。ていうかお前、名前は?」


「名前……名前か……うーん、君の好きなように呼んでくれていいんだけどね……」


 少女は一転して神妙な面持ちになると、顎に手をやって目を閉じる。

 そのまま数秒の時が流れたかと思えば、少女はぱっと明るくなって俺の目の前でポーズを決めた。


「───そうだね、まぁ私ご覧の通り髪も服も白いからさ、シロとか! 他に候補がなければ、私のことはシロとでも呼んでよ」


「シロ……」


「親しみやすい名前でしょ?色々な名前で呼ばれてきたけどさ、やっぱりコレが一番馴染むんだよねえ」


「……なんつーか、安直だな」


「なッ!?」


 自称神様改めシロさんはこの世の終わりみたいな顔でこちらを見つめてきた。いや、とっさに本音が口をついて出てしまったのだが今のはさすがに申し訳なかったかもしれない。ちょっとだけ反省した。


「そ、そういう君はなんていうお名前なのかなー?」


 引きつった笑顔を浮かべ、若干震えた声音で(ごめん)シロはこちらに尋ねてくる。

 そういえばまだ俺も名乗っていなかった。


「ああ、ごめん。俺は……」


 そこで、ふと考える。


 ───俺の名前は、何だ?


 思い出せない。いや、そもそも自分が何者なのかすらわからない。


 おかしい、記憶喪失だろうか。そんなはずはない、しかし意識がはっきりする前のことは何も覚えていない。


 ここに来る前、自分が何をして、どこにいて、どこに生まれどのような人生経験を経て育ってきたのか。それらについての情報が、記憶のどこを探しても見当たらないのだ。


 なぜならば、記憶そのものが見つからないから。


 自分が誰なのか、綺麗さっぱり分からない。


 正真正銘、俺は記憶喪失だった。


「……あれ、俺、誰だっけ」


「……」


 見ればシロが、どこか寂しげな表情を浮かべてこちらを見ていた。


 それはこれまでのやり取りの中では一度も見せなかった表情で、何かとても深い場所にある、大切なものを見るような───そんな顔だった。


「そっか。……やっぱり、そうだよね。ううん、なんでもない」


 なんだ? なぜ、そんな顔をしているんだ? 彼女の意図がわからず、俺は困惑する。


 そして、彼女はぽつりと呟く。


「もしかしてだけどさ。君の名前は───アオイ、じゃないかな?」


「───ッ!?」


 その瞬間、俺の脳裏に電流にも近い熱い衝撃が走った。


 えも言われぬ感覚に全身を貫かれ、心臓が大きく跳ね上がる。


 まるで雷に打たれたかのようだった。


「……思い……出した……」


 そうだ。俺は、俺は、俺は───。


「……アオイ」


 アオイ。この名を口にしてみて、俺はさらに確信する。

 決して根拠があるわけではない。だが、不思議とそれは間違いなく俺の名前なのだと断言できた。

 自己を確立する上での第一歩。唯一にして絶対のアイデンティティたる名前を思い出し、妙な安心感が胸に広がっていく。


「ああ。俺は、アオイ。アオイ、それが俺の名前だ。間違いない」


「うん、知ってるよ」


 俺の言葉に対し満足気に笑顔で頷くシロ。日差しを受けて煌めくその笑顔には、もう先程見えていた寂しげな陰りは消えてなくなっていた。


「どうして、俺の名前を……?」


「言ったでしょ、君の神様だって。なら、そのくらい知ってて当たり前じゃない?」


「……そう、なのか……?」


「ん、そうなのです。私を信じなさい、迷える子羊よー」


 俺は子羊でも何でもないことはひとまず置いておくとして。


 釈然としないが、本人が言うならそうなのだろう。

 実際他に一切の情報が与えられないこの状況下では、否が応でも彼女の言葉を信じるしかないのだ。


 シロは両腕を広げ何やら神々しいポーズをしつつドヤ顔を決め込んでいたが、


「あ、そうそう。私……いや、神様としたことが言い忘れてたことがあったね」


 何かに気づいたように、ふと再び真面目な顔に戻る。


 そしてなにか大事な告白をするのかのように一度深呼吸をし、あらためてこちらを見つめてきた。


「───ねぇ、アオイ君。実は私から君に、話しておきたいことがあるんだ」


 澄んだ黄色の双眸が俺を射抜き、なぜか俺は胸の鼓動が早まっていくのを感じる。


「話?」


「そう。大事な話だよ。一回しか言わないからよーく聞くように。いい? 君だけに教えるんだからね。ここだけの話だよ、ここだけの話」


 まるで詐欺の口上のような胡散臭い台詞とともに細く白い人差し指を立て、彼女は片目を閉じる。


「君はこれから、多分こことは違う別の場所で目覚めることになると思うの。スフィリアっていう、すっごくすっごく大きな国の集まり。その中のとある島の、ちょっぴり変なところ……まぁこれは、追々すぐにわかるかな」


 スフィリア? 聞き覚えのない地名に、俺は眉をひそめる。

 それに、「ちょっぴり変なところ」とは、一体……。


「で、重要なのはここから」


 シロは一呼吸置くと、言葉を続ける。そして、俺に向けて片手の指を三つ立ててきた。


「───その世界なんだけどさ、多分あと三年間で滅んじゃうんだよね」


「は?」


 汝、《神》と───否、《神》を名乗る謎の少女と出会ったことはあるか。


 今になって思い返せば、この時物語は既に始まっていたのだろう。


 ともあれ記憶を失った俺アオイは、こうして謎の少女シロと出会った。


 人間にして人間に非ず、《神》にして《神》に非ず。

 そんな半端な存在、とある半神の物語。その幕開けである。

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