なぜOLは節分にチョコを投げるのか

コール・キャット/Call-Cat

なぜOLは節分にチョコを投げるのか

‐1‐


 拝啓、母さん。俺は今、何故か──


「おぉぉぉにぃぃぃはぁぁぁっ! 外ぉぉぉおおお!!」

「っあだ!?」

 ──何故か、彼女に麦チョコを投げつけられています。

「鬼は外! 福は内! 鬼は外! 鬼は外! 鬼はぁぁぁあああ外ぉぉぉおおお!」

「あだ! いで! いってぇ!?」

 びしっ! ばしっ! ばきゃあ! と体に当たってはあまりの勢いの強さに麦チョコが砕ける音まで聞こえ始めてきたところでいい加減こちらもたまらず奇行に走る彼女の腕を掴んだ。

「鬼は――」

「た、たんま! ゆかりちょっとタンマ!」

「――外……えー」

 ぷぅ、とあからさまに頬を膨らませるのは俺の彼女でもあり社会人の縁。

 大学時代の先輩で年は2つほど離れている。……もし俺が知らないだけで留年とかしてます、とかだといくら離れているかは知らない。でもまぁ別に年の差とか気にしないし、年について聞いたりして下手に怒らせると怖いし。怒った縁超怖いし。

 まぁ、それは置いとく。そう、今はそれよりも大事なことがある。

「縁、どうしてチョコを投げてきたの?」

「節分だから」

「は?」

 いやいや。節分はこう、まったりと豆を撒いたりして1年が良い年でありますように的なことを祈るための行事であってチョコを恋人に叩きつけるバイオレンスな行事ではないはずだ。

「ほら、私忙しいし。だからバレンタインも一緒くたにしようと考えたらこうなったの」

「あー、なるほど。納得は出来たのに納得いかない。なんで俺に投げつけたの?」

「えーっと……鬼役いなかったし、痛いのは嫌だし、真貴まきがうちに入るのに絶対に通らないといけないだろう玄関は南南東だし」

「どんだけ都合がいいんだよ、今年」

 玄関なんて南南東にするんじゃなかった。いやここアパートの一室だけど。設計したのオーナーなんだろうけど。

 いやまぁでも、そんな理由でよかった。てっきり悪魔なり蛮族なりが取り憑いたのかと思ってしまった。どうせ憑くなら女神が憑いて欲しいところではあるけど。

「まぁ、それだけが理由じゃないけど……」

「ん? 何か言った?」

「ううん! なにも! それより真貴!」

「な、なに?」

 ずずいっ!といまだに麦チョコの入った袋を手に迫ってくるスーツ姿の縁に思わず後ずさりながらも俺は彼女に答えた。

 そんな俺の態度には気付かず、彼女はキリッと表情を引き締めて言った。

「バレンタインも兼ねてるってのは言ったよね?」

「え? あ、うん。それがどうしたの?」

「バレンタインチョコにはお返しをしないといけません」

「は? え?」

 え、なに、つまりおかえしにチョコを投げつけろと? いやそれはさすがに恋人としてどうなのだろうか。というか縁はチョコを投げつけられて嬉しいのだろうか? まさか、そういう性癖の持ち主だったのだろうか……

 そんな不埒なことを考えているとは知らず、縁は小腹でも空いていたのか、一口麦チョコを頬張りながら

「チョコを貰った男の子は女の子にお返しをしないといけません。だから……」

 ちらっちらっと流し目を向ける先には寝室──なんかそう都合良くあるはずもなく、リビングのテーブルには一枚のチラシが置いてあった。

 そのチラシには――


 『リトルミューズパーク、リニューアルオープン!』

 あの三大会館が新たに内装を大幅リニューアルして戻ってきた!

 記念すべき第1回記念は以下の通り!(開催日2月1日~2月11日)

 美術館:知る人ぞ知る画家ブランシェの特別展示スペース! あなたの知らない作品もきっとここにある!

 博物館:これぞ古代のロマン! 最新科学技術によって再現された恐竜ロボによる大迫力の恐竜・古生物達をご覧あれ!

 歴史会館:西洋の女傑、ジャンヌ・ダルクの生涯。彼女は何を想い、何をもってそこに立つのか。当時の刀剣、甲冑、さらにはジャンヌ・ダルクの自宅を再現した特別スペース!

 午後15時にて中央広場よりヒーローショー『ジャンヌ・ダルクVSマゾティック伯爵』公演!


 ――と記されていた。それで俺は縁の意図を理解した。

 不安げにこちらを見上げてくる彼女の頭にぽんっと手を置きながらそのふんわりと柔らかな頭を撫でていく。

「美術館に行きたいんだね?」

「うん。だめ?」

 縁は美術──特に絵に強い興味を持っている。その想いは彼女の働く会社にまで影響しているほどで、実は彼女は世界中の美術を社会に取り入れようというプロジェクトに参加しているほど。

 そんな彼女の《美術好き》に最大の影響を与えたのがこのブランシェという芸術家。

 美術に疎い自分が過去に一度芸術学校に通っていた友人に話しても首を捻るほどマイナーな画家なのだが、縁は一度家族と一緒にイギリスで開かれていた彼女の展示に訪れ、その絵画に心惹かれたのだとか。

 『運命を切り開く者』とか『嫉妬と憤怒に蹲る毒蛇』とか、なんだか名前だけ聞けば中二病的ななにかをくすぐるタイトルばかりなのだが、彼女は『憧憬』という絵画を一番よく語っていた。

 そんな、彼女の人生にまで影響を与えた、と彼女自身に言わしめる画家の展示会とあって彼女自身いてもたってもいられないのだろう。

「2月11日、か」

 来週近くまでやっているみたいだが・……

「ら、来週は仕事の方で北海道に行かないといけないの……だ、だから……」

「そう。じゃあ明日行こうか」

「ほんと!? やった! 真貴大好き!」

「あ、ありがと」

 縁に満面の笑みで抱きつかれてはさすがに照れてしまう。俺は照れ隠しにあっちこっちに視線を彷徨わせながら

「と、とりあえず離れよっか。じゃないとチョコ潰れるし」

「……」

「あ、あれ?」

 なぜだろう、縁はジト目でこちらを見上げてきた。

 いや別におかしなことを言った覚えはないのだけど……

「どーせ」

「?」

「どーせ私の胸はぺったんこですよ。まな板ですよ。絶壁ですよ。ごめんなさいね絶壁まな板で。あーあー」

「っ!? いやいや、そんなつもりじゃないから!」

「ふーんだ。もうしらなーい」

 くるっと反転すると縁はぷんすかとわざわざ口にしながら(しかし笑ってはいけない、これこそ本気で怒ってるサインである)寝室へと向かってしまった。

「ってちょっと待って! 夕飯は!?」

「っ! 知らない! チョコでも食べてれば! おやすみ!」

「えー」

 結局縁は終始不機嫌なまま寝室に閉じこもってしまった。しかもガチャリとご丁寧にも鍵をかける音までしたし、今日は本当にもう寝るつもりなのだろう。

「はぁ。仕方ない……か?」

 彼女がこうなってしまったら本気でチョコを食うしかない。俺はなんとも寂しい面持ちで今日の夕飯(麦チョコ)を頬張るのだった。

「あ、美味しい」

 意外と麦チョコは美味しかった。




‐2‐

 そしてきたる2月3日、俺達は【リトルミューズパーク】の敷地内にある時計塔の下にある、やたらお洒落なカフェでランチを取っていた。

 【リトルミューズパーク】は円状の敷地内の東西南北に出入り口ゲート、美術館、博物館、歴史会館が設立されており、中央広場にはさらに時計塔周辺のカフェ群、ステージ(『ジャンヌ・ダルクVSマゾティック伯爵』というヒーローショーをやる場所)があり、各建物との間には綺麗な川が流れている。建物の雰囲気的にもハウステンボスに似ているんじゃなかろうか。いや行ったことないけど。

「ねぇ、まずはどこに行く?」

「え? 美術館じゃないの?」

 カルボナーラにミルクティー、食後にはチーズケーキが待っているというなんか乳製品オンパレードなメニューに飽きる様子もなく尋ねてくる縁(今回は白いシャツに黒いパーカーを羽織るというどこか荘厳ささえ感じるコーディネート)に思わずそう返してしまった俺に彼女は「はぁ」とため息を一つ吐きながら

「あのねぇ、楽しみは最後に取っておくの、私は。それにせっかくのデートなんだしゆっくりしようよ」

「で、デート……」

「えっ。なにその反応。私じゃ不満ですか。ふーん」

「え!? いや、そうじゃないよ。ただ、縁からデートって発言が出たから、その」

「嫌だったんだ。いいですよー、まな板女にデートとか言われても嬉しくないですよねー」

「ち、ちがっ! むしろすごく嬉しいんだって! 大好きな人からデートとか言われてちょっと、言葉を失ったっていうか」

「え、あ、ありがと……」

「っ! い、いえ。どういたしまして……」

 ついとんでもないことを言ってしまったことに気付いた俺は眼前で照れる縁の姿にしどろもどろになってしまう。

「うぅ、恥ずかしいよぅ……」

 なんて呟きながら本当に恥ずかしそうにパーカーについてたフードをぎゅっと握り締めながら顔を隠す縁に俺はいよいよどうすればいいのか分からなくなってしまった。

「と、とりあえず、食べよっか」

「う、うん……」

 そんな情けないことしか結局言えず、ランチは終わった。

 正直、あの後は味なんてわからなかった。




‐3‐

 ――これはね、『本当の悪夢は私』っていうタイトルでね、なんでもブランシェ先生が一番最初に描いた絵なんだって。由来は確か事故で歩くことが出来なくなった彼女自身が自分のコンプレックスに向き合いたいと思ったから書いた絵なんだって」

「へぇ。こっちの紹介には最初に書いた絵、しか書いてないのによく知ってるな」

「まぁね。私の人生でもあるブランシェ先生の作品ならなんでもござれよ。あ、あっちにはあるのは『しっ

「『嫉妬と憤怒に蹲る毒蛇』だろ? 蛇の絵が描いてあるからなんとなく分かるよ」

「………………」

「あっ。……ごめん」

「ふーんだ」

 どうやらここ最近の自分は彼女の機嫌を損ねてばかりな気がする。

 またしてもいじけてしまった縁に俺は少しばつが悪くなって絵の方をちらっと見た。

 いやしかし、『嫉妬と憤怒に蹲る毒蛇』だけはタイトル的にも蛇って分かる絵のおかげですぐにピンときて、ちょっと面食らわせてやろうと思っただけなんだけどな……なんとか彼女の機嫌を取り戻せないだろうか。

「そ、そうだ。名前はなんとなく分かったからいいんだけど、この絵、どういう経緯で描くにいたったんだ?」

「ふっふっふっ。知りたい?」

「うん、教えてください、縁先生」

「ふふ。ふふふ。いいわよ、教えてあげましょう!」

 えっへん!と胸を張る縁の姿を見てこれが正しい選択だったと確信を得た。あとはまた機嫌を損ねたりしないよう適度に相槌を打つぐらいにしておこう。

「この『嫉妬と憤怒に蹲る蛇』はね、さっき説明したのに似てて、自分のコンプレックスから他人に嫉妬と怒りを抱いてた頃の気持ちを描いたんだって。だからかな、この絵、ブランシェ先生の絵の中で一番怖いイメージがするんだよね」

「あぁ、言われると確かにそうだな。でもさっきの絵もけっこう怖い感じだと思うけどな。こう、得体の知れない怖さというか」

「まぁ、それは確かに真貴の言うとおりかもね。でもこっちは得体が知れないっていうか得体が知れているからこそ怖いっていうか」

「まぁ、女の嫉妬は怖いっていうし――ぐふっ!?」

「そんな基準でしか物を見れない彼氏は嫌いかなー」

「さ、さいですか」

 でもそれを言うと気に入らないことがあるといじけるか鉄拳制裁という彼女も嫌なもんですぜ、縁さんよ……言うと余計怖いから言わないけど。

「あれ? 私ブランシェ先生が女の人って言ったっけ?」

「いや。調べたんだよ、俺なりに。彼女が好きなもんぐらいなるべく理解したいだろ? 彼氏として」

「ふぅーん。で、感想は?」

「けっこうな美人でし――だぁ!?」

「そんな基準でしか人を見れない彼氏は嫌いかな? き ら い か なー?」

「な、何故繰り返したんだ」

「大切なことだからよ」

「さいですか」

 とにかく、先ほど以上に彼女の笑顔が怖いのでなんとしてでも早く話題を変えよう。

 俺はさらに通路の先、まるで俺への救いのように眩い色彩で描かれた一枚の絵を指差した。

「な、なぁ。あの絵はなんだ? すげぇ色で眩しいんだけど」

「え? あ、え?」

 しかしどういったわけか、縁は俺が指差す先にある絵を見て一瞬ぽかん、としたあと目をぐしぐしとこすってまたじっと目を凝らし始めた。

「ちょ、ちょっと待って! というか来て!」

「は? お、おぅ」

 本格的にどうしたのだろうか、彼女はまるでその絵に吸い込まれるように通路をつかつか……というかずかずかと突き進んでいく。

 慌てて追いかける俺にも構わず彼女は一足先にその絵の前に辿り着くとじっと鋭い視線をその絵に注ぎ続ける。

「どうしたんだよいきなり。この絵がどうかしたのか?」

「この絵……知らない」

「は?」

「だから、知らないの、こんな絵」

「お前でも知らない絵があるんだな。……って待てよ? そういやチラシに未公開作品もきっとある、とか言ってたな。それか?」

「たぶん」

「えっと、タイトルは――『対峙』、か。……って説明文長いなおい!」

 その絵、『対峙』の下には今までの絵の説明文とか気合の入れようというか、なんか次元の違いを感じさせられるほどに長かったらしい文章が続いていた。

 しかし、そんな文章よりも縁の方は絵そのものに釘付けのようだった。その視線はずっと絵の方に注がれているばかりで説明文の方にはちらりとも視線が向けられていない。

 しかし、その絵をちらりとだけ見て説明文を読もうとした俺も――その絵を一目見た瞬間に目を奪われてしまった。

 『対峙』という物々しいタイトルとは裏腹に、そこには一人の男性が優しい笑みを浮かべて立っているだけである。ある、のだが……しかし、なんだろうか、その絵からは嬉しさや喜びだけじゃなく……悲しさといった感情が直に伝わってくる。

「っ」

 その絵にどれぐらい魅せられていたのか、俺はハッと我に返るといまだに絵に釘付けになっている縁をちらりとだけ窺って説明文の方に視線を落とした。

 説明文は要約するとこうだ。

『自身のコンプレックス故に幼少時から共にいた少年に想いを伝えられないまま、婚約してしまった少年へとブランシェが自らの想いを押し殺して描き上げ祝いの席に贈答品として捧げた一枚。その後の生涯においても彼女は少年とその家族へといくつもの絵を捧げた。彼女が胸の内に秘めた想いが明らかになったのは彼女の死後に発見された一冊の手記による』らしい。

 しかし、その説明文……いや、言葉にすら言い表せられないものをこの絵は見事に描いていると感じる。

「そろそろ行こうか」

「うん」

 俺は少しだけ彼女の世界に水を差すことに躊躇しながら話しかけると、縁はどこかぼうっとした面持ちで頷くと絵の前から離れた。

 しかし、その視線は次の絵に辿り着くまで離れることはなく、その絵に同じように魅せられていた俺ですら縁がこの画家を人生そのものと言わしめる片鱗を感じていたのだった。





‐4‐

 そして多くの感動や驚きに満ちた一日もいよいよ大詰め。

 俺達は昼の時とは違う位置にある大きな展望フロアにあるレストランで夕飯を取っていた。

「すごかったな、ブランシェの展示会」

「うん。今日は本当にありがとね、真貴」

「いやいや、むしろ俺の方がお礼を言いたいぐらいだって。リアルな恐竜ロボとかもすごかったけどあの絵が一番記憶に残ったよ」

「あの絵って『対峙』?」

「あぁ。なんか、縁が人生だ!って言ってたのが理解出来た気がする」

「ふぅーん。それは良かった」

 にやり、とどこか誇らしげに微笑む彼女がまたカルボナーラにミルクティーと乳製品オンパレードなことにはつっこまない。

「でもけっこう遅くなったな。今更だけど電車大丈夫かな?」

「あぁ、それなら大丈夫」

「へ? なんで?」

 もしかして電車の時間をあらかじめ調べてあるのだろうか。だとすれば用意周到すぎて頭が上がらない。最悪どこかに泊まる覚悟でいたのに。というか泊まって今日こそいい雰囲気だし恋人らしいことがしたいと思っていたのに。

 と、心を読まれていれば幻滅間違いなしなことを考えていた俺を置いて縁はどこか早口めいた口調で言った。言い放った。

「だってホテル予約してあるし」

「あぁ、ホテル。……って、ホテル!?」

「わ、わ! 声大きい!」

「ご、ごめん! でも、本当に?」

 まさか彼女の口からホテルなんて単語が出てくると思っていなかった、というかよからぬことを想像していただけに衝撃が大きすぎる。

 そんな俺にとどめを指すかのように縁は視線を逸らしながら頷いた。

「ほ、ほんと。なんか妙に恥ずかしかったんだからね」

「あ、あぁ、ごめん」

「そ、それより食べよ? せっかくの料理が冷めちゃうし」

「う、うん」

 なんだか昼にも似たようなやり取りをしたな、とか思いながら俺はコーヒーを飲んでみたが……やはりコーヒーの味は分からなかった。なんなら、苦さすら今は感じなかった。




‐5‐

「お風呂、いいわよ……」

「は、はい!」

 あの後、縁の言うホテルへと向かった俺達は何事もなくチェックインを済ませ部屋に辿り着いた。

 先に汗を流したい、という縁の希望に答えて先にシャワーを譲ったのだが、浴室から聞こえてくるシャワーの音に終始妄想が止まらなかった。

 いや、終始の終はまだ訪れていない。むしろ期待に妄想は膨らむばかりだ。

(まさか縁の方からホテルに予約してたなんて。いやいやでもそんなつもりは縁にはないのかもしれないぞ? いや、いやいやでもけっこういい雰囲気だしもしかしたら縁の方も実は? だ、だとしたらあれか、今夜は俺の恵方巻きをって俺は何を考えてるんだえっと南南東ってどっちの方角だ? ってそうじゃないだろ俺というか色々用意してないし大丈夫かもしかして生ってそれはやばいだろいやでも恋人同士なんだしむしろ普通かというか今更だけど学生と社会人って字面だけだとけっこうやばいなおい!)

 とこんな感じで悶々とした気持ちでシャワーを終えた俺はホテル側から用意されていたローブ(ロ―ブ! やばいよけいなんかやばい!)を羽織って寝室へと向かった。

「あ、やっときた」

「ご、ごめん。待たせた?」

 とかなんかよく分からない挨拶を返す俺に縁はどこかしおらしい様子で頷く。

「待ったよ。もう眠いし」

「だよな、ごめんな……って、え?」

 なんだろう、今なんだかとても不穏なことが聞こえた気がする。

 素っ頓狂な声をあげる俺に縁はどこか怪訝そうに眉を顰めながら

「うん。明日も早いし、寝る。おやすみ」

「は、え、寝る? え、早い? え?」

 いまだに理解が追いつかない俺に縁は今度こそ呆れた様子でベッドから起き上がると部屋に立てかけてある時計を指差しながら

「明日は近くの空港で提携を組んでくれる海外の美術館長を出迎えなきゃいけないの。だからせっかくだしついでにホテルに泊まってなるべく近く済むようにしたの。あ、服とか必要なものはあらかじめ昨日のうちにこっちに預けてあるから大丈夫よ」

「え、仕事? で、でもそのー」

「なに?」

 じろり、と睨まれてしまってはさすがの俺も「恋人らしいことがしたいです!」とは言えなかった。俺はしっとりと水気を含んで濡れる彼女の瞳を見つめながら

「えっと、おやすみ」

「うん、おやすみ」

 それしか言うことが出来ずベッドに潜り込んだ。

「……真貴のばーか。いくじなし」

「? なにか言った?」

「っ!? なにも!? おやすみ!」

「お、おう。おやすみ・・・・・・」

 こうして、俺の節分の夜は終わりを迎えたのであった。




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