旅の理由。

音佐りんご。

夜の森にて。

 ◇◆◆◇


  夜の森。

  焚き火にかけられた鍋を前に少年と旅人。

  焚き火が時折爆ぜる音。


少年:なんで旅に出たのか。

旅人:おう、何かあるのか?

少年:うーん、さぁね。

旅人:さぁねって。何も無しに出てきたのか?

少年:いや、まぁ、そりゃ色々あるけどさ。

旅人:ほぅ、色々? 例えば?

少年:例えば、俺は村一番の健脚で、狩りもそこそこ上手かった、とか。

旅人:はぁー狩りが。そいつは羨ましい。

少年:おじさん、そういうの苦手そうだもんな。

旅人:魚獲ったり野生の獣を追うなんて俺にゃ無理だ。

少年:それでよく旅なんてできるな。

旅人:いやいや、やってみりゃなんとかなるもんよ。水やら食料きらさなけりゃ滅多なこともねぇしな。

少年:にしたって、多少はそういう心得も必要なんじゃねぇの? この辺じゃ山賊だって出るんだろ?

旅人:山賊だって相手くらい選ぶわな。

少年:確かに、金持ってるようには見えないもんな。

旅人:ははっ、持ってるように見せねぇのが旅のコツよ。

少年:コツ?

旅人:獣からも山賊からも「こいつは如何にも美味しくねぇ獲物だな」って思われときゃあ、とりあえずなんとかやってける。旅ってのは何もねぇのが一番さ。

少年:そういうもんかなぁ。

旅人:そういうもんさ。

少年:でもさ、そんなのつまんなくない?

旅人:食われたり、襲われる方が楽しいのかい?

少年:そうは言わないけどさ、俺が旅に出た一番の理由。

旅人:そいつは?

少年:自由になりたかったから、かな。

旅人:ふ、ふふ、あははははは!

少年:……おいおい、笑わないでくれよ。真面目に答えてんだぜ?

旅人:はは、悪い悪い。

少年:そりゃあ自分でも青臭いとは思うけどさ。

旅人:青臭くていいじゃねぇか。実際その通りなんだからよ、少年。

少年:うるさいなぁ。

旅人:でも、自由、か。なるほどな。

少年:わざわざ旅に出ようなんてやつは、多かれ少なかれそんなもんでしょ。

旅人:みんな自由を求めてるか?

少年:本当の居場所とか求めたり、見たいものを見るために。

旅人:ふむ。

少年:なんかそういうのあるでしょ?

旅人:心当たり、なくもねぇがな。

少年:なんか随分曖昧な答えだね。

旅人:旅に出たのなんて随分昔のことだからな、そりゃ曖昧にもなるさ。

少年:そっか。

旅人:ああ。旅してると理由なんてのは段々ぼやけていくものさ。

少年:おじさんいくつなの?

旅人:はは、お前さんの思う二回りは年食ってるだろうな。それも長く続く道の中で食ってきた物だ。もちろんそれも、如何にも美味しく無さそうに食ってきたぜ。

少年:苦い経験って奴?

旅人:ああ、苦くも辛くも酸いも甘いもごった煮だな。

少年:色々あったんだ。

旅人:そりゃぁ多少はな。

少年:おじさんはずっと旅を?

旅人:ああ。

少年:いつから? それになんで旅に出たの?

旅人:いつから、お前さんと同じ年の頃だな。

少年:へぇ。自由を求めて?

旅人:自由、自由か。ああ、そうだな。でもそいつは求めるまでもなく、ありふれてたさ。寧ろ、それしかなかった。

少年:どういうことさ?

旅人:もとより縛るものなんて何も無いってことよ。無くなった、かも知れねぇが。

少年:それって……もしかして、

旅人:あぁ。


  間。

  焚き火が爆ぜる。


少年:……そうか。故郷を、失ったんだな、悪い。

旅人:いや、違うが。

少年:なんだ、違うのかよ!

旅人:ははは。全然違うんだなぁ、これが。

少年:聞いちゃいけなかったと思ってひやっとしたよ。

旅人:つまんねぇ気ぃ遣おうとすんなよ、自由の少年。知りたいことがあれば知れば良いし、知りたくねぇなら突っぱねれば良いさ。それが旅なんだろ? 見たいもんだけ見てりゃいいや。

少年:そうは言っても知られたくねぇことだってあるだろ、人には。

旅人:それこそ知られたくなきゃ突っぱねるよ。自由にな。

少年:あっそ。それで、何があったんだよ?

旅人:言ったろ、何も無かった。

少年:何もなかった?

旅人:健脚だの、狩りが上手いだの、そういうもんは何も無かったのさ。

少年:だから旅に?

旅人:要するに何も無いから旅に出た。

少年:いや、よく分かんないんだけど。

旅人:分かんないか。まぁ、持ってる奴はそうかもな。それも自由か。

少年:じゃあ、家族とかは?

旅人:家族?

少年:まぁ、俺もあんまり人のことは言えないけどさ、なんか引き留める人とかいなかったの?

旅人:いなかった。その頃にはどっちも。

少年:……そっか。

旅人:あぁ。でも唯一、ニカっていう気弱な幼馴染みがいたな。

少年:へぇ気弱、かわいかった?

旅人:かわいい? あぁ、あいつは村一番だな。

少年:そっかー! なるほどなるほど、惚れてたんだね、おじさん。ニカちゃんに。

旅人:ニカちゃん、か。はは。残念ながらそういうのじゃないな。

少年:照れなくても良いじゃん。分かるよ、うんうん。

旅人:そういうお前はどうなんだ? 狩りが出来るようなやんちゃ坊主だ、好いたり好かれたりの一人二人あっただろう?

少年:お、俺? 俺は……あー、なかったな。

旅人:ほんとか? 今、お前の目に誰か居たが?

少年:なんで分かるんだよ。

旅人:目が悪けりゃ旅は出きんよ。

少年:かもな。まぁ、いたのはなんていうか、妹みたいなもんだよ。

旅人:妹?

少年:いっつも俺について歩いてくる、そんなやつ。

旅人:なるほどな。

少年:俺が発つとき、泣いてたっけ。

旅人:はは、ひどい兄ちゃんだ。

少年:けど、俺には俺の生き方があるからさ。

旅人:そうだな。


  夜啼き鳥の声。


旅人:ニカにも、俺とは違う道があった。

少年:……あぁ、結婚しちゃったのかその人。

旅人:そうだが、今のでよく分かったな。

少年:ガキのくせにって?

旅人:はは。

少年:おじさんは俺のことガキだって馬鹿にするかも知れないけど、旅にに出りゃ一人前だろ?

旅人:一丁前に女も泣かせてるしな?

少年:うるせぇ! おじさんは逆に泣いたクチだろ?

旅人:嬉し泣きだがね。

少年:よく言うよ。それで、心残りも無いし飛び出してきた感じ?

旅人:まぁ実際、唯一の心配事が無くなったのは大きいか。

少年:色気のない言い方。

旅人:この話に色気なんて、そりゃ無いだろ。

少年:どうして? でもニカちゃんのこと好きだったんでしょ?

旅人:好きかどうかで言えば好きさ。

少年:ほら。

旅人:ただ、それこそお前の言う妹みたいなもんってのが近いな。

少年:ほんとに? でも、おじさん結婚したかったんじゃないの? ニカと。恋敵にとられたから旅に出たってことなんでしょ?

旅人:俺とニカが? ははは。なんだそれ。全然思い違いだな。

少年:別に隠さなくても良いだろ! 正直に言えよ、おじさん。そうなんだろ?

旅人:じゃあ正直に言うが、

少年:おう。

旅人:男だぞ。ニカは。

少年:んなっ?! ニカ、男なのか!

旅人:ああ。

少年:嘘ついたのかよ!

旅人:嘘はついてない。

少年:でも村一番の気弱でかわいい幼馴染みって……。

旅人:村一番の気弱でかわいい幼馴染みが男で悪いか?

少年:いや、悪くはないけどさ……納得いかねぇ。

旅人:だから、村で一番気弱でかわいらしい奴だったから、心配だったって話さ。

少年:はぁ?

旅人:そんな心配な幼馴染みが無事結婚して一人前に、というか一人前の嫁さんに手綱握られてりゃ、まぁ一安心で旅にも出られるだろ。それで言うなら、俺は晴れて自由の身になったって事だな。

少年:そういうことかよ。

旅人:自由だったから旅に出た。思い返せばそういうことらしいな、どうも。

少年:ふぅん。

旅人:なら、飛び出してきたっていうのも間違いではないのか。


  夜風が木の葉を揺らす音。


少年:じゃあさ、旅に出たことに後悔ってある?

旅人:あるよ。あぁ。あるね。

少年:そっか。……俺も。

旅人:それこそ、わざわざ旅に出たやつなんてのは、多かれ少なかれそんなもん。だな。

少年:まぁ、そうだよね。

旅人:引き留めるものは何も無いからな。それが、良いことなのか、悪いことなのか、俺にはもう曖昧だがな。

少年:苦労も多いし、死にかけたのも今日だけじゃない。

旅人:人に迷惑かけたのも、か?

少年:はは、うん。ありがとう。ほんと助かったよ、おじさん。

旅人:なに、気にするな。全ては旅の中でのことよ。助けるのも助けないのも自由。そうだろ?

少年:そう、なのかな。俺はまだそんなに旅慣れてないけど。

旅人:そうだろうさ。いつか嫌になったらやめれば良い。

少年:その頃にはやめられなくなってるかも知れないけど。

旅人:帰る場所はあるんだろ?

少年:リリアに、その妹みたいな奴にひっぱたかれたくなれば。

旅人:案外優しく抱きしめてくれるさ。

少年:どうかな。俺がいなくなって案外立派になってるかもしれない。

旅人:はは、それも旅なんだろうな。リリアとやらにとっての。

少年:かも知れないね。

旅人:それを考えると、旅に出た理由、か。その是非はさておき、得た物も与えた物もあったのかもな。

少年:何かの縁で人と出会ったり、とか?

旅人:厄介ごとも多いがな。

少年:それはそうだね。でも、それも含めて良かったんじゃないかなって俺は思うんだ。色んな出会いと、そして色んな別れがある。それが旅で、人生なんだって。

旅人:ふ、ふふ、あははははは!

少年:……おいおい、笑わないでくれよ。真面目に言ってんだぜ?

旅人:はは、悪い悪い。

少年:そりゃあ自分でも青臭いとは思うけどさ。

旅人:青臭くってもいいじゃねぇか。これからどんどん俺みたいにおっさん臭くなっていくんだからな。

少年:うげぇ。嫌な台詞だなぁ。

旅人:ははは、でも、旅ってのはそういうもんさ。

少年:そういうもんかなぁ。

旅人:多分な。

少年:あっそ。


  焚き火の爆ぜる音。


少年:そういやそろそろかな。

旅人:おう?

少年:……お! いい感じに煮えてるな!

旅人:何作ってたんだ?

少年:それ程凝ったもんじゃないけど、ちょっと前に仕留めた獲物の干し肉と、さっき見つけた幾つかの香草、それに、おじさんから分けて貰ったかっちかちのパンを煮込んだやつだよ。さぁ、食いなよ。

旅人:へぇ、料理も出来るんだな、お前。

少年:実家が飯屋でさ、腕には多少自信あるんだ。

旅人:なるほどな。でもいいのか?

少年:助けてもらったからな。ほんのささやかなお礼だよ。

旅人:律儀なことだな。有り難く頂くよ。

少年:ああ。召し上がれ。


  旅人、少年から器を受け取り口にする。


旅人:……ほう。酒場の下手な飯より断然美味いな。

少年:だろ? これも旅のおかげかな。色んな街で料理の技を盗んでんだ。料理に適した草とか木の実もそれで覚えたんだ。

旅人:ふうん。……あぁ、美味い。

少年:へへ。

旅人:店でも出したらどうだ?

少年:悪くはないけどその気は無いかな。

旅人:どうしてだ?

少年:だって、この料理が美味いのは森で取れた新鮮な素材があるからこそってのと、言っちゃ悪いけど、おじさんの問題だと思うよ?

旅人:なに? どういうことだ?

少年:普段まともなもの食べてないだろ。なんだよ、あのパン。よくそのままで囓れるな。焦げてるのかと思ったよ。

旅人:あれ、日持ちするんだよ。旅には欠かせねぇ。

少年:それは分かるけど、つまんなくない?

旅人:旅ってのは何もねぇのが一番さ。

少年:じゃあ、返せよそれ。

旅人:ここで食ったのも何かの縁だ。しっかり味わうさ。

少年:しっかり味わう、か。俺もだよ。

旅人:ああ?

少年:折角始めたこの旅を、しっかりと最後まで味わいたいんだ。俺の旅はまだ始まったばかりだから。

旅人:はは。そうだな。

少年:やっぱ、こうして誰かと喋りながら食うのもいいもんだな。

旅人:あぁ。悪くない。だが、そうか。店を開かないなら、この味はここでしか味わえないわけだ。惜しいな。

少年:気に入ったのかよ。

旅人:まぁな。

少年:またどっかで会ったら、その時もご馳走してやるよ。

旅人:ほんとか?

少年:次はしっかり代金頂くけど。

旅人:なんだよケチくせぇな。

少年:その分、腕上げるから楽しみにしてなよ?

旅人:ほう。そいつは。

少年:さて、俺も食べるとするか。

旅人:すまん。もう一杯、もらっていいか?

少年:いいよいいよ、じゃんじゃん食べな。

旅人:ははは、ありがとよ。


  少年、旅人の器と自分の器にスープをよそう。


旅人:ありがとよ。

少年:どういたしまして。

旅人:よぉし、それじゃあ、景気づけだ。

少年:景気づけ?

旅人:酒はねぇしお前はガキだがここには飯がある。

少年:それが?

旅人:決まってんだろ? 乾杯だ。さ、器出せ?

少年:乾杯ねぇ。

旅人:ん、んんっ!

少年:…………。

旅人:それでは! ここで偶然出会った俺達の巡り合わせへの感謝と、お互いに素晴らしき旅のあらんことを祈って。


  二人、器を掲げる。


旅人:(同時に)いただきます。

少年:(同時に)いただきます。


  二人の食事の音と歓談の声が森に響き、時折爆ぜる焚き火の音に飲まれ、

  次第に静かになっていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

旅の理由。 音佐りんご。 @ringo_otosa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ