第3話 とんぼ返り燕返し

 からりからりと回る車輪。

 小石を踏みつけ時折ガタリと揺れながらも、駆ける馬車は緩やかに軽やかに、一面見渡す限りの雄大な大地を颯爽と走り抜ける。

 風のようと称された疾走はまさしく。おまけにジークは竜狩りの一件に気をよくしたためか、御者は一段とその速度を神速と上げてみせた。


 やがて段々と減速し始めた頃。

 ジークはこんっと、背後の覗き窓を軽く叩き、停止の合図をしてみせる。


「みんなもう着くよ。降りる準備をしておいてねー」


 よくとおる、ハキハキとした簡潔な言葉。

 その呼びかけに、中の3人はまた違った反応を見せる。


「……ふう。まるで何をしたわけでもないのに、どうしてこう、体というのは重く感じるんだろうね。一仕事終えたというのは確かにそうだが」


 到着後に待つ仕事の退屈さに、ここにきてマキナは言い訳がましい言葉をぽつり。それはどうにか肩代わりしてはくれないかという淡い期待で、ため息とともにマキナの口から洩れ吐かれた。


 しかしある者は──それを許さぬ反応を示す。

 一仕事も何も、今日一日全く仕事をしていないことをよく知っているルルは、マキナの言葉を聞き逃さなかった。


「座ってるだけで疲れたとか、甘えたこと言ってるんじゃないわよ。

 忘れてない? 盗賊退治の事。これからがマキナの出番だっての」


 面白くないことはすべて拒否する姿勢。

 そんなマキナのいつも通りに、ルルもルルで呆れ顔は隠さなかった。

 

 ……そんな中。シャーロットは外の景色をしきりに窓から覗き見て、焦ったようにちらりちらりと。すると前と横とに座る二人、とりわけアクシデントを楽しむマキナは、落ち着かぬ様子を見せるシャーロットへ意図を尋ねた。


「ん、どうしたんだいシャーロット。何か面白そうなものでも?」


 話題を逸らす意図はないにせよ、奇しくもそれが叶ったマキナ。シャーロットはルルの不満顔に少し怯えながらも、彼はジークの言葉から覚えた、ちょっとした違和感をおずおず口にした。


「あのー、何か忘れているような気が……」

「忘れている? いや、忘れているも何も馬車が止まったということは目的地に着いたということだ。──ああ、なるほど。もしかして壊れた城壁のことかい? あれならもう──」

「それはその、違くて……。えと、ここってセクレントン……です、よね?」

「……え?」

 

 1000年の月日は確かな変化をもたらした。

 王都然り、国の内情然り……。積み重ねられた歴史は、生前のシャーロットの知るそれとはあまりにもかけ離れたものであったのだ。

 しかしものの数時間。馬車に揺られながらの会話で、その差というのは致命的に埋めるに難しいというほどの大仕事ではなかった。

 実を言えば国それぞれの歴史だとか、知っておけば得をするようなもの以外の基本的は、シャーロットなる古代人には備わっていたのだ。

 

 例えば魔法。

 体内の魔力を術式に通すことで現象を発生させる、貴蹟の指先。

 ……承知していた。

 例えば魔術。

 術式を現実に直接書き出し、魔法を再現する現象の発生方法。魔法の発展。

 ……当然のごとく承知していた。

 例えばこの大陸。

 4つの国と一つの街で成り立つ、レイエッタ大陸について。貴族の偉業。

 ……知らない方がおかしいという具合に承知していた。


 ルルはシャーロットに意外にも教養と知識とが万全に備わっていたことへ喜びを覚えつつ……。しかし『つまりそれって1000年前から大して魔法も魔術も大陸も、なんにも変わっていないってことなんじゃない?』と。口にしないことでダメージは抑えられたが、魔法使いも魔術師もまるで成長していないという事実は、夢抱くルルには着実に重くのしかかった。

 

 ──そして話は戻る。

 セクレントンとは、それぞれの国に囲まれた丁度真ん中に位置する街であり、5のダイスが大陸を表現するときに使われるもの。

 それを知っていたシャーロットは、盗賊討伐の依頼についても聞いていたので、今セクレントンで停止したということはつまり、と……その想定を口にしたのだった。

 

「じ、ジーク!! セクレントンに戻ってどうする?! 仕事をせずに帰るのはさすがに……」

「え? 何言ってんのさ。ルルの送迎も済んで、おまけに竜だって倒しただろ?

 俺達の仕事はもう終わっ……あ、わす──言われなかったからだ」


 忘れていたらしい。


「今日ばかりは勘弁してくれ。言われなかった、じゃないっ!!

 ジーク、馬車の中の私達が僅かな景色でどう、今どこに向かっているか判断するって言うんだ!? ルルじゃないんだジーク、そんなお茶目は出さないでくれ」

「ちょっと、聞こえてるわよ」


 盗賊退治の前の肩慣らしという一仕事を終えたジーク。だが肩慣らしというにはいささか過酷で、しかし討伐自体の速度はあっという間であったものの、竜の討伐で疲れていないわけでは無かった。彼はそのせいか行先を盛大に間違え、単なる往復のさながらピクニックをしてしまったのだ。

 

 そして不意に。

 窓をコンと、叩く音。

 それはシャーロットが覗いていた方の窓とは反対側で、先ほどと違ってジークが叩いたのではない。

 

「げ」


 マキナはちらりと窓の外を見て、そう口にした。

 冷や汗をかくその姿は、竜を前にしていた時の余裕が消し飛んでいることがシャーロットにも分かる。

 ……見ると、馬車の真横に一人の女性が立っていた。

 金髪にショートカット。赤と白のきちりとした装いは制服らしく、スカートをひらりと揺らすその女性は笑顔でこちらを見つめていた。


「あらまあマキナ、慌てちゃって。一体どうしやがりました?」


 笑顔と溌溂はつらつとした明るいの声の反面、その瞳は全くの冷たさ。

 シャーロットはそれを見て、眼が笑っていないとはこういうものなんだと理解できた。

 そして当のマキナは、恐る恐るといった感じで口を開く。

 

「……この子の、冒険者登録を……しようと、な。

 だから、決して依頼をすっかり忘れていたわけじゃない。そして仮にそうだったとしても、今回ばかりは私のせいではないぞ……サリーナ」

「そう? なら良かったです。ええ本当に。

 冒険者登録ですね。だったら早く馬車を降りて、さっさと済ましに行きましょう。

 そうですよね。まさか何の理由もなく仕事もしないで帰ってくるほど、自分の状況を理解していないわけないですものね?

 ……全く。理由があって助かりましたね、マキナ」


 ──言葉のやり取りの後、一行は促されるがままにセリーナの後ろをついて行った。

 向かう先はセクレントンの中心。中央ギルド『塔』。

 冒険者の集まる街の心臓である。

 

 セクレントンの入り口から真ん中へ。

 煌びやかに彩られた街並みと人混み。そこは歩くだけで話のタネになるようなものばかり。活気に満ち溢れた冒険者の街の姿は、日々の新たな発見の数々に囲まれて目が回る。

 とりわけシャーロットにとっては、初めて触れる現在の繁栄の様子であるということもあってか、すれ違う耳の長いヒトや角の生えたヒト、あるいは鉢植えに飾られた花の名前まで、彼にとっては何もかもが気になって仕方がなかった。


 だが。道中、残念ながらそんな穏やかな会話が繰り広げられることは無かったのが現実である。


「……」

「……」


 ひと段落着いたはずの会話はどうも尾を引いており、言い足りないであろうことがセリーナの態度にも表れていた。

 というのも、セリーナがマキナへ向ける敵対に類すると言っても過言ではない冷たい目線が、ひりつく空気となって蔓延していたのだ。妙な緊張感に、和やかな会話が許されない。

 しかし。マキナはそれを打開するためか、あるいは退屈の我慢が限界だったのか。彼女は勇気をもって口を開いた。


「そういえば。それよりどうしてここに、サリーナ? 君は中央ギルドの中で業務をする職種、つまりは受付嬢だったはずだけど……」

「──? そうですね、確かに私は受付嬢ですよ。仕事をしない『舞台裏』とかいうギルド専属の。だからこそカウンターの前で愛想振りまいて立っている意味がないんですから、あなたが依頼の達成することなく帰ってきたという知らせを聞けば、こうして門前に来るのはそうでしょう?

 ……というか、貴方のおかげで私が職場でどれだけ居心地が悪いか、想像できます?」

「できな──」

「でしょうねでなければ私がこんなにひどい目に合うわけないですからね、分かりますか? 来る日も来る日も他の冒険者はあくせく働いて、他の受付嬢はそんな冒険者達と同じように必死に事務仕事やら依頼管理やらなにやら頑張っているのに、私ったら仕事もなしに、最高ランクの『舞台裏』専属であるというだけで、お給料をたくさんもらっちゃっているんですよ。

 マキナ。これって私が優秀なのがいけないの? いえ、他の受付嬢からの嫉妬はいいの。今までの努力と私に備わった実力を鑑みれば、今の待遇はそういうことだから。それでもね、白い目で見られながら食べるご飯って、ものすっごく味のしないのなんの──」


 その愚痴は聞いてようがなかろうが関係ないらしく、『塔』へ向かう最中はずっとこの調子であった。

 その様子にマキナは耐えかねようで、隣のジークに一言漏らす。


「ジーク。やっぱりこの子怖い……」

「残念だけど、日頃の行いだね。これを機に悔い改めるといいんじゃない?」

「そーよ。アンタも少しは痛い目を見るべきだったってことよ」

 

 ジークとルル。振り回される日常にいい加減不満がたまっていたのは、どうやらお互いの共通であったらしい。

 暖簾に腕押しと言うが、暖簾だってしつこいくらいに押され過ぎたら身の危険を感じる。その身に響く攻撃が一つでもあるということを知ってしまう。

 つまり、のらりくらりかわすマキナを、サリーナだけは地の果てまでも追い詰める根性で、決して逃がすことは無かったのだ。

  

 


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