26 壁

 たった一つ、「私たちは付き合ってない」それをみんなの前で話せばこの状況もすぐ終わるはずなのに……。どうして……胡桃沢雪乃は何も言わないんだ……? 次の日も、そしてその次の日も……。一人で黙々と勉強をして、周りの人がだんだん減っていくのに……そんなこと全然気にしていなかった。


「…………」


 みんな誤解をして、胡桃沢雪乃から離れていくのに……。

 どうして平気でいられるの? そんなの苦しくない? あんたはずっとみんなの憧れだったよ……? その写真で男たちががっかりして、あの日からもう男たちが寄ってこないのに……何も感じないの? 分からなかった。


 みんなに皮肉を言われるのに、胡桃沢雪乃は我慢している。


 あの女から宮下くんを引き離すことには成功したけど、何か……変だった。

 今まで築き上げたすべてを諦めて……、普通の女の子になろうとするのは理解できない。誰もが憧れていたその名誉を諦めるのが私には怖かった。でも、私は胡桃沢雪乃にはなれない。だから、私の居場所はここではなくスマホにある青色のアプリの中だった。


 陰からこっそり悪口を言うだけ。

 たくさんの人にチヤホヤされるここが私の居場所……、今日もみんなのためにモザイクした私の写真を投稿する。


 ……


「宮下くん……! 今日も…い、忙しいかな?」

「小林さん……。あっ、今日は家事とかいろいろあってごめんなさい」

「え……、そうなんだ」


 胡桃沢雪乃はこの状況を引き起こした人が誰なのかまだ分からない。

 だから、私は宮下くんに集中したかった……。

 なのに、どうして……、宮下くんはいつも忙しいの? 胡桃沢雪乃もあんまり声をかけないし……、二人の関係はすでに終わってるはずなのに……。宮下くんはいつもと同じ、全然変わらなかった。


 そして別の日。


「宮下くん! 今日は……今日もダメなの?」

「は、はい……。今日はお、お母さんと久しぶりに夕飯と食べることになって……」

「へえ……、そうなんだ」


 そしてまた別の日。


「宮下くん……。私、宮下くんと一緒に遊びたいから……今日は……」

「あの……、今日も……ダメです。最近忙しくて晶と全然ゲームしてなかったから今日はゲームの約束があって……。すみません」

「…………」


 何? このわけ分からない距離感は……?

 ため息をついて席に戻る時、「ぷっ」と笑う胡桃沢雪乃に気づく。


「…………」


 あの女、今笑った……? なんで……?

 今、こっちを見て笑ったよね? 胡桃沢雪乃。

 まるで私が知らない何かを……、あの女はすでに知っているような…そんな顔だった。


 ……


 放課後、教室。


「雪乃ちゃん! 今日は掃除当番なの?」

「うん。そうだけど……? いちかちゃんは帰らないの?」

「私、今日友達に頼まれてね?」

「へえ……、そうなんだ」


 あの可愛い声……、その声で宮下くんを誘惑したの……?


「二人で話すのは初めてかも……」

「そうだよね」


 どこから……、どこから聞けばいいのかな。

 さりげなくそれを聞き出したいのに、その質問を考えるのがけっこう難しかった。


「あの……、最近男子たちあんまり寄ってこないね? 雪乃ちゃん」

「そうだね。ありがと、いちかちゃん。おかげで面倒臭いことが減ったよ」


 うん? 今、私にありがとうって……。


「へえ……、どうして私に?」

「当然でしょ? その写真を撮ったのはいちかちゃんだから……」

「…………」


 この女……、私がやったことを知っていたの?

 なのに、ずっと黙ってて……。


「し、知っていたの……?」

「うん。それに面白いのを見つけたよ! ちゃんって本当に肌が綺麗人だよね!」

「…………」


 私の裏アカ……まで、知っていたのか? この女は……。

 どうして……? そんなことまで知っているとは思わなかった。私の裏アカウントは友達にもまだバレてないのに、この女……どうやってそれを……? 一瞬、体が固まって何も言えなくなった。私の……秘密を知っている。胡桃沢雪乃……。


「あ……、あ……。今日も笑っているあの女、気持ち悪い……。いつも男たちの告白を断ってみんなに自分は偉い人だよって見せつけるあのやり方も、本当に気持ち悪くてたまらない……って私の話かな?」

「そ、それは……」

「そしてここに書いているのはほとんど、うちのクラスで起こっていることだよね? それにミヨちゃんとユキちゃんはいちかちゃんの友達なのに、SNSではさりげなく悪口をするんだ……。友達じゃなかったの?」

「…………っ」


 全部、知っていた……?


「写真もいっぱい撮ったよね……? いちかちゃんは私よりいい体をしてるから、だからみんなに見せてあげたかったよね……? 胸とか……、いろいろ恥ずかしいところまで……」

「そ、それは……!」

「あははははっ。緊張しないで……、それがいちかちゃんの仕業だと最初から知っていたよ? でもね。私は全然怒ってないから……緊張しなくてもいいよ」


 胡桃沢雪乃の目は死んでいた。

 その可愛い声とは全然似合わない表情でこっちを見ている。この女、元々こんな雰囲気だったの……? 誰もいない教室で、胡桃沢雪乃は私を脅かしていた。それより私の仕業だと最初から知っていたくせに、どうしてずっと黙っていたのかも分からない。一体。何がしたいんだ……? 胡桃沢雪乃……。


 二年間、誰にもバレてない私の秘密を……胡桃沢雪乃にバレてしまった……。


「ど、どうして……?」

「ねえ。私は自分の評判がどうなっても……、別に気にしないからいいけど……。いちかちゃん……」

「う、うん……」


 後ろに……胡桃沢雪乃がいる。

 い、息ができない。


「私は人の欲望についてよく知ってるから……、今回だけ何もなかったことにする。だから、いちかちゃんも朝陽くんのことを諦めてね? これは忠告だよ?」

「……そんな! 私が先に好きだったから! そんなことできるわけ……」

「いちかちゃんは人の話をちゃんと聞いてくれないんだ……。どっちが上なのか、教えてあげた方がいいのかな……?」


 嘘……、それは……私がゆうくんに言ってた言葉……。

 一体、どこまで知ってるんだ。胡桃沢雪乃は……。


「…………っ」

「だから……、いちかちゃん。私はね……。人の物に勝手に手を出したら……、次はないって言ってるの。分かった?」

「…………う、うん」


 その笑顔を見て……、本能が危険だと叫んでいた。

 この女に近づいてはいけない。


「掃除は終わったから先に帰るね〜」

「…………」

「バイバイ」


 こっちを見て、笑っている。

 クッソ、あの女……一体なんだよ。

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