コボルト=メイジ=ワンダルフ。『犬男』と『大女』
仁渓
第1話 ワンダルフ
1
三つある探索者ギルドの受付窓口は、そこそこ混んでいた。
二つは観光客用の受付、一つは俺のような探索者用の受付だ。
観光客用の受付は大行列、探索者用は小行列だった。
身長百五十センチの俺には高さ百二十センチのカウンターは、かなり高い。
自分の順番が来た俺は小型種族用に床に置かれた足場台の上に、ちょこんと乗った。
手首から指先まで白い毛に覆われた肉球のある両手をカウンターの上に置く。
腕より上の毛は黒だ。
「昼過ぎだというのに随分混んでるな。異常事態かい? 魔族でも出たとか?」
フードを目深に被って顔を隠したまま受付の若い女子職員に俺は訊いた。
あはははは、と、俺と同じぐらいの歳だろう女子職員は楽しそうに笑った。
「こんな観光ダンジョンに魔族なんか出ませんよ。最近、浅い階にミスリルスライムがよく出るんです。お陰様でラッキーヒット狙いの初心者から上級者まで大盛況です」
「悪いことだけが異常じゃないぜ。ミスリルスライムの大量発生なんて十分異常だ」
「あらっ、お客さんの狙いもそれじゃ?」
俺は隠してもフードから突き出てしまう黒い犬のような鼻面を左右に振った。
「探索者カードと魔導士カードだ」
俺は受付嬢に二枚の金属製のカードを差し出した。
「各地の魔族の痕跡を調査している。ギルドの過去の日誌やデータを見せてほしい。魔導士協会に所属する者ならば無条件で見られるはずだ」
「こちらに手を」
受付嬢は俺からカードを受け取るとカウンターに置かれた直径五センチほどの黄色く光る水晶玉を手で示した。
俺は右掌の肉球で水晶玉に触れた。
受付嬢がカウンター裏の別の水晶玉に続けざまにカードをかざした。
カードと本人は魔法的に結合されていて専用の水晶玉を使えばカードに記録されたデータを読める。
俺の掌の下で水晶玉が二度、黄色から青に変わった。
「ワンダルフさん。照合できました」
受付嬢は、にやりと笑った。
「どこかで聞いたような探索者ネームね」
「魔法がうまくなるように伝説の魔法使いの名をもじって、つけたのさ」
「あら?」
受付嬢は自分の前の水晶玉を見ながら怪訝な顔をした。
「種族、ヒューマン?」
俺の見た目はコボルトである。
俺からは見えないが水晶玉には俺の本当の種族であるヒューマンが表示されているのだろう。
俺は、くん、と鼻をひくつかせた。悪意の臭いがする。
「どけ、コボルト。俺が先だ」
誰かが背後から、くるりと丸まって立つ俺の尻尾をつかもうとした。
太く、黒く、先端の毛だけが白い自慢の俺の尾だ。
俺は鞭のように尾を振ると伸びてきた相手の腕に思いきり叩きつけて払いのけた。
俺は振り向いた。
相手は屈強な体つきの禿げた大男だった。
腕も足も貧弱な坊やである俺より十倍太い。
皮鎧を着て腰に長剣を帯びている。
「飲んでるのか」
俺は言った。
男は呼気から酒の匂いがした。
「てめえ、何しやがるっ!」
男は怒声を発した。
「しやがろうとしたのは、そっちだろう」
念のため俺は受付嬢に確認した。
「ここのギルドは力づくで割り込んでもいい仕組みか?」
「いいえ」
受付嬢は冷めた目で男を見た。
騒ぎの発生に周囲にいた人間が一斉に俺たちから離れてカウンター前に俺と男を取り囲む空間ができた。
「観光客じゃないな。落ち目の探索者がミスリルスライムで逆転狙いか。探索前なのに酒を飲む習慣こそ、まず改めろ」
「コボルトのくせに」
「慌てなくともミスリルスライムは逃げやしないよ」
言ってから俺は首を振った。
「いや、逃げるな。逃げる逃げる。すぐ逃げるのがミスリルスライムだ」
あはははは。自分で言って自分で笑ってしまう。
「剣に手をかけるなよ」
笑いながら俺は男に忠告した。
無駄だった。
男は剣を抜こうとした。
「ゆら」
俺は呟いた。
同時に剣を抜こうと柄を握った男の手に小さな火が出現して、すぐ消えた。
火炎系最下級呪文『ゆら』だ。
焚火に、ゆらっと火が立ち上る様から名付けられたという。
火力はマッチを、しゅっと擦った程度である。
主な用途は、ずばり、着火。本来、戦闘向きではない。
「あち」
声を上げる男に向かって、俺は跳んだ。
腹、胸と二段蹴りを放ってバク宙する。
勢いで俺のフードが
コボルトの俺の黒犬の顔が露わになった。
左耳根元の頭頂部寄りから右目を斜めに切断するように右耳全体を含む顔の三分の一の毛が俺は白い。
他には両手足と尻尾の先が白毛だった。残りは腹も背も全部黒毛。
男は仰向けに吹き飛んだ。
俺は男に馬乗りになると素早く自分の両腰の鞘から短剣を抜き放った。
両手に握った短剣の刃を左右から相手の首に押し付けて挟み込む。
「
男は、ごくりと唾をのんだ。
「勘弁してくれ」
男は泣きそうだ。
「見た目や先入観で相手を判断しない方がいい」
「悪かった」
俺は男から降りて立ち上がった。
男は、すごすごと人混みへ逃げ込み、どこかへ去っていく。
俺は両手でくるりと短剣を回すと、ぱちんと両腰の鞘に納めた。
見ていた人たちから大歓声が沸き起こった。
「アトラクションじゃない」
俺は無表情を装おうとしたが、つい、尻尾が振れてしまった。
カウンターの裏から受付嬢がカードを持って俺の元に来た。
「
俺はカードを受け取った。
「
俺は自分が魔族の痕跡を調査している理由を説明した。
各地の探索者ギルドを魔族の手掛かりを求めて渡り歩いている。
俺は俺を囲む人混みの中に
額の左右から大きな角が二本生えている。
『
いや、オーガなら、女でも二メートル五十はあるはずだ。
身長二メートル程度だから、
半オーガ女は、俺を見て、あんぐりと口を開けていた。
だが、その顔は右半分が
残りの半分は
顔だけでなく見えている素肌部分の多くは分厚い瘡蓋のような古傷に覆われていた。
傷がついてできた瘡蓋が治りきらない内に次の傷がつき、また瘡蓋になる。
おそらく、そんな繰り返しで、ごつごつとした岩肌のような見た目になっていた。
もとの素材は悪くないため火傷と瘡蓋で余計に痛々しい。
両目は開くようだったけれども左右で大きさが違っていた。
俺は見開いた半オーガ女と目が合った。
半オーガ女は驚いたような顔をしていた。
『何だ? 俺の顔を知っている?』
瞬間、
「ポチ~っ!」
人混みをかき分けて半オーガ女が猛然と俺に抱き着いてきた。
「やっぱり生きてただな。元気だっただか?」
言いながら半オーガ女は俺の顔をモフモフと揉みしだく。
逃げようとしたが怪力で抱えこまれて不可能だった。
「ちょ、おい」
半オーガ女から悪意の臭いはしない。
あったならば、そもそも近づかせたりはしなかった。
悪意を、まったく感じなかったからこそ不用意に近づかれて抱きつかれたのだ。
無邪気な子供のふるまいみたいだ。
刃で切り抜けるわけにもいかない。
なすすべもなく俺は人前でモフられ続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます