音色

@chocowhite

音色

 ある日、僕は一台の電子ピアノに目を奪われた。それは別に値段が高いとか、きれいな装飾があるとか、そういうわけじゃない。


 ただ、なんとなく。


  * *


 窓際に座っているピアノが、卒業式の予行をしている中学生のように、じっとしているけれど早く伸びをしたい、そんな風に見える。だから、僕はびっくりした。


  〜〜♪♪


「な、なんだ!?」


そりゃあ、誰も触っていないのにいきなり音が鳴り出したら、誰でもびっくりすると思う。でも不思議なことに、僕の体を支配したのは恐怖でも興奮でもなく、安心だった。


 そのスピーカーから流れてきたのは、幼い頃に母がよく聴かせてくれた音色だった。


 そして思い出した。


 * *


 時は流れ、僕は小学校の音楽の先生になった。


 あの時の不思議な体験は一体なんだったんだろう。カレンダーをめくる度に、その思いは薄れていった。


 だけど、ひとつだけ。あの時、あそこに母がいたのだ。それだけは確かだ。

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