彼という「沼」に

もりくぼの小隊

第1話


 彼と初めて出会ったのは駅前のドーナツ屋だった。あたしが店に入ろうとした瞬間、彼も同じタイミングで入店しようとしたのだ。この時の印象はKーPOPアイドルみたいなマッシュヘアのイケメンだった。


「あ、ごめんなさい」

「いや、こちらの方こそ。あぁ、こっちは後でいいのでお先に」


 彼はレディファーストだと言うように薄く微笑み「どうぞ」と手を差し出した。あたしは、悪いなと思いながらも先に行かせてもらい、オールドファッションとフレンチクルーラー、エンゼルクリームをテイクアウトで注文した。


「チョコファッションとダブルとゴールデン……ぁ、ココナッツチョコレートも──」


 さっきの彼はチョコレートがお好きなようで、チョコばかりを注文しているのを聞きながらお店を出た。





「すみませんっ、ちょっといいですかっ」


 しばらくすると後ろからあたしを呼び止める声が聞こえてきた。なんだろうと訝しがりながら振り向くと、さっきのチョコレートドーナツばかりを注文していたマッシュヘアの彼だった。


「はぁ、なんでしょうか?」

「いや、ちょっと君とお話したいなと」


 なんだ、これはナンパというやつか。警戒をしながら目を細めて彼を見つめながら少し冷めた声で言葉を返した。


「ナンパ?」

「ん、言い訳できません。そのとおり」


 あまりに素直すぎる彼に一瞬、唖然として薄く口角の上がった顔を見上げる。女子受けしそうな甘ったるい笑い方だな。あたしはこういう甘そうな顔はあんまり好きじゃないんだけど。


「なんで?」

「??……可愛いから、お話したいなって」

「いや、なにいってんの?」

「ん? だから、君が可愛いから」


 いったいこの人は何を言ってるんだと警戒が強まった。何故、あたしを可愛いと嘘吹うそぶく、可愛いていうのはもっとオシャレな女子の事を差すんじゃないのか。 こんな着やすくて疲れないという理由だけで大きめなランタンスリーブとデニムパンツを着潰している流行アンテナをへし折った化粧っ気もない女が可愛いと言うのか。


「冗談ですよね?」

「キーボードの魔術師?」

「は?」

「ジョーダン・ルーデス。知らない?」

「いや、知らない」

「じゃあ、教えてあげる。そこら辺でお茶でもしながら、お茶菓子ドーナツにはお互い困ってないでしょ?」

「はぁ?」


「?」だらけな会話はあれよあれよという間に彼のペースに持ち込まれ、よく分からず調子を崩されたままお茶をする事になってしまったのだった。





「へぇ、キーボディストなんて言葉、初めて知った。そのジョーダン・ルーデスて人もやっぱり知らないや」

「日本では鍵盤奏者とかピアノ演奏家の方がしっくりくるのかもね。しかしそうかぁ、ジョーダン・ルーデス知らないんだね。俺は当たり前だと思ってたけど、知らない人は知らないんだな。と言って俺もゲームなんてサッパリだったから人の事は言えないんだけど」


 さすがにドーナツをお店に持ち込む訳にはいかずコンビニのコーヒーを買って近くの噴水公園で駄べる事にした。最初は彼のペースに乗せられた感があって話半分で聞いてたんだけど、彼の好きな物に対する熱の入った話はあたしの興味を惹き、こっちの好きな物に対しても否定はせず興味深げに聞き返してくるので、いつの間にか警戒心を解いて彼とのお喋りに夢中になっていた。


「そのブラボとかダクソってゲームやってみるよ。面白そう」

「言っとくけど、最初は難しいからね。初心者はクリアできずに投げ出すのが普通だと思う」

「なるほど、じゃあ俺が投げ出さないように色々教えてよ。だから連絡先交換しよ。LINEアカウントある?」

「あるにはあるけど、本当に交換するの、あたしと?」



 こうして、彼と連絡先を交換して友達になった。よく考えると、初対面から一時間と経ってなかった気がする。






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