無意識

 自転車の鍵を回して、スタンドを蹴り上げる。


 私が自転車にまたがると、千波は困惑しているようだった。


「えっと、どんな風に乗ればいいのかしら」


「私もよくわからないけど漫画とかドラマとかでは横になって乗ってるよね」


 私がそう告げると、千波は後ろに横になって座った。


「それで私のお腹に手を回して」


「こ、こうかしら」


 千波の体が密着して温かい。周りからみたらどんな風にみえているんだろう。そんなことを考えながら、私はこぎ出した。二人乗りなんて初めてだから、ふらついてしまう。その度、千波は私にぎゅっとしがみついてきた。


 どうしてか、心臓の鼓動が早くなる。


 不思議な気持ちだった。


 夕暮れの涼しい風を切って走る。オレンジ色の世界を進んでいると、なんだか懐かしい気持ちになってくる。千波も同じ気持ちになっているのだろうか。


 千波の腕が私のお腹を抱きしめている。でも不思議と辛くはなくて、むしろ嬉しいというか。ずっとこうしていてもらいたいと思うような。


 本当に不思議な気持ちだ。


「ねぇ、紗香」


「どうしたの?」


「小学生の頃のこと、覚えてる? 麗さんに憧れてた私がクラスのいじめを止めに入ったとき、私がはぶられることになっちゃったでしょ?」


 千波はまるで小さな頃みたいな口調に戻っていた。


「そんなこともあったね」


 川辺を走っていると、夕暮れが川の水に反射して綺麗に輝いていた。私はペダルをこぎながら、千波の声に耳を傾ける。


「でも紗香だけは話しかけてくれた。紗香だけは私の味方でいてくれた」


 千波はさらに強く、でも優しく私にしがみついてくる。耳元から聞こえてくる声は、まるで好きを伝えてるみたいな雰囲気で緊張する。「好き」なんて言葉、一言もないのに。


 楓のせいだろうか。


「だから私も、私だけは紗香の味方でいてあげようと思ったの」


「信じてくれたのはそういう理由?」


「……うん。ずっと待ってたんだ。あの日の紗香がまた戻って来ることを」


 千波は私の背中に頭をこてんとぶつけた。さらさらの髪の毛が首元にあたってこそばゆい。私の心の中から、愛おしさがこみあげてくるようだった。


 千波はずっと私を信じてくれていたのだ。


「好きだよ。千波」


「えっ?」


 無意識に飛び出した言葉に、顔が熱くなる。きっと楓のせいだ。楓が妙なことを話したから、こんな、「好きだよ」なんて。


 いや、確かに好きだけどさ。……友達としては。みんなが私を嫌っても、千波だけは私の善性を信じてくれていたわけだし。


「いや、その……」


 どうにか弁解しようとするけど、それを遮るように千波も告げた。


「私も好きだよ」


 そして体を更に寄せてくる。


 その瞬間に、私は何も言えなくなってしまう。頭の中をぐるぐる回っていた言い訳たちが、霧散してしまった。千波が私を好きでいてくれている。それを私はとても嬉しいことだと感じたのだ。

 

 言葉を発したとたんに夕焼けも、それに照らされた美しい景色も、私と千波の関係も全てが陳腐なものになってしまうような気がしたから、私はじっと、千波の体温と息遣いだけを感じてペダルをこぐ。


 いつまでもこの時間が続いて欲しいなと思った。


〇 〇 〇 〇


 千波の家にたどり着く。私が自転車を止めても、千波は名残惜しそうに私のお腹に腕を回していた。まるで時間がとまればいいとでも願っているみたいに。


 私たちはしばらく一緒になっていたけど、いつまでもそうしているわけにはいかない。この世に永遠なんてないから「また明日」を告げないといけない。


「また明日。千波」


 私がそう告げると、千波は不安そうな声を背中であげた。


「あ、あの。紗香。私たちの関係って……」


 心臓がどきどきするのを押さえつける。私は冷静を装って答えた。


「恋人でしょ?」


 すると紗香は私のお腹から腕を離して、自転車から降りた。そして正面にまわって来たかと思うと、私の唇にキスをする。ほんの一瞬なのに、やわらかくて温かくて気持ちよくて幸せで、気を抜けば、とろけてしまいそうだった。


 千波は顔を赤らめながら、笑顔で告げる。


「また明日。紗香」


「うん。また明日」


 私も多幸感に浸りながら、笑顔を浮かべた。


 するとそのとき、玄関から千波のお母さんが出てきた。


「あら、おかえり。千波」


「ただいま。お母さん」


 インターホンに映らない場所でキスはしたからばれてないとは思う。でも千波のお母さんは怪訝な表情で私をみつめていた。


「もしかして、その子があなたの友達?」


「そうよ。とてもいい子。性格もいいし……」


「嘘おっしゃい。私、知ってるわよ。その子が噂の不良でしょ?」


「えっ……」


 千波のお母さんは私を睨みつけていた。それはもう、敵意むき出しの表情で。


「週末に出かけるのも、まさかこの子と!? 信じられないわ。あなたどうかしてるわよ。どうしてこんな奴と友達になんて……。とりあえず、週末は家にいること、良いわね?」


「えっ。でもお母さん私は……」


「ダメったらだめです! ほら、早く家の中に入りなさい。あなたもさっさと消えなさい! 娘の前から今すぐに!」


 千波のお母さんは無理やりに千波を家の中に押し込んだ。


 最後にみた千波は、今にも泣きだしてしまいそうな顔をしていた。


 ばたん、と扉の閉まる音だけが耳に残った。

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