242話 俺のご主人



 しばらく涙でべしょべしょになっていたが、落ち着いてから最後まで文を読み切った。


 完読だ。


 とうとう『英傑マールカと悪逆オリジャ』を読み終えてしまった。


 なんとも言えない、切ないような気持ちになった。さみしいような、やり切ったような。ご主人が一緒に読んでくれなかったら、読み通すのは難しかったかも。


 頭の中がぐるぐるする。


 マールカはすごい。でも結局、マールカがどんなことを考えて、思っていたのかは、あまりわからなかった。それはきっと、この話がラマカーナ視点で書かれているからだ。


 逆に、ラマカーナが語らなければ、マールカの名前は残らなかったかもしれない。歴史は意識的に残す努力をしないとすぐに忘れられ、消えてしまう。


 これは童話の形をとったメッセージなんだろうな。

 マールカを忘れるな、っていう。


 1000年は長い。いくらこの世界の人々が長寿だとは言っても、1000年生きるのは難しい。ラマカーナはもう二度とマールカに会えないことをわかっていたんだろう。『再誕』には立ち会えないんだ。


 だから、これを書いて広めた。


 今やマールカの話は誰もが知っている。隣の家のマーナですらよく知っている。リーダーも、一番に俺に勧めたのがこの本だった。


 そして来年が『再誕』の年であると、誰もが知っている。


 ラマカーナの壮大な目論見は、成功したと言えるだろう。そこにどれだけの労力がかけられたのか、俺には想像することすらできない。


 スケールがでっかすぎて、ちょっと放心した。


 昔の人がやることは、とんでもねえな。



 しばらくぼんやりする。ご主人は、俺が飲み込むのをじっと待ってくれていた。


 何か欠けているような、忘れているような……。


 あっ、そうだ。



「ご主人、10が10個で、いくつですか?」

「えっ、なんだよいきなり。100だろ…………いや、144か?」


 やっぱりだ。


 ご主人は数字をよく数え間違える。単に計算が苦手なのかと思ってたけど、きっと故郷で12進数を使ってたんだ。


 12進数の100は、10進数では144になる。この間違え方は、偶然じゃない。


 古語とおんなじで、辺境の閉鎖的な村だと数え方も昔のまま残っていたりするのかも。ご主人は計算が苦手なんじゃなくて、10進数の計算に慣れなくて混乱しちゃうんだ。


 今の答えで確信した。



 …………あれ。


 俺は閉じた『英傑マールカ』の表紙を眺めた。


 何だろう、すごく、とても大事なことを見落としてる気がする。


 古語を話す、12進数を使う、歴史に詳しく魔法に詳しい、それから並外れた身体能力……。それから……。


 これって、まさか。


 俺は混乱しながら、ご主人を見上げた。


 俺を見下ろす紺色の目に、ランプの光が反射してゆらゆらしている。星が踊っているみたい。


 いろんな考えが湧き上がっては、泡のように消えていく。


 まさか。


 でも、だとしたら腑に落ちないことが……。



「どうした?『英傑マールカ』は面白くなかったか?」

「……面白かったです、すごく」

「そうか、それはよかった」


 ご主人は満足そうに俺の頭をぽんぽんした。



「ご主人……」

「なんだ?」

「ご主人の故郷、数えかたが昔といっしょ?」

「…………」


 ご主人はぽんぽんする手を止めた。



「よく気づいたな、それに気づいたのは『古語研究同好会』の連中だけだよ」

「だから計算が苦手なんですね」

「苦手じゃない……得意じゃないだけで」


 ちょっと拗ねたみたいな言い方が、おかしかった。


 そうか、タリムたちは知ってたんだな。そりゃそうか、古語の専門家たちならすぐにわかるだろうな。そのことに、なぜかひどく安心した。



「マールカとご主人、やっぱり似てます」

「そうか?」

「ご主人は……」



 ご主人は、マールカなんですか。



 俺は、どうしてもその質問ができなかった。


 おそらく、ご主人には答えられないからだ。きっとご主人を縛る『契約』が邪魔をする。



「……なんでもないです」

「そろそろ寝るか。明日は祭りを見に行かないとな」

「何があるんですか」

「そうだな、まず王の行進があって、広場でパル・アヴィータの歌を聴いて、各所で舞台が作られててそこで踊りや劇があって……みんな踊って歌って……屋台もたくさん出るから、食べ物には困らない」

「たのしそう」

「ああ、きっと楽しい。1日目はとにかく賑やかだ。お前も仕立てた服を着て、見にいこうな」

「はい」


 本をしまって、布団にもぐりこんだ。

 熟睡してるポメを忘れずにしまう。


 祭りか。ご主人も祭りの服を着るらしいから、楽しみだ。


 ぽすぽすと布団を叩いて、ご主人は俺を寝かしつけようとする。


 俺はぜんぜん眠くなかったけど、目を閉じた。



「おやすみ」

「……おやすみなさい」


 ランプの明かりが落とされ、ご主人が額にそっと『祝福』をしたのがわかった。


 やがて、扉が閉じられ、ご主人は部屋からいなくなった。



 俺は冴えた頭のまま、ぐるぐると考える。


 ご主人が、実はマールカなのではないか、という疑惑についてだ。


 古語を話すこと、加護を受けたような尋常じゃない身体能力。そして、何かを埋めようとするように歴史書を読みふける姿。


 別に、ひとつひとつは特別なことじゃないかもしれない。


 そうじゃないかな、とは思いつつも否定材料のほうが多くて目を逸らしてきた。


 今日、マールカの話を読み終わるまでは。



 たとえば、本当にマールカだったら1000年生きてることになる、と読む前は考えていた。ご主人の見た目はどう見ても若い部類だから、それはあり得ない。


 それに、生きた証人もいる。


 冒険者組合本部で会った、ご主人の養父という人だ。あの人は、ご主人がまだ子供だったときに拾ったと言っていた。あの男性も1000年生きたようには見えなかったから、これで1000年生きた説は無しになった。


 でも、マールカの話を読んだあとは、この否定材料も覆ってしまった。


 マールカは12歳くらいの時に、宝珠の中に取り込まれた。そしてその身体は加護によって守られていたから、いわば仮死状態で1000年以上眠っていたことになる。子供の身体のまま。


 前に倒した遺跡の魔物も、たぶん2000年くらいの間、卵から孵る寸前で仮死状態を維持してたから、あり得ない話じゃない。


 1000年という長すぎる時をまたぐ年齢の矛盾は、これでなくなった。


 残る矛盾は、だいたい3つだ。


 ひとつ目は、『再誕』の年との矛盾。


 来年が再誕の年で、その年にマールカが目覚めるという宣託だった。でも、ご主人は既に大人だ。宣託が間違っているのか、マールカの話が時代と共に書き変わっていったのか。わからない。


 ふたつ目は、魔力量。


 マールカは絶大な魔力量があった。だから生贄になった。でもご主人の魔力量はとても貧弱だ。これも矛盾する。けど、ご主人は『世界系』魔法を使えるから、完全な矛盾とも言えない。何らかの理由で魔力量がごっそりなくなったのかも。


 みっつ目、それは外見的特徴。


 マールカの話では、マールカは金髪碧眼として描かれていた。ちょうどリーダーみたいなかんじ。でもご主人は紺色の髪に紺色の目をしている。ぜんぜん違う。


 これら3つの矛盾点が、ご主人マールカ説の否定材料だ。


 どれも、納得のいく理由があれば覆ってしまう気がするんだよな。なんか弱い。


 何より、そばで見てきた俺自身の感覚が訴えてきてる。ご主人の所作ひとつ、言葉ひとつ、表情ひとつが、そうにちがいないと叫んでいる。


 本当のところがどうなのか、ご主人の口から聞けない以上、確かめられない。


 真実を知ったとして、俺はどうするんだろう。

 どうにもできない気がする。


 それに、俺にとってご主人は物語の中の英傑じゃない。ご主人はご主人なんだ。


 すこしポンコツで、犬みたいで、やることがいちいち大きくて、いつも『当たり』を引いて、かならず良い結果を引っ張ってくる。


 それが俺のご主人。

 俺を救ったすごい人だ。


 それ以上でも、以下でもない。


 もし俺がご主人の邪魔になるなら、潔く離れよう。そうじゃないなら、出来る限り助けになろう。


 それが、俺のすべてだ。



 俺はぐるぐるするのをやめた。


 明日は新年、そして俺が10歳になる日だ。


 今年は、怒濤のような波乱に満ちた年だった。来年は良い年になるといいな。


 目を閉じると眠気がやってきた。


 俺はそれに逆らわず、沈んでいった。



 おやすみ。また来年。





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