5話 希望に満ちた門出
希望に満ちた門出は、5分くらいで終わった。
なぜなら、思ったより衰弱していた俺の体力がそれくらい歩いて限界がきたからだ。
情けないことに、今はご主人に片手で抱き上げられて宿に向かっている。
泣きたい。
初めて異世界の街を見たのだが、情けない気持ちが勝ってしまい目に入ってこなかった。
奴隷デビューなのに。
ピカピカの門出なのに。
こんな軽々と抱えられる予定じゃなかった。
「ほーら、そんな落ち込むなって。宿に戻ったら、風呂入って治癒してもらって飯食って寝ような。明日から元気に働いてもらうからよ」
「……おれ、ほんとにご主人の役に立てますか」
「立てるよ。大丈夫」
背中トントンされてしまった。
ご主人はやさしい。
人通りが多い場所だけど、こうして顔を近づけてこしょこしょ話をする分には、俺でも普通に話せる。話すのに慣れていないのでちょっと舌足らずになってしまうが、年齢相応でいいかな。
宥められてやっと、まわりに目を向ける余裕が出た。
のんびり歩くご主人の肩越しに後ろを見ると、テントが張ってあったり果物や野菜が入った木箱が並べてある風景が去っていく。
市場のようだった。
中東やアジアに近い雑多な雰囲気だ。行った記憶は無いけど、多分そんなかんじだ。
けっこう大きな街なのかな。
なんていう名前の街なんだろう。
そこで俺は重大な問題に気がついた。
「ご主人、名前なんていうんですか」
「あ……」
やっぱり忘れてた。
契約に名前が必要なかったからか、奴隷商でも指摘されなかった。
書類にはご主人の名前も書いてたみたいだけど、俺の名前はどうしたんだろうか。拇印みたいなやつが名前代わりだったのかな。
「俺の名前はハルク。お前は」
「名前、ないです」
「ないのか……」
ないんです。
誰も呼ばなかったし思い出せないし、もしかしたら元々無いのかもしれない。日本にいたときの名前すら思い出せない。
ご主人はちょっと立ち止まって思案した。
「ふむ、じゃあ俺が名前をつけよう。そうだな……うーん…………」
ご主人はまた歩き始め、景色が流れていく。活気の中にピリピリしたものが混じった喧騒は悪くないなと思った。
「……お前の名前はアウルだ。俺の尊敬する戦士から取った名だよ」
「アウル…」
今日から俺はアウルになった。
名前がある。うれしい。
やはり人は、個として認識されて初めて尊厳を得られるのだ。俺は人になった。
輝いてる。世界輝いてるよ。
うれしそうな俺を見て、ご主人も満足したようだ。
さらに進んでいくと市場の雰囲気が変わってきた。飲食の屋台が増えてきたようだ。
昼飯時なので呼び込みも増える。
ひとりのお姉さんが美味しそうな匂いのする串焼きを片手に近づいてきた。
「そこのお兄さーん!あれ?親子かな?そこのお父さん!串焼きはいかがですかー!」
「お、お父さん……」
たじろぐご主人に遠慮なく宣伝するお姉さん。いい匂いと勢いにさっそく負けそう。
やっぱりこのご主人、押しに激よわである。騙されていろいろ買わされそうだな。奴隷とか。
俺はポンコツご主人のほっぺたをぺちぺちして正気に戻した。
「……すっからかん、です」
小声で言うと、はっとしたご主人は「わるいな」と言って呼び込みを断った。
その後も屋台の誘惑に負けないように頑張っていた。俺だってこの世界の屋台の味を試してみたいところだが、ない袖は振れないのだ。
「くそ、この道は腹が減る。はやく宿で飯を食おう」
「……じゃあ、どうしてこんなにゆっくり歩いてるんですか」
「だってお前、子供抱えて街中を走ったら人攫いみたいに見えるだろ」
「たしかに……」
ポンコツだがちゃんと考えているようだ。この道を選んだのは、まあ、うん。
「宿のごはんおいしいですか」
「さあな。いろいろあってまだ一晩泊まっただけだ。それに俺らのパーティーに飯にこだわりのある奴がいてな……そいつが作るから宿の飯を食うことは、ほぼないだろうな」
「ほかにはどんな人がいるんですか」
「他には……えっとリーダーと、治癒が上手いやつ、魔法が得意なやつ、解体が上手いやつ、盾のやつと長剣のやつだ」
「ご主人の他に7人もいるんですね」
「いや、4人だな」
「え?」
「ん?」
何か変なこと言った?みたいな顔で見てくるんだけど、あれか。4人のうち誰かが複数の特徴があるってことかな。叙述トリックかよ。
会話って難しいね。
「おまえは……いや、やっぱりいい」
「なんですか」
「いや、前にいたところ、酷かったんだろ。俺のところは大人の男ばかりだけど大丈夫か?」
「大丈夫、とおもいます」
ご主人が大丈夫だったから、多分いける。
違法な粉も吸ってないだろうし。
「前にいた商会では、となりの国の人たちが変な粉を吸っててイライラして八つ当たりされたりしましたけど、ご主人たちは吸ってないですよね?だから大丈夫だとおもいます」
「おう、そんな変な粉を吸ってるやつなんて……変な粉?」
流れていく景色がぴたりと止まった。
「ちょっと、待て。商会ってあれか?昨日大捕物があって全員王都にしょっ引かれていったっていうあの?だから奴隷が安値だったのか……待て、粉……?まさか…………!」
うお、視点が急にぐわんと下がった。ご主人が俺を抱えたまま往来の真ん中でしゃがみ込んでしまったのだ。
「……俺らはその『粉』の流通を調べるために、この街に来たんだよ」
マジか。
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