#38 喧嘩




「パパにも結婚の話したら『まだ早すぎる!』って怒りだしちゃって喧嘩しちゃった」


「はぁ?」


 いきなりのことで、思いっきり不機嫌な声で反応してしまった。

 今までミキに対して、俺がこんな態度を見せたことは無い。


 昼間のお母さんとの話もあったし、昨夜発覚したストーカー被害が続いていたことも俺の中でフラストレーションを溜め込んでいたんだと思う。

 不機嫌な反応しか出来なかったことで今の自分には普段の様な余裕が無いことを自覚したが、でも、自覚したからと言って自分の態度を改めることが出来なかった。



「なんでお父さんにまで言うの?そんなの反対するに決まってるじゃん」


「別に直ぐに結婚するって言った訳じゃないよ? 「ヒロくんが結婚したいって言ってくれたんだよ」って言っただけなのに、パパ興奮して「ダメだダメだ!」って私の話聞こうとしないんだもん」


「そりゃそうだよ。父親にしてみたら可愛い娘さんがまだ学生なのに結婚のこと言い出したら、まだ先の話だとしてもそんな話は聞きたくないよ」


「なんでヒロくんまでそんなこと言うの?わたし嬉しかったからパパにも喜んでもらえると思ったのに」


「男親は女親とは違うんだよ。そもそも俺はお母さんにだって言って欲しくなかったのに調子に乗って言っちゃうし、いくらなんでも無神経すぎる」


「何で言っちゃダメなの?嬉しいと言いたくなるじゃん。無神経とか酷いよ」


「嬉しく思ってくれるのはありがたいけど、でも、結婚とか責任が伴うような将来の話をまだ就職すらしてないただの学生が言い出したって、世間知らずの甘ったれに聞こえちゃうんだよ。俺はそういうのイヤなの」


「……」



 ミキはそれきり黙り込んでしまい、俺と目を合わせようとしなくなった。


 バイト前の休憩室で二人きりで非常に重い空気だが、今回ばかりは俺も引く気になれなかった。

 

 付き合い始めた頃に比べ、最近のミキは我儘というか、自分の意見を通そうとするのが目に付く。

 そりゃ、俺よりもミキの意見のが正しい時だってあるし、ミキのそういう所に助けられていることもあるので、「大人しく言うこと聞け!」なんて言うつもりは更々無いけど、自分が嬉しいからと言って振舞うことで、俺やミキのお父さんがどんな気持ちになるかは分かって欲しかった。


 それに、これまでミキとは喧嘩らしい喧嘩をしたことが無かった。

 意見が合わないことがあっても、大抵は俺が折れてミキの意見を尊重してきた。 でも今回の件で、そんな風にミキを甘やかしてきた俺のせいなのではないだろうか?と思うところもあった。





 しばらく無言の重い空気が続いたが、結局ロクに言葉を交わすことなく時間になり、二人揃ってフロアに出て仕事を始めた。


 仕事中は業務上の会話は当たり障りなく交わしていたが、ミキは俺とは目を合わせようとはせず、今までこれほど頑なな態度を見せたことの無かったので若干焦りを感じつつも、「ここで甘やかすと、いつもの繰り返しだ。ミキだって俺が折れると思ってこんな態度を取ってるんだ」と自分に言い聞かせて、ミキと同じように目を合わせない様に仕事をした。


 お互いそんな態度を取りながらも、土日挟んで6日間空いての久しぶりのバイトだったし、世間はまだお盆休みの最中さなかで来客も多く忙しく動き回っていたので、すぐにミキのことを気にしてる余裕は無くなり、特にトラブルが起きる様なことは無くその日の仕事を終えて二人揃って上がった。



 更衣室で着替えながらも、この後どうしようか?と考えた。


 今回はこちらから折れるつもりは無い。 だからと言って、さっさと自分だけ帰って、夜道をミキ一人で帰らせるのは宜しくない。

 流石にそれは大人気おとなげないと思うし、もしそんなことすれば、ミキだって更に意固地になるだろう。


 とにかく、空気が重かろうが自宅までは送って行こう。


 そう決めて、速やかに着替えを終わらせて、ミキが着替えを終えるのを休憩室で待っていた。



 スマホをいじって待っていると女子更衣室からミキが出て来たので、顔を上げてミキを見るとプイッと顔を逸らされた。


 相変わらずのその態度に思うところはあったが、グッと堪えて「送って行くよ。帰ろう」と言って立ち上がり、休憩室の扉を開けて通路に出た。


 従業員用の駐輪場までの間、会話は無く二人とも無言のまま自転車に跨り出発した。


 道中も会話が無いまま付かず離れずの距離で走り、10分ほどでミキの自宅に到着した。



 いつもならココでお互い「おやすみ」と言ってハグなりキスをしてから別れるが、この日のミキは自転車を降りると目を合わせないまま聞き取り辛い小声で「おやすみ」と言い残して、さっさとガレージの中へ入っていった。


 そんなミキの背中に向かって「おやすみ」と返すがミキはもう反応を見せなかったので、溜め息を1つ吐いてからペダルを踏んで自転車を走らせた。





 夜道、自転車を一人で走らせながらずっと、ミキとの喧嘩のことを考えていた。


 喧嘩の直接的な原因は、俺に結婚する意思があることをミキが家族に言いふらしていることだ。

 他人が聞けば、「そんなことで?」と思うような話だろう。


 自分でもそう思うけど、でも今回の根本的な問題は、そういう行動を安易に取ってしまうミキの態度や考え方だ。


 以前はミキに対して、根が真面目で責任感と正義感があって、リーダーシップもあるし、しっかり者というイメージを抱いていた。

 でも最近のミキは、特に俺の前では、強引に我を通そうとしたり、我儘を言って俺を困らせたり、そして超が付くほどの甘えん坊だ。


 それはきっと、俺との交際が長く続いたことでの信頼関係が深まり、普段は表に出さないでいたミキの素顔なんだろう。

 そういう姿を見せてくれるのは、恋人としては嬉しいことだけど、今日のミキの言動を俺は見過ごすことが出来なかった。


 そして、何よりも厄介なのが、初めての喧嘩で仲直りの仕方が分からない。

 多分、ミキもそうじゃないかと思う。


 自分から折れると、自分の考えが間違っている事を認めてしまい、ミキの考えは間違っていないとも認めてしまうことになると考えてしまう。

 勝ち負けでは無く、最近調子に乗って目に余り始めているミキの言動を矯正するどころか、更に調子に乗せてしまうのではないか?という不安が拭えない。


 だからと言って、俺まで意固地になっていればいつまで経っても仲直り出来ないし、更に険悪な関係になってしまうかもしれない。


 そこまでは考えられるのに、でも実際にどうすれば良いのか分からない。


 だって俺なんて、実の妹ですら拗れてから1年以上何も出来なくて、俺が実家を出て直接顔を会わせなくなってから漸く歩み寄ることが出来たくらいで、こういう時どうするのが正解かなんて、マジで分からない。



 過去に交際した恋人とも喧嘩したことは何度あるけど、どうしてたかな?

 結局毎回俺の方から謝ってた気がするな。

 ミキに対しても、そうするしか無いのかな。


 でもなぁ…

 今朝まではあんなにも仲良く出来ていたのにな…



 考え事をしながらペダルを漕いでいたせいで、気づかないうちに自宅に到着していた。


 玄関扉を開けて部屋に上がると、キッチンの冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出して、直接ゴクゴクとラッパ飲みした。


 一息付いたが、キッチンに突っ立っていたことで帰省中の侵入者の痕跡を思い出してしまい、更に気持ちが重く沈み込んだ。


 ドッと疲れが出てきてベッドに倒れ込むようにうつ伏せで寝転び、再びモヤモヤと考え始める。




 帰省中は、ミキとは本音や悩みをさらけ出し合い、絆を深めることが出来たと思っていた。

 バーベキューでミキが調子に乗って飲みすぎてダウンしたり二日酔いになったことは、俺としては全然許容範囲だったし、ミキの介助をしたお陰で更に絆も深まったと思う。


 だからこそ、ミキを調子付かせて俺やお父さんへの配慮が欠けてしまう言動に繋がった可能性もあるが、今後ミキとの交際を続けて行く上で重要な旅だったと思うし、楽しくて良い思い出も沢山作ることが出来た。

 俺の地元への帰省の旅は、決して悪くは無かった。


 なのに、帰って来た途端、ストーカーの被害が続いていることが発覚したり、ミキの言動にモヤモヤさせられたり、イライラして喧嘩してしまうし、本当にままならない。


 特に2年生になってからだろうか。

 いや、5月の盗難事件以降か。


 あの事件から、身の回りの事で次から次へと振り回されて、ミキとの仲にも影響が出始めている様に思う。






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