第19話 放課後メイドカフェ
「というわけで、灯織に口を利いてもらえなくなりました」
「冬弥くん……」
エマの教室へと続く階段に登る途中。冬弥は屋台で合流したナギと一緒に歩いていた。
彼女は白いTシャツにジーパンと、ラフな格好をしている。ちなみに、喫茶店は本日臨時休業である。
「何がダメだったんですかね……」
「灯織ちゃんを売ったことでしょ」
次会ったらちゃんと謝りなよ? とナギは言う。
「でも、あれは……」
「シャラップ。灯織ちゃんが嫌がったなら、もう二度としないこと。いいね?」
「……はい」
そう言って、ナギは缶ジュースを手渡してくれた。冬弥はそれを受け取る。
「これは……?」
「差し入れ。冬弥くん、ずっと働きっぱなしだったし」
「あ、ありがとうございます……!」
冬弥は頭を下げて、プルタブを開ける。そして、一気に飲み干した。喉を走る炭酸の刺激と甘みに感動する。やはり夏といえばこれだ。
「ぷはぁっ! うまい!」
「いいね! CMに出れそうなくらいイイ飲みっぷり」
ナギは冬弥を微笑ましく見つめていた。まるで、年の離れた弟のような感じ。
──でも、灯織と結婚したら彼は義弟になるわけだから、あながち間違いでもないのか。今は
「なんか怖い目してますけど、大丈夫です?」
「えっ? あっ、気のせい気のせい!」
なんでもないの、と言ってナギは視線を逸らした。
「それより、これからどこに行くの?」
「そうですね……まずはエマの教室を覗きに行こうかなって。それから、お化け屋敷ですね。俺と灯織のクラスなんですけど」
いいねー、と言ってナギは手を叩く。
「それ、私も行って大丈夫なやつ?」
「もちろんですよ。一緒に行きましょう」
「やった。楽しみ!」
二人は楽しげに会話を交わしながら、A組へと向かった。
☆
「いらっしゃいませ、ご主人様♡」
そこは地獄だった。
はたまた世紀末と言うやつだろうか。冬弥とナギがエマの教室に行ってみると、喫茶店風にアレンジされた教室の入口に、半裸エプロンのメイドが立っていた。
当然、メイドは男である。パツパツのエプロンドレスによって、(大)胸(筋)が溢れんばかりになっている。
「……ご主人様、お気に召しませんでしたか?」
「お前の主人になった覚えはねぇよ! インフルエンザの時に見る夢か!」
冬弥は吠えた。しかし、隣で黙っていたナギは突如、投げキッスをした。
「久しぶり。いい子にしてたかい? 子猫ちゃん」
「はい……♡」
「適応力が高すぎる!?」
ナギはノリノリだった。悪ノリを忌み嫌う妹とは正反対である。
「じゃあ、こちらのテーブルにどうぞー!」
「うん!」
「元気っすね……」
テンションの高いナギとは対照的に、冬弥はげんなりしていた。そんな彼の肩に手を置いて、ナギは耳打ちをする。
「冬弥くん、せっかくだし楽しまないと! ほら、しばらくしたら、エマちゃんもメイド姿で来てくれるかもしれないし!」
「それはわかってますけど……どうしても恐怖が勝ってしまうんですよ! 世紀末だこれは!」
冬弥は喚きつつも、ナギに諭されて大人しく着席した。すると先ほどの屈強なメイドがメニューを携えて、テーブルにやってきた。
「ご注文はこちらのメニュー表からお願いします! あと、私を呼ぶ時は『シュンちゃん』とお呼びください♡」
「わかったよー☆」
ナギが元気よく返事する一方、冬弥は戦慄していた。これが夢にまで見た青春か。夢と言っても悪夢だが。
「じゃあ、早速注文いいー? シュンちゃん☆」
ナギの呼び掛けに、男メイドは笑顔で答える。
「はーい♡」
「えっと、『萌え萌えLoveチュー乳』と『ふわふわパンケーキ』で」
「かしこまりましたァー! ……♡」
男メイドはすごい勢いで返事した。今、素が出てなかったか──冬弥が疑いの目を向けると、メイドは口笛を吹いて誤魔化した。
「冬弥くんは何にするの?」
「あっ、そうだった。えっと──」
冬弥は急いでメニュー表に目を通す。パンケーキやパフェなどスイーツが多く、どれも美味しそうだった。ただ、名前を読み上げるのが恥ずかしい。
ついさっき缶ジュースを頂いたし、飲み物は普通の水でいいな──。
「──ッ!?」
冬弥は思わずメニュー表を覗き込む。そこには、普通の水ではなく『萌え萌えウォーター♡』と書かれていた。しかも30円。金取るのかい!
「じゃあ、ふわふわパンケーキと……も、萌え萌えウォーターで」
「水ですね!」
「!?」
しばらくお待ちくださいー♡ と言って、メイドは去っていった。男への対応が雑すぎるだろ。
「お先に、お飲み物失礼致します♡」
そしてメイドはすぐに、飲み物を持って現れた。
「ごゆっくりどうぞー♡」
「はーい♡」
「はーい!!!!!!」
冬弥は一応大きい声で返事をしておく。店員が裏に掃けたのを確認してから、ナギの注文した飲み物を指さした。
「ナギさん、なんですかその飲み物は!」
「ん? ああ、これ? なんか、面白そうだと思って」
ナギはコップに入った桃色の液体を見て、そう答える。それは『萌え萌えLoveチュー乳』という名前に違わぬピンクさ加減であった。ストローにはハートマークが描かれている。
ナギは前髪をかき分けると、ストローを咥えた。ちょっとエロい。
「ん〜、美味しい。多分これ、市販のじゃないね。自前かな」
「そうなんですか?」
うん、と言ってナギは微笑む。喫茶店の店主をやっていると、そういうことも分かるようになるのだろうか。
「冬弥くんも飲む?」
「えっ!? いや、間接キスになっちゃいますから!」
冬弥は顔を赤くして、首を横に振った。灯織に言われてもここまでならなかったのだろうが、年上のお姉さんとなると話は変わってくる。
「え〜。美味しいのに」
「大丈夫ですよ。今は、萌え萌えウォーターが身に染みる……」
冬弥はそう答えながら、コップに口をつけた。
もう、動じることは無い。男のメイドが何人来たとしても、絶対にビックリしないだろう──そんなことを思いながら。
「お待たせしました♡」
すっかり油断した時、そんな声がした。
「────え」
そこに立っていたのは、屈強な男などではなく、金髪碧眼の美少女だった。純白のエプロンドレスに身を包んだ彼女は、恥ずかしそうにスカートの裾を押さえていた。
「うわぁ! エマちゃん可愛い!」
「あ、ありがとうございます♡」
ナギが手を叩いて褒める中、冬弥は口をあんぐりと開けて彼女を見ていた。
「……どうしたのよ、反応がないじゃない」
「いや────」
冬弥は思わず口を抑えた。反則だろ。ムキムキの男に目が慣れたあとに、本物の美少女が来るなんて──いくらなんでも緩急がありすぎる。元西武の牧田か! と、大して野球を知らない冬弥は心の中でツッコんだ。
「まぁいいや。はい。こちら、ふわふわパンケーキになります♡」
「おー!」
二人は歓声を上げた。パンケーキ自体は普通のパンケーキだったが、メープルシロップで「ご主人様♡」と書かれている。
「お絵描き上手だね。エマちゃんが描いたの?」
「はい、そうです♡」
エマは笑顔でそう答える。語尾にハートマークをつけるなど、彼女のプロ意識は高い。
「以前、そちらのお店で迷惑をかけてしまったので……パンケーキも二枚から三枚に増やしました♡」
「マジか! 別にいいのに!」
「大丈夫ですよ♡ 男子のメイドのせいでお客さんがみんな逃げていくので、材料が余り放題なんです♡」
エマは口調で誤魔化してはいるが、かなり悲しいことを言っている。
「ええと……ナギさん、だったかしら?」
「うん。名前知ってるんだね」
彼から聞きましたから、と言ってエマは微笑む。
「ええと、あの……この前のことは本当にごめんなさい。しっかり挨拶も出来なくて……改めて、今度お返しします!」
エマはそう言って頭を下げた。おそらく初対面の際に、彼女が店から逃げ出してしまったことを言っているのだろう──ナギは首を横に振った。
「お返しなんていいのいいの。あれは、冬弥くんが無神経すぎただけだから」
「なぬ!?」
冬弥は思わぬ方向から流れ弾を食らった。
それに、と言ってナギは口を開く。
「もうお返し貰ったよ。だってエマちゃんの笑顔、めっちゃ素敵だもん」
「!」
ナギの言葉を聞いて、エマの顔がパーッと明るくなった。
なんて懐の深い人なんだろう──そんなことを思うと、なんだか頬が赤くなってしまって。
「あ、ありがとうございます! い、いや、なんだか照れるわね……!」
冬弥はもじもじするエマに目をやった。いや、正しくは──胸元をガン見していた。
少し動く度にぼよよんと揺れる。これはエレベストか。もしくはK2か。
二つの山が、彼の心を掴んで離さない。
「えっと、その……俺もエマのメイド姿、いいと思うぜ」
「ほ、ほんと!? が、頑張って着た甲斐があったわ!」
エマは腰に手を当ててそう答える。彼女が顔を赤らめている姿は冬弥にとっても大変新鮮で、キスした時も平然としていた彼女の姿からすれば驚くべきものだった。
やがて自分の顔が熱くなっていることに気がついたのか、エマは肩をプルプルと震わせた。
「ええと……とにかく、召し上がれっ♡」
「お、おい!」
そう言って、エマはその場から逃げるように去ってしまった。去り際にいい匂いがした。
「あーあ。エマちゃんの『美味しくなぁれ♡ 美味しくなぁれ♡ 萌え萌えきゅん♡』聞きたかったなー」
「ナギさんは何を残念がってるんですか!」
冬弥はそうツッコんでから、パンケーキを口に放り込んだ。
すごく甘い味がした。もう十分、甘いのに!
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