第12話 獲物を狙う、お嬢様

 ※灯織がエマに会ったことを、冬弥に話していない世界線です。こっちが本編です。 


 喫茶店『ワカミヤ』は学生に大人気である。放課後は制服姿の中高生で溢れ、コーヒーやオムライス、パンケーキなど人気メニューの注文が相次ぐ。


 しかし、だ。平日に比して休日は客がほとんどいない。ましてや午前中なら尚更だ。


「暇すぎる…………」


 冬弥は入口付近を掃除しながら、そんなことを零す。平日が忙しいだけに、この休日のガラガラ具合はすごい。


「今日もナギさんいないし……あの人、毎回どこ行ってるんだ……?」


 時折ナギはオシャレをして街に出かけていくのである。エッチな仕事をしていなければいいのだが。


「……ん?」


 その時、冬弥は傘置き場にビニール傘が一本だけ置いてあるのを見つけた。誰のだろう。まさか昨日の大雨で、傘を忘れて帰る人なんていないだろうし──。


「──って!」


 冬弥は目を見開いた。そういえば昨日、大雨の中、傘もささずに爆走して行った女の子がいた。エマだ。


「返した方がいいよなぁ。でも、あいつの家の場所なんてわからんし……」


 そうして冬弥が考えごとをしていると、チリンチリンという音とともに店の扉が開いた。


「あっ、いらっしゃいま────」

「また会ったわね」


 ギクリ。店の入口で、エマが腕組みをして立っていた。


 今日は制服ではなく、高そうな黒のワンピースを着ている。髪を後ろの方で上品に束ねており、まるで財閥のお嬢様だ。


「もしかして、傘を取りに来たのか? ほら」


 冬弥はビニール傘を取り出すと、そのままエマに手渡した。


「ありがと。でも……今日は、それだけのために来たわけじゃないのよ」

「へー」

「何よその腑抜けた返事は!? 全然気になってないじゃない!」


 エマはプンスカと怒っている。こういうところは昔から変わらない。


「そんなこと言われても──もしかして、コーヒーを飲みに来たとか?」

「まぁそれもあるわ。アイスコーヒーを頂戴」


 エマは流れで注文した。冬弥は小さく頷いて承る。


「あ、今日は一杯でいいわよ。あんたはいい感じにそこに立ってて。カウンター越しに店員と客が話すシチュエーション、これがやりたかったのよね〜」

「なるほど。エモいやつだな」


 灯織から借りた少女漫画で見た事あるような──冬弥はそんなことを思いながら、カウンターに立つ。


「じゃあ、本題に入る前に少し質問ね」

「おう」

「ここのお店に、『ひおり』って名前の女の子はいるかしら?」


 エマはそんなことを聞いた。冬弥はアイスコーヒーをカップに淹れながら、首を縦に振る。


「いるけど」

「危なかったわね〜。ここでしらばっくれてたら殺してたわよ」

「物騒すぎんだろ!?」


 冗談よ、と言ってエマは笑う。目が笑っていなかった。


「それで……ワタシは昨日の帰り道、とある女の子に助けられたわ。とっても優しい子で、ワタシにハンドタオルを貸してくれたの」

「いい話じゃないか。──それで、さっきの話となんの繋がりが?」

「最後まで話を聞きなさい」


 エマはビシッと指を突きつける。


「そしてワタシを助けてくれた女の子の名前が──『灯織』だったのよ!」

「……マジで?」


 冬弥は思わず問い返した。まさかあのウルトラ人見知りマンこと灯織が人助けをするなんて──有り得ない。ヤムチャが天下一武道会で優勝する確率くらい有り得ないよ(早口)。


「ええ。たしかに、彼女は『灯織』と名乗ったわ」

「マジか……やるな、あいつ」

「ワタシは灯織に助けられて、人間の優しさというものを知ってしまったわ」

「獣か、お前」

「……でもまさか、アンタと一緒に住んでいるなんてね」

「ま、まぁな」


 冬弥は曖昧に頷きながら、コーヒーをテーブルの上に出した。彼女は軽く会釈する。


「選択的夫婦別姓を採用していたなんて……芸能人みたいなご夫婦ですこと──」

「断じて違うからな! 俺が灯織と結婚出来るわけないだろ!」


 冬弥のツッコミを聞き流しながら、エマはコーヒーに口をつけた。──美味しい。苦味と甘味のマリアージュがたまらない。


「ええと、その……これには深い事情があるんだ」

「知ってるわよ。借金でしょ?」


 エマはそう言いながらコーヒーカップを置くと、肘を着いて冬弥を見つめた。


「お、おう……知ってたのか」

「ええ。あんたの情報を知り合いという知り合いから集めまくったから」

「恐ろしい」


 それを平然と言い放つエマが何よりも怖かった。


「それで──ワタシ、思ったのよ」


 エマはため息をつくと、冬弥を指さして言った。


「二階堂家で、その借金を肩代わりすれば──あんたをここから解放することはおろか、ウチに移住させることもできるんじゃないかってね」

「へ?」


 言葉の意味がわからず首を傾げる冬弥。エマは繰り返した。


「だーかーらー! ウチで借金を肩代わりするって言ってるのよ! そうすれば、トウヤを手に入れられるも同然だわ!」

「ええ……借金、五千万円あるけどいいのか?」


 冬弥がそう言うと、エマはぱちくりとまばたきをした。


「──────えっ」


 そして、目が泳いでいく。


「ま、まぁ……えっ、ご、五千万!?」

「おう。実際は利息込みで七千万弱だがな」


 冬弥はにべもなくそう言い放った。しかし、エマは食い下がる。


「いや、まだ……ワタシは諦めたりなんか……」


 そう言っているうちに、店の扉が開いて。他の客が来たのかと、冬弥は走って移動する。


「いらっしゃいま────」

「ただいま」


 灯織は出迎えた冬弥を素通りすると、エマがカウンターに座っていることに気がついた。


「あっ──昨日の」

「へぇ、やっぱり……」


 そう呟くと、エマは手を振り返した。


「ごきげんよう。灯織」

「あっ、えっ──エマちゃん。さっき、冬弥と普通に話してなかった? 知り合い?」

「ええ。そりゃそうよ」


 エマはニヤリと笑みを浮かべると、挑戦的な笑みを浮かべて言った。


「だって、互いに初恋だし」

「!?」


 灯織はそれを聞くと、目を見開いて冬弥の方を振り返る。


「えっ────何円払ったの?」

「失礼すぎんだろ! 払ってないよ!」


 冬弥はそう返したあと、灯織に大まかなエマとの恋の遍歴を説明した。その間、彼女は目をキラキラさせながらその話に聞き入る。


「へ、へぇ〜。そうだったんだ。初恋相手と七年越しに再会するなんて……なんだか少女漫画みたい」


 意外なことに、灯織の食いつきが良かった。案外、恋バナには興味があるタイプなのかもしれない。


「言われてみれば、確かにそうだな」

「なんかロマンチックなこととかしたの?」

「うーん、でも……あっ」


 そういえば、キスをしたな────そう言いかけたところで、冬弥は慌てて口をつぐんだ。


「えっ、なんか言いかけた?」

「い、いや! なんでもない……」


 ふーん、と言って灯織は冬弥の耳を引っ張った。


「でも、ここ赤いけど」

「うおっ!?」


 や、やめろ! 灯織の指を振りほどいて、そんなことを言う。エマはそのやり取りを間近で見て、小さく呟いた。


「ふーん…………これは手強いわね」


 エマは顔を歪めると、拳の骨をポキポキと鳴らした。どうやら冬弥を自分の家族に引き入れるのは簡単な話では無いらしい。


 どれ、二人の絆を試してみるとするか。まずは彼に「誰が好きか」の質問でも振ってみて──。

 ワタシと答えれば、それで完全勝利よ!


「で、今もエマちゃんのこと好きなの?」

「って────ええ!?」


 すると、灯織が無意識に先手を打つことに成功していた。エマが途端に焦り顔になっている。


「あ……えっと」


 冬弥はエマの顔色を伺った。なんだか気に食わないので、彼女はそっぽを向くことに。


「す、好きっていうか……多分、違うと思う。あれから結構経ったしな」


 冬弥は素直に答えた。


 ────刹那、絶望。


 エマはその場に崩れ落ちた。


「エマちゃん!?」

「こんな思いをするなら……花や草に……」

「また言ってる!!」


 灯織はなんとかエマの体を起こすと、カウンターの椅子に戻した。


「冬弥。そ、それで……エマちゃんとは手繋いだりしたの?」

「小娘!?」


 エマは再び灯織の方を振り返った。灯織は赤い顔をしたまま俯いている。何がしたいんだお前は!!


 一方、冬弥は懸命に記憶を遡る。こんなに灯織が質問するのも珍しい──そんなことを思いながら、答えた。


「手は、繋いでないかな」

「ぎゅーは?」

「え?」


 思わず、冬弥は聞き返した。灯織から出た言葉が、なんだか意外すぎて。エマも呆気に取られている。


「だから、……ぎゅーはしたの?」


 灯織は照れながら再度言った。

『ぎゅー』……どうやら灯織は、ハグのことをぎゅーと呼ぶタイプらしい。可愛い。


「し、した……と思う」

「嘘!? ぎゅーって、結婚した時に初めてするものじゃないの!?」

「何言ってんのよ灯織!?」

「現実世界は『ちゃお』じゃないんだぞ! しっかりしろ!」


 二人から総ツッコミを受け、灯織は首を傾げた。少女漫画の読みすぎも考えものだな、と冬弥は思う。


「……ま、一通りわかったわ。トウヤをウチに連れ戻すってのは、なかなか一筋縄では行かなそうね」

「戻すも何もエマの家行ったこと無いんですがそれは……」

「言葉の綾よ。あーやー!」


 エマは冬弥の小言に対し、口を尖らせた。


『トウヤを連れ戻す』──その言葉を聞いて、灯織は口を開いた。


「え、エマちゃん、冬弥は……非売品。渡さない」

「は?」


 エマはポカーンとした顔でそんなことを返す。灯織は頷いた。


「貴重な労働力だから。そっちに渡す訳には行かない」

「そ、そういうことね! もう、灯織がこいつのこと好きなんじゃないかと思ったじゃない!」

「発想力豊かな連中だな!」


 二人のやり取りを見て、冬弥は呆れていた。まぁ、暇な休日の午前がこんな形で賑やかになるのは悪いことじゃない──エマはまだまだ引き下がりそうにもないけど。

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