ラブコメはティータイムの後で。-借金返済のために、美女姉妹の喫茶店に住み込みで働くことになりました-

第2話 可愛さ最強のDNA

「え、えっと……」

　モデル級の美人を前にして、冬弥は言葉を失っていた。こんなに美しい女性は滅多に見たことがない。

　するりと伸びた脚──若宮ナギ。喫茶店『ワカミヤ』の店主だ。

「よろしくね。冬弥（とうや）くん」

　ナギは艶やかな笑みを浮かべると、手を差し出した。美人から差し出された手を前にして、冬弥は怯む。

「よ、よろしくお願いします……！」

　冬弥は震える手で握り返した。時々目を逸らしながら、それでも彼女を見つめる。

　紅色の髪は肩ほどまで伸びており、よく手入れされている。女性のことなどよく分からないが、身につけているエプロンはどこか母性を感じさせるし、細い脚にデニムは良く似合う。整った顔も相まって、手の届かない美人であるという印象を抱かせてくれる。

「ええと……冬弥くん？」

　ナギの美貌にしばらく見とれていると、彼女はそう言って手招きした。冬弥は慌てて返事をする。

「ちょっとこっち来て」

「……あっ、はい」

　冬弥はナギに近づいた。すると、向こうもこちらに寄ってきてくるから、だんだん顔が近くなってしまって、なんだか恥ずかしい。

「なんていうかな……今まで、ほんとに災難だったね」

　ナギはそう言うと、少し背伸びしてから冬弥の頭を撫でた。

「でも大丈夫。私は、絶対にキミを捨てたりなんかしないからね」

　ナギは優しい声でそう言った。冬弥は俯きながら、顔を赤くする。人から撫でられたのはおそらく初めてだが、感じたことの無い温もりだった。いい匂いがした。人生の運を全て使い果たした気がした。

「い、嫌だった？」

「いえ！　嫌では、ないんですけど……その、恥ずかしいですね。少し」

　冬弥がそう言うと、彼女は小さく微笑んだ。

「そっか〜。冬弥くんって、かわい────」

　ナギは何かを言いかけたが、慌てて口をつぐんだ。二人の間に微妙な空気が流れる。

「かわ？」

「えっと、かわ、かわ……河合？」

「なんで疑問形なんですか！ あと誰だよ！」

「友達の友達」

「すごくどうでもいい！ 他人じゃないですか！」

「でも結構可愛くて人気があったな〜胸も大きかったし」

「前言撤回、すごく興味があります」

「ええと、とりあえず、荷物置きに行こ！ ほらほら、上がった上がった！」

　ナギに無理やり背中を押されながら、冬弥は小綺麗な階段を登った。途中、柑橘系のいい匂いがした。

「あっ、こっちこっち」

　逆方向へと足を踏み出した冬弥を、ナギが手招きする。一人で住むには随分大きい家だな……と冬弥は思った。

「じゃーん！」

　ナギが部屋の扉を開けると、そこには家具一式があった。勉強机に椅子、クローゼットにタンス、そしてベッド。決して広くはないが、生活に一切の不自由がない。

「ここが、俺の部屋……？」

　冬弥は呆然とした表情で言った。

「うん。お気に召さなかった？」

「まさか──」

　そんなわけがない。ボロボロのマンションで生活していた時に比べたら──良いなんてもんじゃなかった。何もかも、ある。

「ありがとうございます、感無量です……！」

「良かったー。本当は、灯織（ひおり）と同じ部屋でいいかなって思ってたんだけどね。さすがに反対されちゃって」

「ひ、ひおり……？」

　冬弥はそう聞き返した。もしかして、他にも人が住んでいるのだろうか。

「あれっ、お父さんから聞いてなかった？」

「はい。自分の娘が喫茶店をやっているとしか」

　あちゃー、と言ってナギは笑った。

「灯織（ひおり）はね、私の妹。お父さんが海外出張になっちゃった時に、実家からウチに引っ越してきたの。引っ越したと言ってもド近所だけどね」

「そ、そうなんですか……」

　冬弥は相槌を打った。ナギさんの妹か──きっと、すこぶる可愛いに違いない。ナギさんに似て性格も明るかったりするのだろうか。

「まぁ、とりあえず家はそんな感じ。さぁ、ここからが本番だよ！　これ、バイトの内容を書いた紙だから読んでおいて！」

「……は、はい！」

　冬弥は元気よく返事をすると、渡された用紙を見た。

　そうだ。そういえば、自分は住み込みでみっちり働かされることになってたんだった……。

「うげっ」

　しかもそこには、接客の細かい指示や飲み物の入れ方等が詳細に記してあった。これは覚えるまで相当時間が掛かりそうだな……。

「なんかあった？」

「い、いや、なんでもないです！」

　冬弥は苦笑いを浮かべながら、ナギの後をついていった。そして、彼女に店の裏を案内してもらう。

「これが、ドリンクサーバー。コーヒーはまた別」

「はい」

「それは注文を取るためのお品書き。そこに書いてある料理をテーブルまで運ぶ」

「はい」

「それが終わったら、食器を片付ける。それからフロアの掃除をする。飲食店は清潔さが何より大事だからね」

「……はい」

　説明を聞きながら、冬弥は先程渡されたメモ用紙に仕事の内容を書き加えていった。人間は案外忘れっぽいのでこうした地味な作業がのちのち効いてくるのである。

　また、聞いたところによると、基本は店が忙しくなる放課後から夜までの時間にシフトが割り当てられるらしい。冬弥はてっきり朝から晩までこき使われると思っていたが、「ちゃんと休みの日もあるから、安心してね！」と言っていたのでおそらく大丈夫である。労働三法にも違反することは無いだろう。

「これで一通り説明は終わり。なにか質問は？」

「大丈夫です。任せてください！」

　冬弥はそう言って胸を叩いた。

「何も覚えてないけどね！」

「よしよし……え？ なんで自信満々なの？」

「自信ないことに自信あります」

「一個ひねくれてるね！　大丈夫！　段々慣れてくもんだから！」

「冗談ですよ。誠心誠意働きます」

「うん、無理ない程度にね。えっと、学校は来週からだったよね？」

「はい。たしか」

　冬弥は高校二年生である。本当は高校転入をする際は前年度までに手続きを済ませなければいけなかったりする(住民票などの確認)が、事情が事情なのと、各業界に繋がりを持つ若宮伸二の根回しにより今回の転入が実現したらしい。

「それにしても、灯織ちゃんと毎朝登校か〜……夢があるねぇ」

「そうなんですか？」

「うん。私の妹は本当に美人なんだよ。そりゃあもう、学校で『高嶺の花』って言われてるぐらい。ちょっと人見知りなのが玉に瑕だけど……」

　紅色の髪を揺らして、ナギは饒舌に語る。妹愛が如実に現れていた。

「いや、自分は美人じゃないみたいトークしてますけど、ナギさんも美人だと思いますよ」

「……そ、そう？」

　冬弥の言葉が想定外だったのか、ナギは思わず目をそらした。しかし冬弥は彼女の動揺に気が付かないまま続ける。

「はい。どこからどう見てもモデル級だし、非の打ち所がないし、今まで会った女性の中でもぶっちぎりで──」

「ま、待って！！」

　彼女はそう言うと、その場であたふたし始めた。

「た、タバコ！ タバコ吸ってくるね！」

「えっ？ あっ、はい！ セブンスター？ それともハイライト？」

「テリア・メンソール！！」

　ナギはそう叫ぶと、バタバタと店の奥へ走っていった。

「まったく。なんであんなに慌てて……」

　冬弥は首を傾げた。しかし取り乱し慌てふためくその様子でさえも、美しくていい。そう思えるほど、彼女は凛としていて。

「ナギさんって、タバコ吸うんだな」

　冬弥は彼女のいなくなった空間を見つめながら、そんなことを思った。

「ちょっと、冬弥くんー？」

　すると、ナギが奥の方から戻ってきた。

「どうしました？」

「一緒にタバコ吸おうぜ☆☆」

「やりませんよ！ 古いパワハラか！」

　冬弥がそうツッコむも、ナギはひるまずに続ける。

「じゃあ、お姉さんの出した煙を、冬弥くんが吸ってみるっていうのはどう？」

「意味分かりませんよ！ そもそも、未成年喫煙は法律違反で──」

　そう言いかけたところで、冬弥は止めた。一瞬、ナギが夕焼けを背にして自分に煙を吹きかけるところを、想像してしまったのだ。

「あっ、今想像したね〜？」

「なんと卑劣な……！ 絶対に俺はタバコなんか吸いませんから！」

「わかってるって、冗談冗談〜☆」

　ナギはそう言うと、今度こそベランダの方に消えていった。

　これでは心臓がいくつあっても持たないな。冬弥は呼吸を落ち着かせてから、店の方に戻ることにした。

煙の味はちょっと想像した。薄々気づいていたが、自分は下馬評通りキモいみたいだ。