第17話 おれ、幼女。悩む。2

 俺は駅に着くと商店街の裏通りに行き、目の前を通りかかった男の人に声をかけた。


「あの……」


 俺の声を聞いて、男の人は立ち止まり俺を見た。


「なんだ。なにかようか」


「えっと……その」


 あれ、何を言えばいいだっけ。


 口にしようとしていたことが思い出せない。ここ数日まともに寝ていないせいか思考が上手くまとまらなくなっていた。


 あぁそうだ。俺、お金を稼がないといけないんだ。


「おい、早く行くぞ」


 呼び止めていた男はパーティーメンバーに呼ばれて行ってしまった。


 俺は一人残される。


「あっ……」


 相手にされない。


 始めから上手くいくとは思っていない。だけどこれは精神的に堪える。


 ここで挫けちゃダメだ。


 俺は諦めずに次に来た人に声をかける。


「あの……」


 バケツみたいなヘルムを被りプレートアーマーを着た冒険者だ。


「…………」


 すごく身体が大きい。2メートルくらいある巨体だ。鎧の隙間からじっと俺を見つめる。その視線と目が合った。暗いヘルムの中からギロリと覗く瞳。


 不気味で怖い。


 俺はビクッと身体を震わせ、視線を逸らしてしまう。


 どうしよう、どうしよう。


 視線が合わないよう、地面ばかりキョロキョロ見てしまう。


 だけどお金を稼がないと、ほのかを心配させてしまう。


 俺は顔をあげて意を決して喉から声を絞り出す。


「お、おれ」


 そこでしまったと思った。女性が俺なんていうだろうか。


 言うわけない。


「違う。わた、わたし……その……」


 口ごもっている間、彼は俺から背を向けた。


「いか、行かないで……」


 俺の呼びかけにもまるで興味ないように立ち去った。


「あっ…………」


 遠くへ歩き去っていく男の背中を見据え、取り残された俺はただ呆然と立ち尽くした。


 走って引き止めるくらい勇気があれば呼び止められただろう。だけど怖くて一歩が踏み出せない。本当にあの人は優しいのだろうか。あの巨体で身体を押さえつけられたら、俺は何かあったら逃げだせないだろう。それが怖い。

 馬鹿だ。

 自分の容姿を使えば、稼ぐくらい簡単だと思っていた。

 だけど現実は甘くなかった。

 声をかけてもそのあとは誰も立ち止まらない。

「あの」

 ようやく声を聞いて立ち止まってくれたのは鳥のクチバシみたいにとんがったヘルムを着用した男だった。

「…………」

 確かこのヘルムはバジネットといった気がする。細身だが、フルプレートアーマーを着用し、その腰には2本の剣が下げられていた。

「わたしと……」

 その人は俺が言い終える前に、顔を前に戻した。そしてそのまま興味がないように歩いていってしまう。

「待ってください」

 俺が勇気を振り絞って呼び止めた。するとその鎧を着た男はピタッと止まった。

 止まってくれた。

 俺は自分の言葉が届いた事が嬉しかった、一度大きく息を吸い込むと意を決して言った。

「わたしの身体をーー」

 彼は急にガシャガシャと音を立てて走り去る。

 えっ? 何で。

 わたし変なことした。

 これでも見た目には少しくらい自信があった。

 なんて言ったって今の自分は絶世の美少女だ。

 しかし。こうまで拒絶されると、だんだんと自信が無くなって来る。

 本当は可愛くないのかな。美少女だと思ってたけど、それは自分の思い違いなのかもしれない。

 いやいや。ただ先ほどの二人は、あまり俺の容姿が好きじゃなかっただけだ。

 次にきた冒険者は弓を背負い。サーリットと呼ばれるヘルムを被っていた。サーリットは頭部が丸くツルツルしていて、首後ろを守るネックガードがスカー状の形をしていて、鼻の下あたりまでバイザーがある。

 よし、声をかけよう。

「あの……」

 声をかけた瞬間、その冒険者は俺から距離を取るように飛び跳ねた。近づこうとする俺からジリジリと距離をとり、やがて振り返りガシャガシャと音を出して逃げていった。

 あ……。

 うん、これは。

 どうやら俺は、自分で思うより可愛くないらしい。

 困る。

 容姿に頼れるものがないとしたら、どうすればいい。この見た目を生かして相手の情に訴えるしかもうないじゃないか?

 そう、呆然と空を見上げ、回らない頭で思考をしている。するといつのまにか俺をじっと見下ろ男がいた。

 あっ人だ。声をかけないと。

「あの……」

 その人はサングラスをかけ、白いシャツに黒いスーツベストを着ていた。髪はワックスで整えられ、少し遊んでいる人に見えた。

「お嬢ちゃん何か困っているのか?」

 あれ……何でこの人は俺が困ってるってわかるのだろう。

「僕は怪しいものじゃない。君の力になれればいいと思って話しかけたんだ」

 優しい笑みを向ける。怖い人じゃないのかな?

「わ、わたし。いまお金に困ってて。それで、わたしにできることなら何でもするのでお金をいただけませんか?」

「ほぅ何でも……」

 男は大きく鼻から息を吸い込んだ。

「それはつまり君が幼稚園児のスモッグを着て、お兄ちゃんお風呂一緒に入ろう。一緒に身体を洗いっこしよう、と仲良くお風呂に入り、その後は布団で、怖いから一緒の布団で寝て、私の将来の夢はお兄ちゃんのお嫁さんなんだって耳元で囁くプレイでも可能と言うことかね?」

 サングラスの下から見える俺を見下ろす血走った目が怖い。

 本気だこの人。

「ど、どう言う意味ですか」

 男はガシッと俺の肩を掴む。

 掴まれた両肩に力が入って痛い。

 俺は震え始め、自分の身に何が起こっているのかだんだんとわかり始めた。

 そうしてようやく、俺は本来の大人の怖さが理解できた。

「つまりだ。君は僕の妹になる。僕を君の膝の上でいっぱい甘やかしてくれたらお金は好きなだけ払ってあげるってことだよ。いや、永遠に僕のものだよ。妹はお兄ちゃんのことが大好きだろう」

 あっ、この人はヤバい。

 俺は男の腕を払いのけ駆け出す。

すると彼は逃げようとする俺の手首を掴んだ。

 俺が振り返ると男は気持ち悪いくらい二チャッと歪んだ笑みを向けていた。男の口から唾液の糸が歯と歯の間に引く。

「この首輪をつければ永遠に僕の妹だよ」

 男が手にしたものを見て俺はゾワゾワと背筋が凍りつく

「そ、それは……」

 ただの首輪ではない。ダンジョン産のアイテム。

 隷属の首輪、一度その首輪をつければ首輪の持ち主の奴隷となり、首輪が外れるまで主人に逆らうことができなくなる。モンスターを使役する時に使う、人に使用が禁じられたものだ。

 つまり俺は今、奴隷にされそうになっている。

 そのことを頭が理解すると、心臓が早い鼓動を打った。

「い、いや! 離して。離してください」

 逃げようと彼の手を振り払おうとした。しかし、彼はギュッと掴んだ手に力を込め離さない。そして顔を近づけて、彼の生暖かい息が顔にかかる。

「一緒になろう、マイシスター」

 そう言った男は俺のことなど見てなかった。俺の身体だけを見てそう言ったのだ。

 逃げたい。

 その瞬間、思いっきり相手を押し除ける。

 しかし、男が退くどころか反対に強い力で地面に押し倒された。

 抵抗してジタバタ暴れると、逃げることができない俺を見て男は満足そうにしていた。

「や、やめ……」

「大人しく、悪いようにはしないから」

 男はそう優しく言った。でも腕を掴む力は強い。

「いや、離して」

 身体をよじって逃げ出そうとする。

「暴れるな」

 低い声で言われ、俺はこの男の言葉に従ってはダメだと感じる。

 男の力は強く、片手で両手首を掴まれ、抜け出そうと腕に力を込めてもビクともしない。

 俺は押さえつけられていない足で男のこと死に物狂いで蹴った。

「じっとしてろ」

「離して、離してって言ってるでしょ」

「もう、うるさいな。下品に喚くな」

 首に手がかかった。

 「かぁはっ……ぁ……」

 息ができない。苦しい。

「さぁ僕のものになれ」

 力が強い。抵抗できない。

 怖い、怖い、怖い。

 誰か助けて。

「ほら、大人しくなった。大丈夫、安心して。いっぱい可愛がってあげるから」

 俺に馬乗りになった男はそう言って笑みを見せた。

 抵抗がなくなった俺に男は満足そうだった。

「さぁ、一緒に帰ろう」

 だから油断していたのだろう。

 背後から気の弱そうな黒髪の青年が突然、男性のお腹にタックルを仕掛け、男は壁の方に突き飛ばした。

 その瞬間に首から手が離れ、おかげで肺に空気が入る。俺は息を吸った。

「ひゅぅっーーかはっはぁっはぁっはぁはぁ」

 俺は急いで立ち上がる。

 あれっ……

 逃げようとするが視界が歪んで上手く歩けない。身体の感覚がふわふわして変だ。

「何するんだこのクソガキ」

 男は腹に抱きつく青年を殴って壁に打ちつけた。そのまま倒れた青年のお腹に一発蹴りを入れ、青年が痛そうに「うぅ」とうめき声を漏らし身体を丸めた。

 男はそのまま痛みに身体が反応して反抗できない青年を執拗に蹴った。

「おらっ、おらっおらおら。何ヒーロー気取ってんだ」

「や、やめーー」

 俺は助けに入ろうとした。

 その時、顔を上げた青年と目が合う。

 青年は唇が切れて、血を流していた。

 でもその目は俺みたいに曇ったような目をしていなかった。痛みに耐えながらも自分の意思をしっかり持つように光り輝いていた。

「に、逃げて……早く」

 彼が俺に向かって言った。

 その瞬間、男の視線がこちらに向いた。

 俺は助けてくれた彼を置いて逃げる。

 それしかできなかった。

 無力で惨めで何もできない。

 だから逃げることしか選べないんだ。

 瞳から涙が溢れ出し、それを振り切るよう俺は、助けてくれた青年を見捨てて走り出した。

「待てよ」

 しかし、子どもの歩幅では大人の足にすぐに追いつく。

 俺は好きだった長い黒髪を掴まれ苦悶の声を上げる。

「痛い、痛い痛い」

 髪を引っ張られ痛がる俺を見て、男はまた笑みをこぼした。

「なに逃げようとしてんだ」

 首を掴まれる。

 ギチギチと力強く絞められ、息ができない。

「お兄ちゃんが可愛がってあげようとしてるのに、何を逃げようとしてんだよ。このクソガキ!!」

 腹に一発、拳が入る。

 ドンっときた痛みに閉じていた目を思わず開いた。

「もういい、可愛がってやろうと思ったけど。勝手に逃げ出そうとする悪い妹は、逃げようと思わないように教育してやる」

 痛い。

 呼吸、呼吸がしたい。自分の首から男の手を離そうと、両手の爪で男の腕を手を掻きむしる。

「大人しくしろよ」

 またお腹を殴られた。痛い。顔も、胸も、ボコっ、ボコっと殴られる。

 やめて、やめて。痛い。痛いよ。

 拳を防ごうとしてあげていた自分の腕がだんだんと抵抗の意思がなくなる。

 俺はだんだんと相手に殴られることを受け入れ始めた。

 ボコっと腹に拳が入る。

「うわっ、こいつ漏らしやがった。汚ねぇ」

 意識が薄れていく。俺は涙を流しながら謝った。ごめん。ごめん。ほのかごめん。

 俺は滲む視界の中で手を伸ばす。

 馬鹿なお兄ちゃんでごめんな。

 いつも迷惑かけて、お前を裏切ってごめん。

 でもどんな姿になってもお兄ちゃん絶対に帰るから。

 わかっていた。こんな男に捕まってまともに生きて帰れるはずがないこと。

 暴力を振られていやでも思わないはずがない。

 簡単に身体を売ろうとする愚かさに気づけなかった俺が馬鹿だったんだ。

 手足の感覚がだんだんと無くなってくる。まるで自分が消えていくよう。怖くはない。人でなく物になる感覚。

 だから、生きて帰れなくてもいい。

 ただ、もう一度ほのかに会いたい。

 会って謝りたい。

「ほら、首輪をつけろ。これでお前も晴れて奴隷だ」

 動かず大人しくなった俺に男は満足したようだった。

 俺にはもう抵抗する力はない。

「始めからそうしてればよかったんだよ。お前が暴れるから僕は暴力を振るわなくちゃいけなかったんだ。全部お前が悪い。そうだ。全部全部お前が悪いんだよ。だからこれは僕が行う正当な手段だ」

 男の言っていることがわからない。

「ふふふっ、これでお前は僕のものだ。僕の言うことを聞け、僕の満足することをしろ。じゃないとまた痛い目に合わせるからな」

 そう言って男が俺に首輪をつけようとする。

 その首輪が、とつぜん矢で撃ち抜かれ男の手を離れて壁に突き刺さった。

「誰だ、邪魔をする奴は」

 男は怒り狂うように声を荒げ、弓矢が飛んできた方を見る。

 しかし矢が飛んできた方とは別の方向から声がかかった。

「お兄さん。ガキ相手に何盛ってるの、キモイんですけど」

 やけに聞いたことがある声。派手なピンクと黒の髪が俺の薄ら開いたぼやけた視界に映った。

「何だこのブス。僕が何をしようとお前には関係ないだろう」

「関係大アリだっつーの」

 次の瞬間、男の顔に彼女の右足がめり込んだ。

 














 見慣れない白い天井。俺は目を開けて意識がはっきりするまでしばらく見つめていた。

「ここは?」

 どうやら俺はベットに横になってるようだ。腕には点滴の管が刺さっていた。

 顔がじんじんと痛む。触ってみると分厚いガーゼが貼ってあった。

 どうしてこんなところに。

 状況を確認しようと起きあがろうとすると、脇腹に痛みが走った。

「いたぁ」

 俺は脇腹を抑えてくぐもった声を上げる。

 すると起き上がった俺を見て、ベットに顔を伏せて寝ていたほのかが上半身を起こした。妹は俺が起きていることがまだ信じられないようで目を丸くぱちくりさせた。

「お兄ちゃん?」

 目の下を赤くした妹。声も普段とは違い風邪を引いたみたいに枯れていた。きっと俺が気を失ってから昨日一晩中泣いていたのであろう。そう思うと俺は自分のしでかしたことの愚かさと恥ずかしさから、何と声をかけていいかわからなかった。

「よ、よう」

 とりあえず無事であることを示そうと笑って手を上げた。

 その姿を見てほのかは口をキュッと結び、瞳に涙を溜めた。そして妹の大声が病室に響いた。

「お兄ちゃんの馬鹿ぁあ」

 妹はそう言って俺に抱きついてきた。

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