第15話 おれ、幼女。悩む。

 一日目からこの調子だと、俺は冒険者をやっていられない。

 どうするんだ。本当にどうすればいい。


『どうしたのあの子』

『なんで粘液まみれなんだ』

『まだ子どもだよね』


 帰りの電車の中、周りからヒソヒソ話す声が耳に入る。俺は座席の脇にある銀色の手すりに掴まり、暗くなった外を見た。街明かりが足早に遠くに去る。

 ダンジョンに探索に行き、冒険者として最低限の成果も出せなかった。

 俺は手に持った猫耳と尻尾をギュッと握った。

 この二つに価値はない。だけど持ってきてしまった。無価値なものを集めて捨てることはできないのは、昔から俺の悪い癖だ。


『話しかけようか』

『お前行けよ』


 遠く離れたところからの声が耳元に響く。電車が駅に着くと俺は周囲から逃げるように走った。

 改札にいる駅員や、通行人は驚いたように見る。スライムの粘液まみれの子など見るのは初めてだろう。イジメだと思われても仕方がない。俺は早くこの場を離れたかった。階段を一段飛ばしで降りて行った。

 そして走って、走って、走りきったところで俺は歩き出した。目の前の電柱の明かりが切れかかってチカチカとしていた。


「ただいま」

 家に帰ると妹が俺の姿を見て驚いた。

「どうしたのその格好」

 すぐさまキッチンの棚にしまってあったタオルを持ってほのかが近づいてきた。

「身体拭いて」

「いらない。すぐにお風呂に入るから」

 俺はタオルを広げて身体を拭いてくれようとする妹の好意を断った。そして風呂場に向かい、服を一枚ずつ脱ぎ洗濯機に入れ、最後にパンツを片足ずつ脱ぎ洗濯機の1番上にパサっと落とした。

 浴室に入るとキュイッキュイッと蛇口を回し、頭からシャワーを浴びる。

 浴室にザァーという音が響く。

 俺は顔を上げた。

 鏡に映る自分があまりにも幼い。そりゃぁあの数のプチスライムに勝てない。明日はどうするか。考えても答えは出なかった。

 考えるのは嫌いだ。考えても叶わないことが多かったからだ。

 叶わなかった?

 俺はそもそも何を叶えようとしていたんだ。

 男に戻ることか?

 それはつい最近の願いだ。

 本当は別に何か叶えたくてダンジョンに潜るようになった気がする。

 俺が思い出そうとした時、記憶にザザァーと黒い線が走りうまく思い出せない。

 でも確かに、そこには一人の少女がいて、手を後ろで組んで、歯を見せるくらいにぃとした笑顔で俺を見ていた。

「◾️◾️◾️◾️◾️◾️」

 彼女が何か言うがザァーザァーと言葉が遮られる。

「ご飯できたよ」

 妹の呼びかけに俺はハッと意識を戻した。

 なんだったんだ。

 キィ、キィと音を立て蛇口を回してシャワーを止める。

「うぅ、寒い」

 俺はバスタオルで身体を拭いて着替える。そして妹の待ってる居室に向かった。


 翌日、朝起きて、寝ぼけ眼で飯を食べる。それから家を出て改札をくぐり、電車に乗って、座席でうつらうつら船を漕ぎながら、ダンジョンに行く。昨日の過ちを気をつけて囲まれないように行動した。しかしプチスライムは思うように狩れなかった。3回攻撃をしないといけないのが足を引っ張っている。

 仕留められたのはプチスライム6匹。収入は交通費だけで赤字だった。



 その次の日、鉱石を掘った。しかし、クズ石ばかりで燃料石は見つからない。夜まで粘ったが成果は芳しくない。家に帰り風呂に入る。身体を洗うための桶を持ったが、手が焼けるように痛かった。

 俺は自分の手のひらを見る。手は血豆だらけで至る所で皮が裂け血が滲んでいた。

 無理して掘ったツケは一日や二日で治りそうになかった。

 そのおかげで交通費は稼げたが、明日も同じことはできない。

 その日は手の痛みでよく眠れなかった。

 

 そして朝になった。眠った気がしない。

 今日は交通費を節約するためダンジョンには歩いて行く。

 歩いて行くだけで、体力の半分以上を持って行かれた。しかし、金はかかってない。

 疲れた身体に鞭を打ち探索を行うが、結果は散々だった。疲労と手の痛みによって注意力が散漫しプチスライムの群れに遭遇。追いかけられ、逃げるだけで精一杯だった。

 1匹も狩れていない。家に帰ると、帰りが遅いことを妹に心配された。

 妹と一緒に飯を食う。あまり食欲が進まないが残さず食べた。

 そして布団に入るとお腹がズキズキと痛んだ。胃が荒れているのだろう。身体を丸めこみ痛みに耐えながら眠った。

 朝になる。俺は妹に呼ばれても布団に横になっていた。

 呼びかけても起きてこないことを妹に心配され、体調が悪いのではないかと聞かれた。俺は早く起きたかった。でも起きるのが億劫で、重い身体を起こすのは自分の身体より大きい鉄の板を立てるように感じた。

 病院に一緒に行こうかと聞かれたが断った。

 登校で出るのが早い妹を見送り、朝食を食べた。口の中がボサボサする。パン一口飲み込み、後は何も食べる気が起きなかった。

 うなだれるように、駅まで向かい改札を通った。電車に乗っている時、席に座り流れていく外の風景をボーと眺めていた。お金はもったいないなと思った。

 ダンジョンに着く。電車で少し休んだせいか身体の重さが少し軽減したように感じた。しかし、思うように思考がまとまらない。浅い呼吸ばかり続き、壁に持たれたかかると、油断した瞬間フラッとして意識を失ってしまった。幸いモンスターが出にくいエリアだったため無事だった。しかし、気がつけば夜だった。なんの成果も出せず家に帰る。飯は残した。夜は眠れない。


 次の朝。

 気持ち悪い。吐き気がすごい。食べたものをトイレで戻してしまった。幸い妹には見られていない。

 「お兄ちゃんどうしたの」と聞かれ、なんでもないと答えた。

 今日もダンジョンに行く。力が入らない。

 プチスライムを見つける。1匹仕留めて身体から力が抜ける。気分が悪い、頭がボーとして働かない。口が空いたままで、俺は壁にもたれかかりしばらくそうしていた。目の前を通りかかったプチスライムに気づいて、一心にナイフを振るった。気づけば夜だった。俺は家に帰る。


「お兄ちゃん」

 食卓の間で動きの鈍くなった俺は顔を上げた。

「どうした」

「なんだか最近変だよ。顔も疲れてるし」

「心配するな。いつもこんなもんだ」

「それならいいけど」

 妹の作ってくれたご飯を食べてニコッと笑みを浮かべる。

 味がしない。

 いや、味がわからなかった。

 口に入れるご飯は何を食べているのかわからない。

「それと言いにくいだけどスーパーで食材を買うためにお金が欲しいの」

「えっ……あぁ、お金な」

 俺は自分の財布を取り出した。財布の中身を見る。紙幣より、レシートの数の方が多かった。残りの紙幣を全部取り出して妹に渡した。

「これで足りるか」

「うん、足りるよ」

 お札を受け取って妹が財布にしまった。

「お兄ちゃん。もしかしてダンジョン探索上手く行ってない」

 妹の何気ない一言に俺は固まった。

 どうしてそんなことを言う?

「急にどうした」

「だってお金、前に渡してくれた時より少ないし、それに最近は夜中でも起きていることが多いようだから」

 心配するような顔で妹は俺の顔を見た。

「ごめん、金が少ないのはおれがミスをやらかして、そっちの方にお金を使ってるだけ。そのせいで今は金がないんだ。だから苦労をかける」

「それならいいだけど、私もアルバイトしようか」

「え?」

「お金がないなら、私も働くよ。放課後とか時間があるし」

「お前、勉強は?」

「お兄ちゃんよりも成績いいし」

 妹は笑ってそう言った。その笑顔を見て少し身体の痛みが和らいだ。

「ありがとう。でも心配するな。すぐに収入は入る。まだ本調子じゃないだけだ」

 俺は言った。

「そう、じゃぁ待ってる」

 妹はそう言って食器を片付けた。

 俺は米を噛み締める。辛い。

 もう、寝たい。

 妹に悟られたくない。俺は口の中に食べ物を詰め込み、トイレに駆け込んだ。

 飲み込む。戻ってくる。押し込むように飲み込み堪えた。

 胃に入った。

 俺は荒い呼吸を整えて落ち着こうとした。

 そしたら戻した。

 身体中から熱くもないのに汗がブワッと溢れ出してくる。

 辛い。辛い。辛い。辛い……

 部屋に戻ると妹がちゃぶ台を壁際にどけ、布団を敷いていた。電気を消す。

 隣で寝る妹の寝顔を見ると少しばかり気持ちが楽になった。

 俺は寝返って子ペンギンをだき抱えた。こうしてると少し気持ちが和らぐ、そんな気がした。

 目を瞑る。

 眠れない。

「お兄ちゃん」

 背中から妹の声がした。

「眠れないの」

 心配そうに聞く妹に、俺は寝たふりをした。

「大丈夫? 無理してない?」

「…………」

 口をキッと噛み締め、泣くのを堪えた。

 ほのかにこんな姿を知られたくない。

 お金がないなんて言えない。心配をかけたくなかった。負担になりたくなかった。普通に学校に行って、俺の面倒なんかじゃなくて、周りと変わらない青春を過ごして欲しかった。

 だから俺はほのかには頼れない。一人で出来ることを証明しなくちゃならない。頼っちゃダメだ。以前だって一人で暮らしてただろう。

 翌朝、布団から起きると、窓の外はどんよりと雲が広がっていた。妹は先に出て行ったのか朝食に書き置きがしてあった。「ちゃんと食べてね」丸っこい可愛い字。俺は口に押し込むよう飯を入れ、水で流し込んだ。味はわからない。

 そして電車に乗り、ダンジョンに行く。

 ダンジョンについてからプチスライムを1匹倒す。さらにもう1匹倒す。加えて1匹。そのほかは群れていたり、数体で行動していたりと手が出せなかった。気づけば夜になっていた。家に帰る。深夜遅くだったから妹は寝ていた。ちゃぶ台にラップをかけて置かれた食事に俺は手をつけず、布団に入った。身体が寒かった。布団がもっと欲しい。俺は押入れから余分の布団を取り出して上にかけた。寒い、寒い。寒い。

 次の日。

 家に帰宅して頭からシャワーを浴びる。

 成果はない。

 自分でも何をしていたのかわからない。ダンジョンには行った。

 だけど途中の記憶があやふやで、気がついたら家の前だった。

 食事中も妹の話がまるで耳に入ってこない。

 いま思えば最初の探索が1番実入が良かった。その後はずるずると落ちていく。上向くことはない。

 そして財布にもう本当に金がない。明日、ダンジョンに行く交通費を払えば底をつく。それが怖い。

 俺に残された手段は少なかった。

 ザァーと音が響く浴槽で俺は鏡に映る自分を見た。顔つきは以前より良くないが。それでも誰もが見ぼれるほどの美少女だ。

 一般の人の受けはよくなさそうだが、性壁が偏った人には受けが良さそうだ。

「……身体……売るか……」

 キィっとシャワーを止めて浴槽に響く力無い自分の声。それを聞いて俺はハッと目を見開いた。

 何言ってんだ。身体を売る? 誰がそんなこと。

 俺は鏡で自分の姿を見る。

 そこには黒髪の幼女がいる。

 悔しいくらい綺麗な、力のない自分。弱い自分。他人に頼らないと何もできない自分。こんなにも俺は惨めで、情けない人間だったのかと認識してしまう。堪えていても目に大粒の涙がたまり、こぼれ落ちる。俺はそれを手で拭って、拭ってもまたこぼれ落ちてきた。妹に聞かれないよう啜り泣いて、唇を噛み締める。

 もう、方法がないのだ。

 俺はこぼれた涙を両手で撫で上げるとニィと笑みを浮かべた。笑えてなかった。笑えずにただ泣く少女が鏡に映っていた。

「誰か助けてよ……」

 胃がキリキリと痛む。俺は胎児のようにその場に身体を丸めた。


 翌日にほのかが学校に行ってから、俺は彼女が家に置いている化粧ポーチを漁った。メイクの仕方はこの身体になってすぐにほのかが俺で遊ぶついでに教えてくれた。

 下地を縫ってクマを隠す。その上からファンデーションを塗って荒れてきた肌を隠した。

 ただそれだけ。ナチュラルメイクというらしい。マスカラや口紅などは似合わないからしないほうがいいとほのかに言われた。

 一張羅なんて持ってないからお姉さんにもらったワンピースを着た。

 鏡に映った自分の顔、笑う。

 天使のような笑みを見せる女の子がそこにはいた。

 あとは男を捕まえてお金をもらうだけ、ただそれだけなのに、そのことを考えると気持ち悪くなって俺は口を押さえ、トイレに駆け込んだ。

 逃げるな。逃げるな。逃げるな。

 トイレから出てきた俺は、家の鍵を閉め、駅に向かう。

 改札を潜る。

 もう残金はない。

 ダンジョンに行くわけでないのに、ダンジョンに向かったのは初めてだった。

 俺は駅に着くと商店街の裏通りに行き、目の前を通りかかった男の人に声をかけた。

「あの……」

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