第4話 おれ、幼女。 3

「お願いだ、出てくれ」


 神に祈るように念じる。耳元で鳴るコールオンが静かに響いた。プルルル、プルルルと音が立ち去る時間がやけにゆっくりに思え、プツッと切り替わる音に俺は早口で言った。


「ほのか、おれだけど、お前が小学生の頃の服をーー」


 しかし、受話器から帰って来た声は妹のほのかの声ではなくやけに淡々とした事務的な機械音声だった。


『おかけになって電話番号は電源が入っていませんか、もしくは現在使われていません。おかけになった電話番号は…』


「……うそ」


 俺は膝が崩れ落ち、両手を床についた。


 終わった……唯一、少女になった俺の姿を見ても動揺せず理解してくれる相手だったのに。



 これからどうして生活して行こう。



 天から伸びた蜘蛛の糸にしがみつき、まんまと登り切る前に落ちた気分だ。



 家には食料と水はあるけども、冷蔵庫のものは、ほとんどない。


 最近、全体的に食料が値上がりをしているので買うのを渋っているせいだ。お気に入りの冷凍食品が30円も値上がりしてるのだ、リピートしていた手がスーッと商品を取らずに戻ったのはついこの間のこと。

 こんなことならあの時、値段に尻込みせず、買っとけばよかった。

 お米の値段も海外からの日本食の需要が増えて2倍くらい高くなってるし、特売のセールをケチケチ待ったツケがここにきて猛威を振るっている。

 そうして家計にクリティカルヒットした結果、俺のお腹がぐぅーとなる。

 しかし、焦るな俺。まだ缶詰はある。これで食いつなぐことはできるだろう。あるのは鯖の味噌煮缶とチキンカレー缶だけだ。贅沢をいうならご飯が欲しいが米はない。

 普段は外食ばかりで、米を炊くなんてできていない。あるのは透明なプラスチックの頑丈な袋に残る数粒の米粒だけ。逆さにして振って畳の上に落ちた米粒を見て俺はその場に膝をついて絶望の影を顔に落とす。こんなことなら日頃、自炊とかして作り置きをしておくべきだった。

 秘蔵の缶詰は今日食べて、明日も口にしたら底をつく。

「ここで……飢えて死ぬのか?」



 飢え死にするくらいなら社会的倫理観感など捨てて外に行けばいい。

 俺は腕を組んでうんうんとその考えに同意した。

 今の格好だって、最先端なファッションだといえば見えなくもない。

 ほら、よく池袋や渋谷に長いシャツを着て下にパンツ履いてないような格好の女の子がいるじゃん。その感じで行けば……

 俺は自分が外を歩き、ショッピングモールに行ってパンツと服を買うところを想像した。

 目的地に行く道中、すれ違う人に「あの子、大丈夫?」「変よね」と言われ、俺は顔を赤くしながら足早に立ち去る。

 ショッピングモールには無事入れるが、女児の服を探し、店に見つけて入ろうとすると警備員に呼び止められ、そのまま事情聴取というバックヤードへ連れて行かれる。店員さんにその格好はどうしたんですかと優しく聞かれ、俺は「ふ、服がなくて買いに来たんです」と涙目になりながら訴える。白々しいと思われた店員さんの視線に耐えるが、そっと受話器に手にかけた途端、張り詰めた無言の一時、背中に滝のように汗をダラダラ流し、乾き切った口で俺はゴクリっとつばを飲み込む。そして呼ばれる警察と親。

 俺は女児になった34歳の男。

 そんなの社会的に抹消される。

「あぁあぁーーーーーー!! どうしたらいいんだよー」

 俺は頭を抱えながら後ろに倒れ込み、背面ブリッチを決めて叫び散らす。

「このままじゃ飢えて死ぬか、大衆の目にさらされて羞恥で社会的に抹消されるかの2択しかないじゃないぃいいいい」

 泣きたい。本当に泣きたい。どうしてこんな美少女になってまで俺は苦しまなくちゃならないんだ。普通なら幸せになれるのに、こんなに不幸なら俺は美少女になんかならなければよかった。

 あぁ、そうだ。あの時、目が眩んであんな宝箱を開けなければ。

 目から汗が滲む。

「やり直したい……」

 リセットボタンがあるなら、今すぐ俺を元に戻してくれ、こんな身体を貰っても俺には宝の持ち腐れだ。もっとふさわしい相手がいるだろう。

 正座して床に両手をつき、畳にポタポタと涙がたれる。

「今すぐあの時からやり直したいッ」

 俺は拳を握って両手をドンッと振り下ろした。



「お兄ちゃんいるー?」



 その時、ガチャっと家の扉が開いた。薄暗い部屋に外の光が差し込むと俺は、思わず顔を上げた。

 だってそこに救済の天使がいたからーー

「お母さんとケンカしたから今晩、泊めてよ」

 肩より長い金髪に東京のギャルらしいメイクをした小顔の女子高生。見知った高校の制服に、パンパンに膨らんだショルダーバック。太ももが露出し短めにあげられたエメラルド色のプリーツスカート。10人見れば10人が振り返るすらっとしたモデル体型。健康的に育った胸のせいでブラウスのボタンが苦しそうに胸元を繋ぎ止めている。

「ほ、ほのか……」

 俺が手にしなかったものを、全て手に入れた優秀すぎる妹。大分 ほのか。

 スポーツ万能、成績優秀、おまけに美人ときた。

 兄である俺はよく血のつながりを疑われ、腹違いなんじゃないかと知り合いに聞かれたことが耳が痛いほどある。

 だかしかし、天は俺を見捨てていなかった。いや、試していたのだ。

 高い壁がそびえ立つ難題の試練を乗り越え、苦境のその先に希望があると。

 そして俺は見事その試練を突破したのだ。

 服がなくて外に出れず食料を食い尽くし飢えることも、パンツを買いに行くために羞恥によって人の目を恥じんで下を向くことも無い。

 さらっとした髪を揺らした妹と目が合う。俺はパンツが買えないというどん底にいたせいか。ほんの一瞬、心が通じてあった気がした。

 愛しの我が妹よ。

 お兄ちゃんはお前に会えて嬉しいぞ。

 感動の再会を味わってる中、玄関に立ち尽くしていた妹がショルダーバックをドサっと床に落とした。

 おいおい、妹よどうした。そんな目を丸くしてまるでお兄ちゃんじゃないものを見てるかのような驚きじゃないか。

 妹はポケットの中からおもむろにスマートフォンを取り出した。

 ん? 何をするつもりだ?

 そして素早くスマートフォンをタップし、耳に当てた。

 どうしたんだ。兄は目の前にいるのに。ははっ、きっとこの姿に衝撃を受けて、動揺しているんだな。お兄ちゃんは大丈夫だこんな姿になってもお前の兄であることは変わりない。でも待て、気持ちを落ち着かせるために、親に報告するのだけはやめてくれ。こんな姿を母親に見られたら、俺は羞恥で死ねる。

 俺は落ち着いた態度で、じっと妹を見る。

 こういう時は慌ててはダメだ。年上の余裕を見せなければ。

「もしもし、警察ですか? 兄が幼い女の子を誘拐したみたいで……」

 事務的に電話の相手に事情を話す妹の声はまるで兄のことを他人のことのように話す機械のように淡々と冷たかった。

「ほのかぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 俺の大声で叫んだ声が近所一体に響いた。

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