2-9 訣別



 無明むみょう逢魔おうまは、朱雀宮内の鳳凰殿の方へ向かっていた。鳳凰殿へと続く渡り廊下の前に来た所で、その足が止まった。正確には止められたというのが正しいだろうか。


「これはこれは朱雀の神子、無事でなりよりです」


 無明むみょうは通路を塞ぐように立っていた見知らぬ三人の術士を前に、手の拳を右手で包み、そのまま両手を左の腰に当て、膝を少しだけ曲げて小さくお辞儀をしてみせた。女性が拱手礼の代わりにすることがある万福。前に紅宮こうきゅうの宮女たちがやってみせた挨拶を思い出し、忠実に再現してみせる。


「術士さま、私に何か御用ですか?」


 羽織を頭から被ったままの無明むみょうの表情は、背もずっと低いので相手にはよく見えていない。鳳凰殿に近いこの場所で待ち構えているとは思っていなかった。動揺こそしていないものの、相手の出方次第でややこしくなる可能性もあるので、どう治めようかと思考を巡らせる。


「ああ、実は、少し伺いたいことがあって待っていたのですよ」


 三人の中心にいる青年は、含みのある言い方でこちらに一歩二歩と近付いて来ると、無明むみょうに触れるか触れないかという至近距離まで来て、やっとその足を止めた。逢魔おうまはその記憶力の良さから、炎帝堂の扉の前にいた者たちであることを認識すると、無明むみょうと青年の間に割って入る。


「おじさん、それ以上近づくなら、大声で叫んでもいいよ。そしたら、鳳凰殿にいる宗主サマか、あの怖い護衛が助けに来るかも?」


「その目付き、嫌味ったらしい口調。やはり、あの蓉緋ゆうひの隠し子という噂は、あながち間違いではないらしい」


 青年は"おじさん"と呼ばれるにはまだ若いが、その言い回しが気に入らなかったのか、逢魔おうまを見下ろし睨みつけると、口元を緩めて嫌な笑みを浮かべてそう言った。


 逢魔おうま夢月むげつに同じことを言われた時は無性に腹が立ったが、目の前の小物に言われても何の感情も動かなかった。


「それで? 私に伺いたいこととはなんです?」


 逢魔おうまの肩に両手を置いて、ふたり視線だけ交わすと、青年を見上げて淡々とした声音で問う。おそらく、担ぎ手たちのことだろう。本来なら彼らが自分を拘束し、目の前の青年の所に連れて行くことを目的としていたから。


「今からでも遅くない。俺の配下になれ。もちろん、損はさせない」


 真紅の羽織に手をかけようとした青年の手を、無明むみょうは強く掃って遠ざける。途端、わかりやすく青年の顔が歪んだ。


「ひとが下手したてに出てやれば、生意気な!」


 掃われた右手をそのまま振り翳し、無明むみょうに向かって手を挙げようとした、まさにその時だった。


「いい加減にしてください!」


 びくっと青年はその怒鳴り声に肩を震わせた。振り上げたままの手は完全に行き場を失い、声のした方へと恐る恐る首だけ向ける。そこに声の主はおらず、それが自分に向けられたものではないことに安堵の表情を浮かべた。


 他の術士たちも顔を見合わせて、今の状況を確認しているようだった。


(今のは····花緋かひさんの声?)


 無明むみょうの耳に届いたその怒鳴り声は、確かに蓉緋ゆうひの護衛であり側近でもある、花緋かひの声だった。物静かな印象のある彼だが、蓉緋ゆうひの前でだけは、時に本来の性格が出るのを知っている。現に、蓉緋ゆうひ無明むみょうに求婚した時は、一番声を上げていた。


「昔の恩があったので、今まであなたに仕方なく仕えてきましたが、今回の件でいよいよ愛想が尽きました! あなたが宗主でいられるのも、これが最後となるでしょう」


 話がどんどん不穏になっていく。青年たちは、そのやりとりに聞き耳を立てることに夢中になっており、今なら隙をついて簡単に逃げられそうだ。


 しかし無明むみょうはそれをせず、そのやり取りの意図を考えていた。そんな中、鳴り響いた音。

 それは、刀と刀がぶつかり合うような甲高い音だった。


花緋かひ、俺に刃を向けるとは不義ではないか? 昔馴染みといえど、俺がそれを赦さないと言えば、いくらお前であってもその罪は免れないだろう」


「これは宣戦布告です。あなたをその座から引きずり下ろすための、私の決意と思ってくれて結構」


 無明むみょうは慌てて鳳凰殿の方へと駆け出す。道を塞いでいた青年たちは、ふたりの会話の方が気になって仕方がないらしく、簡単に横をすり抜けられた。逢魔おうま無明むみょうを追い、後ろについて行く。


 開け放たれたままの扉の先、刃を交わしているふたりの姿があった。駆け寄ろうと一歩踏み出したその時、突然、扉の右側に身体が引き寄せられる。


「近寄らない方が良い。とばっちりで怪我をするといけないからね、」


 扉の横にいた伯父の虎斗ことが、無明むみょうの右の手首を掴んで止めたのだ。強く握られたわけでもないのに、それ以上動けなくなる。奥には白鷺はくろ老師もいて、真ん中でいがみ合う蓉緋ゆうひ花緋かひから距離を置いているようだった。


「······なにがあったの?」


 珍しくまだ馴染めていない伯父に対して、無明むみょうは遠慮がちに訊ねる。そうこうしている内に、交えていた刃を解き、花緋かひが苦々しい顔で蓉緋ゆうひを睨みつけた。


「あなたがこれ以上好き勝手に振る舞うのなら、こちらにも考えがあります。鳳凰の儀であなたを倒し、私が次の宗主になります!」


「やってみろ。今までお前が本気でやって、俺に勝ったことなど一度もないだろうに」


「それは、昔の話でしょう。常に修練に励んでいる私と、忙しさを理由に怠けていたあなた。その差はとうにないようなものですよ」


 花緋かひは不敵な笑みを浮かべ、肩を竦めてそう言い切った。降ろした刃を鞘に収め、衣を翻し背を向ける。蓉緋ゆうひもそれ以上なにも言わなかった。去って行く友の背を見つめ、引き留めることもない。


 無明むみょうの姿に気付いた花緋かひだったが、視線すら合わせずに、立ち止まることなく形だけの拱手礼をし、無言で横を通り過ぎて行く。


 はあ、と嘆息した虎斗ことは、無明むみょうと視線を交わすと首を振った。どしどしとわざとらしく怒りを込めて歩いて行く花緋かひは、怒っているという事だけは確かだった。


 路を塞いでいた三人の間を「邪魔です」と言わんばかりにぶつかりながら通り過ぎ、さっさと自室へと帰って行く。

 ぽかんとする三人だったが、蓉緋ゆうひが通路の方へ姿を現した途端、慌てて散って行った。


「こんな所までのこのこと。ご苦労なことだな」


蓉緋ゆうひ様、今のはなんですか?」


 扉に手をかけた蓉緋ゆうひを見上げ、無明むみょうは怪訝そうに訊ねる。こんなことは計画の中にはない。花緋かひはどうしてあんなことを言ったのか。訣別。蓉緋ゆうひはなぜそれを許したのか。


「あれのことは気にしなくていい。それよりも、君の話を聞きたい」


「ダメだよ。まずはさっきのこと、ちゃんと説明してくれる?」


「見たままさ。それを話す必要が?まあいい。とりあえず、君はこちらへ」


 虎斗ことの手を解き、蓉緋ゆうひ無明むみょうの肩を抱いて連れて行く。逢魔おうまはむっと一瞬頬を膨らませたが、無言でふたりの後を追う。



 あの茶番劇がなんであれ、その真相を知る必要はあった。



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