全国への切符
唐変木
第1話
雲一つない晴れ間が広がり、爽やかな風が吹き抜ける五月下旬。
しかし、彼の情熱によって、彼の周りでは、そんな心地よさが微塵も感じられないようだった。
「みんな! 三○分おつかれさま! まだまだ元気出せよ!」
彼の名前は勝利(カツトシ)。身長は一六〇センチほどの小柄な体格で、赤いメッシュの入った黒髪の短髪は、彼の放つ熱気と汗で、湿り、逆立っていた。
そんな彼の右足には、サポーターが巻かれていた。
それは勝利が二年生だった頃の怪我だった。
先輩の引退が懸かった試合に出場していた勝利だったが、足に感じた違和感を無視し、プレイを続けた結果、膝の疲労骨折を起こした。
勝利が退場した流れで去年は敗退してしまい、それを負い目に感じている勝利は人一倍、今日の試合への熱意を持っていた。
「試合は残り十分だな」
今年、正式にチームのエースとなった勝利がチームメンバーと話していた。
「あと十分で十二点差をひっくり返すのは、簡単じゃないかもしれない。でも大丈夫! 俺とみんななら絶対勝てるさ!」
勝利は熱くなると戦況を顧みずに、根拠のない自信でチームを鼓舞することがよくあった。実際、これまでの試合で勝利のメンタルがチームを救ったことは何度かあった。
しかし、今回ばかりは、勝利の楽観視を受け入れるのは難しかった。
「そうは言ってもなぁ……。実際にどうやって勝つかは考えてるのか?」
キャプテンの慎二(シンジ)が勝利に問いかける。
慎二は百九○センチ台の高身長で、オールバックの髪型。長い四肢を活かしたディフェンスを得意とし、またその高い視点からコート全体を見回す司令塔を務めていた。常に落ち着いていて、暴走しがちな勝利をうまく制御しながらチームを勝たせる作戦をいつも思いついていた。
「分からん! でもシンなら打開策を閃くって信じてるぜ!」
「そのポジティブさが羨ましいよ。勝つために必要なことを整理しようか。僕たちが勝つために必要なのは、大きく二つ。一つはカツの徹底マークをどうにか外すこと。今日の試合が苦しいのは、僕たちのディフェンスが機能してないというよりも、相手がカツを全力で止めてきていて、点をあまり取れていないのが大きい。それからもう一つ。極力相手の攻撃時間を短くすること。」
バスケットボールの試合ではオフェンスのチームが二十四秒かけて攻めることができる。お互いのチームがフルで時間を使うとすると、片方のチームが攻撃できるチャンスは十二回か十三回ほど。十二点の差を埋めて勝つのは簡単なことではない。
「相手の攻撃をシュートで終わらせないこと、一対一できっちり止めるか、ゾーンディフェンスでゴールを守るか。いずれにせよ、相手側を誘ってできるだけ早い試合展開をすることが大事だと思う。」
「シン。その作戦だと相手が落ち着いて攻めてきたら早く切れないんじゃない?」
「確かにそうなんだよねぇ。さて、どうしたものかな。」
「オールコートでプレスして、俺たちが攻めるべきリングの近くでプレイするのが最善手じゃないか? シンなら思いついてただろ?」
「……たまに見せるカツの野性なのか、本能なのか。いずれにしても、僕もその作戦が勝ちに一番近いと思うよ。ただね……」
「ただ、なんだよ?」
「……本来、ハーフコートで済むディフェンスをオールコートで、加えて試合終盤でやり続けるとなると、体力の消耗が激しすぎると思ってね。」
「なるほど、分かったよ。さすがはシンだ。ちゃんとチームのことを考えてくれてる。ならラストピリオドの最初はみんな一旦休んだらどうだ? その間俺と他のみんなでなんとか耐え忍ぶからさ!」
「カツ、僕が心配してるのは、何もみんなの体力だけじゃない。君の足はまだ治りきってない。そんな君にオールコートプレスなんて提案できなかったんだ。」
「そんなこと気にしてたのか。大丈夫大丈夫! なんか今日はいつもより足の調子が良いんだ。だから俺は試合に出続けるし、オールコートプレスだってやってみせるさ!」
「……カツ。去年の君も、一瞬足の痛みが出た後、同じようなことを言っていたね。去年の失敗をまた繰り返すつもりかい?」
「今年は去年とは違う! 昨日までだってしっかり足のケアはしてきたし、今日の試合だってインターバルの度にアイシングとかして気遣った! 今年の俺は大丈夫だ!」
昨年の悔しさを今年晴らすために勝利はムキになっていた。
「……カツ。君のことは君にしか分からない。もしかしたら今日は本当に足の調子がいいのかもしれない。でも僕は君に無理をさせてまで勝ちたくないんだ。」
慎二は去年の勝利の悔しそうな姿を間近で見ていた。勝利の葛藤を理解した上でも勝利の体を慮って勝利を止めようとしていた。
「俺は……。俺は! 去年みたいな思いをするのはごめんなんだ! ここでやりきらなっかたら一生後悔することになる! だから頼む! 頼むよ……」
勝利の目が潤む。
勝利は昨年の試合で涙を流して以来、血の滲むような努力とリハビリを経て、この舞台に立っていた。
「そうやって言うってことは、やっぱり足は万全というわけじゃないみたいだね。」
無情にも慎二は口にした。
「君がどれほど悔しくて、どれほど頑張ってここまで戻ってきたのか。三年間共にプレイしてきた僕たちも十分理解しているつもりだ。」
「だったら……」
「だからこそ、一旦全員で休もう。」
慎二の提案に他のチームメイトが目を剥いた。
「今ここで交代なんかしたらそれこそ逆転なんて絶望的だぞ」
「交代してる間にもっと点差が開いちゃうかも」
「それに、俺たちのオフェンスのチャンスだって……」
口々に慎二の策を止めようとするチームメンバーとは裏腹に、勝利の顔には笑みが戻っていた。
「みんな! すまん!」
大きな声で勝利がチームメイトの声を遮った。
「俺は勝ちにこだわって焦るあまりに大事なことを忘れてた。俺はシンの作戦に賛成だ。」
憑き物が落ちたような爽やかな表情で勝利が言った。
他のみんなの納得していない表情を見て、勝利は続けた。
「俺が忘れてた大事なこと、それは、みんなを信じることだ。今日の試合で負けてるのは、俺が無意識に一人で戦おうとしてたからだ。俺が点を取るってことにこだわった結果、チームの得点が伸びなかった。だから、一旦全員で交代して、オフェンスも含めてプレイを立て直そう。俺とシンがたどり着いたオールコートプレスの作戦は、チーム全体でディフェンスをする作戦だ。お互いがお互いを信頼したディフェンスをすることで成り立つ作戦だ。みんなを信頼できてなかった俺にできる作戦じゃない。だから一回頭を冷やさなきゃな。でもそれはみんなも同じじゃないか?」
慎二を含め、全員がハッとした。
「自分達が交代したら点差がさらに開いちゃうなんて、交代するメンバーを信頼してたら考えない。俺の仲間は強いんだって思ってたら、むしろ点差なんて縮まるって思うさ。」
勝利が滅多に言わない正論を言うときは、本能的にチームを救おうとしてる時だった。
「シンだってそうさ。俺が足は大丈夫って言っても信じてくれなかった。半分は去年無理した俺が悪いかもしれないけど、俺を心配するあまり信じられなくなってたろ? だから、全員で交代して、全員で頭を冷やそう。それから、勝とう! お互いがお互いを信頼し合う! それができれば絶対負けないさ!」
慎二も他のチームメイトも勝利が話し始めるまでは苦しそうな表情だった。
勝利の言葉でハッとしたあと、一瞬バツの悪い表情を浮かべた。
しかし、今の彼らにそんな表情はない。
勝利の表情が伝染したように全員爽やかな表情だった。
「……まさか、カツに気付かされるとはね」
「勝利に正論を言われるのなんていつぶりだ〜?」
「なんか悔しいな」
「それな!」
慎二の言葉を皮切りに口々に勝利をイジり始めるチームメイト。
「なんだとぅ! ひどいぞお前ら!」
明るい雰囲気のまま、みんなに牙を剥く勝利。
彼らの周りには先ほどまでのギスギスした空気感はすでになく、仲間を信頼して、笑い合ういつもの空気感が戻ってきていた。
「はいはい、そこまでにしとけ〜」
慎二の言葉で気を引き締め直したみんな。
「よし。俺たちなら大丈夫! 勝つぞ!」
「「「「おう!!」」」」
勝利の言葉に呼応する慎二たち。
「全国、行くぞ!!」
「「「「おう!!」」」」
この後、休憩を挟み、体力と互いの信頼を取り戻した慎二たちは、オールコートプレスで相手の攻撃を止め、勝利を主体としながらも、全員でオフェンスをするスタイルでぐんぐん点差を詰めた。
そして、試合は残り三十秒。相手チームのオフェンス。点差は二点まで詰まっていた。
「ふぅー。ラストプレイだな」
「だな」
目線だけで最後の作戦を共有する勝利と慎二。
相手チームは二十四秒をフルに使ったオフェンスを仕掛けたが、シュートは外れた。
死ぬ気でリバウンドを取った勝利が仲間にパスを繋ぐ。
慎二は勝利を信頼し、すでにシュートを狙えるほどの位置まで走っていた。
少ない残り時間でなんとか慎二までパスが繋がった。
しかし、相手も最後の力を振り絞って慎二のゴールまでの視界を全力で塞いでいた。
そんな慎二の目の端に映り込む、黒髪に混じった赤い髪。
「よこせ! シン!!」
「決めろ! カツ!!」
勝利がスリーポイントシュートを放った直後、試合終了のブザーが鳴る。
勝利のはなったシュートは綺麗な放物線を描き、リングに触れることなくゴールネットに吸い込まれた。
審判が下したジャッジはカウント。
大逆転で勝利たちの勝利だった。
コートの真ん中で円陣を組み、勝利を噛み締めている勝利たちの顔には、汗とは異なるモノが溢れていた。
完
全国への切符 唐変木 @zinseigame
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