第23話
うう。まぶしい。ちょっと目があけてられない。
思わずぎゅっと目を閉じた。
「うおっ! お、おお……?」
少し遠くの方で師匠が驚きと困惑の声を上げているのを、聴覚のみで知る。
「ああ、なんてすばらしい……!」
「おお……」
「なんと……」
「奇跡だ……」
次いでざわざわと重なるように聞こえたのは、マライア王女と周囲の人々の感嘆と驚愕の籠ったどよめき。
それと同時に、さあ……、と、涼やかで清らかな風が吹いた。
えっと、成功した? のかな……。
ごっそりと魔力が抜けたせいか少し脱力感があったのもあって、しばらく目をつむったまま耐えていたけれど、そろりと瞼を持ち上げてみる。
「……おいリア、ちょっとやり過ぎだ」
そこに、呆れたような師匠の声が頭上から響き、はっと顔を上げると、最前線にいたはずの彼が、私たちの上空まで飛んできて宙に浮いていた。
「え、あれ? 師匠、ここまで下がって、大丈夫なんですか……?」
「自覚なしか。大丈夫かもなにも、もう何もないんだよ。見てみろ周り」
そう言われて周囲を見渡せば、魔物はいない。淀みもない。穢れすら残っていないように見える。
それどころか、なんか淀みがあったはずの場所に、……泉?
いや、まだ大きめの水たまりくらいの湧き水なのだけど、こうして見ている間にも段々広がって来て、そろそろ泉くらいには評価してよさそうななにかになりつつある。
「え、あんなのありましたっけ?」
「ない。なかった。淀みが消えたと思ったらいきなり地面が割れてじわじわごぼごぼ水が湧いて来て、これだ。地下から水が呼び起こされたんだろうな。なあリア、なんかお前、余計なことまで祈らなかったか?」
私が戸惑いを露わにして尋ねると、師匠は呆れをふんだんに声音にのせてそう答えた。
答えながらすーっと私の目の前の地面に降り立った師匠の問い詰めるような視線に居心地の悪さを感じながら、私はもにょもにょと弁明する。
「余計なと言われても、この地に平和と安寧と豊穣が広がりますようにとしか……」
「豊穣。それが余計じゃなくて何だって言うんだよ。コレ、一帯の土壌も変わってないか……?」
じとりと私を睨み、それから足元の地面を睨みつけ、師匠は言った。
いやいやまさかまさか。
私が祈ったのは淀みに浸食されていた範囲のことだけだし、たい肥や栄養剤を撒いたわけでもないのに土が変わるわけが……、なんか、ほっそりしていて枯れかけだった草が変につやつやしているし、土自体も気持ちさっきよりしっとり黒々としてるような……? い、や、気のせい。絶対気のせいだって。
気のせいじゃなかったら、今こんこんとわきつつある泉の水になんらかの効力があるとか……? その水がここまで多少染みてきていて、土壌改善まで至っているとか……、いやいやまさかまさか!
おそらきれい。
地面から全力で目をそらし、私は空を眺めた。
師匠、淀みの出現は今夜とか言っておきながら、まだ全然夕方のうちに全部片付いてるじゃないですかー。やだー。
私は、マライア王女と領主軍の指揮官が聖女様の起こした奇跡だの領主に報告だの調査がなんのとか言っている気がするがそれを全力で耳に入れないようにしながら、意地でも空を、夕焼けの空を見つめ続ける。
「おい、これほどの大規模な魔法を使って平気なのかリア。気分が悪くなってはいないか?」
そんな私の視界にひょいと割り込んで、師匠は心配そうに訊いてきた。
おそらもきれいだけど師匠のお顔もきれい。
「え、いえ、全然。むしろこう、なんか、一人カラオケを存分に楽しんですっきりした後、みたいな、変な爽快感があります! まあ、一人カラオケ3時間コース後くらいの疲労感は、言われて見ればあるようなないような……? でもすっきりした感じの方が大きいです!」
「なんだそれは……」
私の返答に、師匠は頭痛を堪えるように額を押さえている。
なんだと言われても……。あ、カラオケがこっちの人にはわからないか。
「思い切り大声で、好きな歌を好き勝手に歌いに歌った後、みたいな感じです」
「つまり、魔力が多すぎて、日頃の練習くらいじゃたまる一方でじわじわと負担になっていたわけか……? それを派手に放出したことで、すっきりした……? 確かに、俺もあんまり魔法を使わないでいるとなんかイライラしてくることはあるが……」
私の雑な説明から、師匠はそんな推測を立ててくれた。
「あー、たぶんそんな感じです。だからほら、私の健康のためにも、私を現場に連れてきた方が良いですって! 魔法をこうして使うことは、少なくともストレス解消になります!」
すかさずアピールした私を、師匠は渋い表情で睨む。
私もここは譲らないぞの気持ちで彼を睨み返した。
師匠はすぐ私に怠惰を勧めてこようとするけど、淀み関連に関しては、聖女の領分でしょうよ。
「凡人にはわからない感覚ですね……。普通、魔法をあまり派手に使うと体調を崩すことが多いのですが……。バージルこそ、不調はないの? ずいぶん派手に暴れていたけれど……」
その時、マライア王女がそっと私たち師弟の睨み合いに割り込んできた。
「……俺もリアと同じで、むしろ爽快な気分、です。いや言い訳させてください。今回、俺には、聖女の補助があったんです。俺が今元気なのは、リアのおかげかと」
普通ではない側に入れられるのは不本意らしく、若干早口でそう言った師匠に、私は反論する。
「師匠、私がバフかける前から大活躍だったじゃないですかー」
「ばふ……?」
マライア王女殿下が首を傾げ、【バフ】という単語が彼女に通じなかったことを知る。
聞いた人が対応する言葉を知らなかったりそもそも知らない概念だったりすると、こうして翻訳の魔法が通用しないことがあるのだ。
異世界人に通じない単語だったのか、マライア王女の上品な語彙の中には存在しなかっただけなのかはわからないけど。
「うん? バフってゲーム用語ですかね? ええと、なんて言えば通じるのかな……。デバフが相手の力を弱体化させるような魔法で、バフがその逆。パワーアップさせる感じの魔法、だと思います」
「ああ。聖女様の祝福、ということですね」
私の説明に、マライア王女は納得した様子でぽんと手を打った。
ほへー。歴代聖女の使った味方の力を増幅させる魔法は、祝福なんて呼ばれてるのか。デバフは呪いとかになるのかな。
「じゃあそれで。私が祝福する前から、師匠は好き勝手してたし疲れなんて見えませんでしたよね、という話です」
私が同意を求めると、マライア王女はうんうんと頷く。
「確かに、聖女様のお力添えのない内から、バージルは随分と暴れていましたね。まあ、聖女召喚を一人で行える男なのでふしぎではないのですが、あれだけ暴れて、爽快な気分だなんて……」
最後は呆れたように師匠を見て、よしよし、師匠も普通じゃないサイドだと認められたなと満足した。師匠もマライア王女には強く言えないのか、気まずそうに目を逸らして、おそらく事実を認めた。
のだけれども。
マライア王女はその表情のまま私まで見てきたので、いたたまれない気分になる。
そんな。ちょっと師匠と協力して淀みを消して、ちょっと穢れまで跡形もなく消して、うっかり豊穣まで祈ったせいでなんか水が湧き出てきて、ちょっとこの辺の地面がしっとりしただけじゃないですかー。
そう、ちょっとしたことしかしてないのだから、気分が悪くなっていなくても仕方ない。
逆にすっきり爽快な気分になっていたって、ふしぎではない。はず。
目を泳がせている私たち師弟をたっぷりと眺めたマライア王女は、やがて仕方なさそうなため息を吐いた。
「まあ、不調が無いというのは、なによりでしょう。とりあえず、こんなところにいつまでも逗留していても仕方ありません。そろそろ近くの街へ行きましょうか」
マライア王女の提案に、私と師匠は揃って頷く。
それとほぼ同時に彼女の護衛らしき騎士の方々と領主軍の指揮官の人が、わっと彼女に寄って来てわーわーと話しかけ、指示を求めているようだ。
「ええと……、そうですね。半分はここの様子を見るために残して、半分は聖女様の護衛として移動しましょうか」
「浄化まで完了しているように見えますが、通常の手順とは違う形で淀みの沈静化を行ったので、しばらく調査ついでに様子を見た方が良いでしょうね」
マライア王女の指示に、師匠もそんな風に付け足した。
「見た感じだけでも過剰な程に清らかで豊かな土壌になっていそうな上に、水源まで確保できたのだもの。むしろこの土地をどう活用するかで、領主が悩みそうな予感がするけどね……」
マライア王女はそう続けて、どこか遠い目で当たりを見渡す。
私も、彼女の視線の先を意識せずにはいられない。
いやぁ。このしっとりした土、どこまで続いているんでしょうね。
私にもわかりません。
そんなに広範囲にそこまでとんでもない魔法をかけたつもりはないんだけどな……。なかったんだけどな……。
調査の結果とやらが、ほんのりこわいような気がしないでもない。
この国の人たち、すぐ報酬積んでくるんだもん。
聖女による土地への豊饒の祈りへの謝礼とか、ありそう。いらない。
寄越されそうになったらこの地の淀み被害の復興に使ってくださいってつき返そう。被害があったかはわかんないけど。主に師匠の大活躍のおかげで。
私が初めて発生前から対応に関わることになった【淀み】は、こうしてなんだか肩透かしなくらいにあっさりと片付いてしまった。
あっさり、だったのだけれども。いや正直余裕だったな、なんて、その場では思ったのだけれども。
その日の夜、最寄りの街で盛大な歓待を受け、気持ちよく沈んだはずの、夢の中。
昼間見た、四足の、羽の生えた、鋭い牙の、蛇のような、様々な特徴を持った種々の黒い影が、ギシャアとこちらを威嚇するような産声を上げながら、湧いて、湧いて、湧き出てくる光景を見た。
けれど昼間見た光景とは違い、そこに師匠はいてくれなくて。
その牙が、爪が、奴らの操る黒い炎が、容易く人々を貫き、引き裂き、燃やし崩し壊し、私はなにもできな
「あっ、あああああああああああああ……!」
恐怖のあまり上げた悲鳴で、私は飛び起きた。
「い、一瞬、見ただけじゃない。確かに、見た目はちょっとこわかったけど、師匠は、あんなに楽に倒して、少しもひるんでなくて、だから、あんなのは、全然大したことない。ないんだよ。大丈夫、大丈夫、大丈夫……」
冷え切って震える両手を祈りの形に組んで、自分に自分で大丈夫だと言い聞かせても、震えは止まってくれないし、ボロボロと涙がこぼれてしまう。
「……こ、こわ、かった。アレは、私を、私たちを、殺す力が、あった。殺してやるという意志も、確かにあった。奴らの憎悪が、怨嗟が、あんな一瞬でも伝わって来て、目に、記憶に、焼き付いている……」
そう認めてしまえば、あの瞬間の恐怖と、これから先への不安で、ぎゅう、と胃が痛くなる。
あんなバケモノと、これからも戦う。
今回は師匠が一人で対処できるくらいの規模だった。でも、もっと多かったら? もっと強かったら? 今回だって、師匠がいなかったらどうなってた?
淀みって、同時に複数個所に沸くことはないの? 師匠は一人しかいないのに、どうするの?
聖女様にと皆が振舞ってくれたごちそうが、せりあがってくるような心地だ。
だって、私、本当は、平和な日本で平和に生きていたただの女子高生なんだもの。
熊すら見たことなかったよ。騎士の人たちが持っている剣や槍だって、こちらに来てすぐの時は、うわむき出しの殺傷力のある刃物だとぎょっとしたくらい。
あんな大きなバケモノなんて、怖くて当然じゃないか。
ああ、そうだ。それは認めよう。でも。
「でも、でも、師匠があんなのと戦うのを黙って見ているなんて、絶対に嫌だ……! 他の人だって、みんな護りたい。せ、聖女だもん。この世界で、たった一人の。もう私は、普通じゃないんだ。みんなにはできないことができて、やって、それで『なにかやっちゃいました?』くらいに、笑わなきゃ……」
昼間、私はそれが、できていたはずだ。
そうだ。ちゃんとできていた。
「できていた。できる。やる。だから、大丈夫。師匠も、誰も、絶対に殺させない。死なせない。がんばろう。がんばれる。師匠だってあんなに強いし、私だって、あれだけのことが出来たんだから。絶対に大丈夫」
そこまで声に出して、深呼吸して、その辺りでようやく、指先に熱が戻ってきた。
まだ宴が続いているのか、どこか高揚した雰囲気のざわめきが、カーテンの向こう窓の外、遠くの方からかすかに漏れ聞こえているのにも、意識を向ける余裕が出てくる。
そう、今日は快勝だったんだんだよ。犠牲は少しもなかったんだよ。
うん、大丈夫。
「あーあ。こんなザマだって知られたら、師匠は『良いよお前は、来なくて』とか、また言うんだろうなぁ。……もっと、本当に強くならなきゃ。ちゃんと、完璧な聖女を演じなきゃ……」
呟いた言葉は、外のざわめきから隔絶された、静謐な寝室にぽつりと落ちた。
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