死体はともだち※2016年版

さえ

1章:死体

1-1

 爽やかな潮風とは裏腹に、僕の気分は果てしなく最低だった。茂る草むらを掻き分け、山道を踏みしめながら悪態をつく。


「バス代ケチらなきゃよかった……!」


 七月を迎え、この離島にもちらほらと観光客が見られるようになった。砂浜ではしゃぐカップルを睨みつけ、僕は立ち止まって汗を拭った。中学制服のまま来なかったのは唯一の英断である。


 僕は今、父の経営する難病療養所へ向かっている。厄介な病気の患者が、自然の中で静養するための施設だ。思えば療養所に行くはめことになったのも父のせいだな、とため息をついた。



 7月はじめのある夜。父が突然僕を部屋に呼び寄せた。

 父はこの島で、金持ち向けの療養所を経営している。僕は中学生でまだ働けず母は専業主婦の現在、父は家の大黒柱だ。

 でもどうにも、彼と僕とは折り合いが悪い。


 「久しぶり、父さん。最近朝帰りが多いね、お仕事お疲れ様」


 皮肉をあっさりと無視し、父は口を開いた。


 「谷崎、今俺の療養所は人手が足りないんだ。対話ボランティアになってくれ。できるな」


 父はそれだけ言って書類に目を落とす。


 息子を名字で呼ぶのか。医療知識もない素人をボランティアにしてもいいのか。僕の意思はまるっきり無視か。


 父への怒りがふつふつと湧いてくるのを感じたが、逆らうことはできなかった。

 お父さんには逆らっちゃ駄目よ。色んな人にそう言われてきたが、これだけは考慮してほしかった。


 ……僕は人間不信気味のモヤシ中学生だ。

 真夏に山奥で対話ボランティアとか、それ、苦行だから!



 森林の中にそびえる西洋風の白い建物が、父の療養所だった。


 『海を一望できる自然に囲まれた緩和ケア』といえば聞こえは良いだろう。

 しかし実態は、離島の中でもさらに地価の安い山を適当に切り開いただけだ。実父ながらこすいやり方である。


 強い陽射しに晒され、くっきり影を作るその建物は、コンサートホールや美術館を彷彿とさせた。幼い頃父に連れられて数回訪れたくらいなので記憶がない。

 建物は小さいが、金持ち向けとあって内装には高級感がある。


 着いてすぐ、既に顔見知りの看護師から軽い説明を受けた。

 やはり金持ち向けだからか、患者には専属の看護師やスタッフがつくらしい。ボランティアも同じで、患者のだれか一人に専属でスタッフがつかなければならないそうだ。

 説明されてもいまいちピンとこない。しかしそれ、ボランティアと患者の相性が合わなかったら悲惨なことになるんじゃないか。


 都都宮、と名札をつけた看護師から、今日僕が会う患者の書類を渡された。


 文島希、という名だった。


 添えられた写真にも目をやる。

 切りそろえられた長い黒髪と、青白い肌のコントラストが眩しい。

 目は大きいのだが、まなじりが極端につり上がっているせいで、顔のパーツがゆがんで見えた。口元はなにかを決意したように固く結ばれており、ひどく薄い。

 全体的に肉付きが悪く、不健康そうな少女だった。

 日光が身体に悪いとかで、幼い頃から地下の窓のない病室で暮らしている不憫な少女――だそうだ。

 むすっと黙り込んでいると、何を勘違いしたのか彼女はぺらぺらと喋り出した。


 「そんなに照れなくてもいいのよ。年頃だから仕方ないけど、異性といっても考えてることはそう変わらないんだから。今日会ってもらう文島ちゃんも、谷崎くんと同じくらいの歳なのよ。谷崎くんは頭もいいし、きっと仲良くなれるわ」


 僕は小さく鼻を鳴らした。男女二人いれば必ず恋愛に結びつけようとする――全くもってくだらない。

 看護師、父、暑さ……全方位に苛立ちながら、僕は地下へ向かった。

 地下の病室は、療養所というより監獄のような様相だった。冷たく、湿っぽい空気が誰もいない廊下を満たしている。看護師が扉を開いた。


「こんにちは」


 えらく質素な部屋だった。

 窓もない陰気な部屋の中に、ベッドとサイドテーブルがひとつずつ。そしてそこにはさっきの写真の少女。サイドテーブルに置かれた千羽鶴と家族写真は、薄く埃を被っていた。

 鎖のような点滴に繋がれている文島さんは、こちらに目をくれることもなく文庫本に目を落としている。何か冷たそうな女だな。


「それじゃあ谷崎くん、ちょっと出てくるわね。自己紹介とか、済ませておいて」


 看護師が去ってからしばらくして、やっと文島さんが言葉を放った。


「初めまして、谷崎君。せっかく来ていただいた所悪いけど、もう帰っていいわよ」


 病室に入った瞬間にこれか。文島さんの言い方に嫌味っぽさがないだけさらに腹が立つ。

 もしかして看護師も、所長の息子で彼女と同年代だということを承知で、わざとやっかいな患者を押し付けたのかもしれない。被害妄想はますます広がる。世界はいつも僕にやさしくない。


「そう言われてもね、こっちは頼まれてやってるんだ。きみはもう少し身の程をわきまえたほうがいいよ。きみはすぐ死ぬからいいだろうが、僕は君にひどい仕打ちをされた記憶を抱えて生きるんだ」


 失礼を承知で、彼女に苛立ちをぶつけた。

 文島さんは小さく目を見開き、手にしていた本を素早く閉じる。ややこわばった声で、


「……そうね、言い過ぎたわ。本当にごめんなさい。よろしくね」

「よろしくする気も失せるよ……と言いたいけど、許すよ。君はずっとこんなふうに対話ボランティアを追い返してきたのかい?」

「そうよ?」

「ふうん。ま、中には喋るのが嫌いな人もいるだろうしね。きみみたいに喋るのが苦手な人もいるだろう。一日中病院に缶詰だからって、誰もが対話に飢えてるわけじゃない」


 訝しむように文島さんが目を細める。


「どうして私のことを、『喋るのが嫌い』じゃなくて『苦手』なんて言うのよ。あなたを追い返そうとしたくらいなのに」

「さっきあんな物言いをされたけど、きみは人間嫌いじゃなさそうだ。家族写真やあてつけみたいな千羽鶴を飾っておくようなやっさしい女の子だもんね」

「続けて」

「幼少期から病床にいたそうだね。きっと喋るのにも慣れてないだろう。尋常じゃなく喋りが下手な人間にとって、コミュニケーションは苦痛なものだ。きみは自分からボランティアを拒否することで、会話の機会を避けたんだ。嫌いなわけじゃない。会話で傷つくことを恐れて、逆に他人を傷つけているんだ」

「……認めたくないけど、多分当たってるわ。推理したの?」


 文島さんが興味深そうに片眉を上げた。いいや、と肩をすくめる。


「きみがさっきから読んでた本の表紙が見えたから」


 コンマ数秒をおいて、文島さんの叫び声と共に、『すぐわかる! 初対面の人と仲良くなる方法』が投げつけられてきた。


「ば、ばかじゃないの!? ばっっかじゃないの!? なんで人の読んでる本を勝手に覗くのよ!」

「だってずっと表紙を立てて読んでるから。どうやらきみにはこの本は役に立たなかったみたいだけど。そこから『悪意のないまぬけな女の子』ということも分かったよ、あはは」

「……わ、悪かったわね……!!」


 からかって言うと文島さんは顔を真っ赤に染め、涙目で唇を噛み締めていた。その姿があんまり可哀想なので、優しい声色で話しかけてやる。

 「友達を作るには、本より実際に人と話すほうがためになるものだよ。あいにく、僕も人と話すのはあまり得意じゃないんだが、だからこそ分かり合えることもあるだろう。おたがい気兼ねせずに話そう」


 自分なりに精一杯の笑顔を作り、文島さんに笑いかけた。

 彼女は羞恥心から枕に拳を打ち付けていたが、やがて潤んだ目で僕を睨みつけながら呟いた。


「谷崎、真理くんね。……よろしく、おねがいします」

「なんだ、ちゃんとした挨拶もできるんだな」

「うるさいわね! 病気だからっていつもひょろひょろで不幸まみれなわけじゃないわよ!」


 いー、と文島さんが歯を剥いた。

 わざわざ言わなくても、この金切り声ですぐにわかる。写真や外見からじゃ根暗なお嬢様に見えたけれど、案外話せる女みたいだ。

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