第拾肆話 常連客様の場合

「おや、これは支配人マネージャー。ずいぶん御無沙汰しているね」


 またぞろ今夜も飽きもせずに起こりやがるトラブル解決のため一階の社交室ラウンジに降りている俺は、ゆったりといい酒を楽しんでいる常連客様――セルテウス・ミスラム様に声をかけられた。


 社交室ラウンジお客様スケベヤロー共が嬢を選んだり、嬢の準備を待ったりするのに使用される空間で、そこらの酒場にはそうそう負けない酒と肴をご提供させていただいている。


 特に貴賓席だのなんだのと区切ってはいないので、お客様同士のトラブルが起こるとなれば社交室ラウンジってのが相場だ。


 さすがにへ入ってからのお客様スケベヤロー共同士のトラブルってのは滅多な事じゃ起こらない。


 ――稀には起こるっていうのが、恐ろしいといや恐ろしい話なんだが。


 そういうトラブルさえも愉しみながら、お気に入りの嬢と社交室ラウンジで結構長い時間を過ごされるお客様スケベヤロー共も結構いらっしゃる。


 今声をかけて頂いたセルテウス様も、そういったお客様スケベヤロー共のお一人だ。


 確かに俺と話すのは御無沙汰といっていいかもしれないが、この方は数日も空けずに胡蝶の夢うちで遊んでくださる常連客様でもある。


「これはセルテウス様。今夜も御来店いただき誠にありがとうございます」

 

 セルテウス様はテラヴィック大陸西部の軍事大国、ノルバレン連邦の主席外交官。


 お貴族様では無いが、主席外交官だけあって経済力はグレン王国の貴族にも劣らない。

 軍事大国としての見栄、矜持もあるものか、セルテウス様に限らずノルバレン連邦の外交官方の資金力は潤沢なようで、いろいろな高級娼館の上得意様、常連客様になられている方が多い。


 そういう意味でも主席外交官であるセルテウス様は、グレン王国王都グレンカイナのナンバーワン店である胡蝶の夢うちのお客様になってくださっているという事だ。


 贔屓にする娼館の格さえも気にしなきゃならんと言うのは肩が凝るだろうなと思う反面、経費で娼館通いを認めていただけるとは羨ましいものだと思いはする。


 何事もが絡めば、心の底から楽しむ事などできはしないだろうが。


 それにしたって「大国」と呼ばれる国々の「主席外交官」すべてが、胡蝶の夢うちのお客様になってくださっているというのも、少々行き過ぎな気がする。 


 他国の主席外交官がトップ店――つまり胡蝶の夢うち――の常連なのに、自国の主席外交官がそれ以下の店に通う訳には行かない、という事らしい。


 わからないでも無いが大国の思惑、矜持が、そこらのお客様スケベヤロー共の見栄の張り合いと大差ないというのもどうかと思う。


 まあ世の中そんなものなのかもしれねぇけどな。


「相変わらずお堅いなあ、支配人マネージャーは。支配人マネージャーに親しげに会話をしてもらうには、あとどれくらい胡蝶の夢ここ通いつめればいいものやら」


 苦笑、というには少々華やかすぎる笑いをその整った顔に浮かべるセルテウス様。


 本気で仰っているわけではないだろう。

 娼館の支配人マネージャーと親しくなったところで、外交官であるセルテウス様にに利があるとも思えない。


「これは大変失礼を」


「ほら、つれない」


 今夜もお気に入りのアイリス嬢を侍らせ、ことなく酒と肴を伴に、会話を楽しんでおられる。


 セルテウス様は必ず一晩買いだ。


 一晩買いのお客様スケベヤロー共のほとんどがそうなのだが、彼らは気に入った嬢との時間を楽しむことに主眼を置いておられる。


 ただだけではなく、お気に入りの嬢と美味しいものを食べ、旨い酒を呑み、会話と、それらから生まれる色と艶のついた空気をこそ楽しむ。

 触れることや行為そのものはそのの中にある事であり、その嬢と共にいることで生まれる雰囲気をゆったりと愉しみたいからこそ、一晩買いをなされるのだ。


 ――イキな遊び方ってのは、金も時間もかかるもんだ。


 お国に妻子が居られるかどうかは知らないことになっちゃあいるが、どちらにせよ単身赴任ともなれば胡蝶の夢うちでの時間は必要なものなのだろう。


 それにしたって御贔屓にしてくれすぎだとは思うが。


 そういう愉しみ方をするお客様スケベヤロー共の御眼鏡に適うには、当然のことながら見目だけよけりゃあいいっていうわけにはいかない。


 セルテウス様のような高級官僚や、他にはお貴族様、大商人の方々が楽しめる会話のお相手をするとなりゃ、それ相応の必要いる

 正直俺なんかは社交室ラウンジお客様スケベヤロー共胡蝶の夢うちの嬢たちがしている会話を聞いてると、頭が痛くなってきやがる。


 まさか床でもそんな会話してるんじゃなかろうな。

 腰振る前後で世界の軍事や経済、ましてや平和なんぞを語られても、そのなんだ、困る。


 「登城行列」で俺にクソ頭の悪い野次飛ばしてきたお客様スケベヤロー共たちとの少々品位に欠ける会話のほうが、俺にはちょうどいい。


 そういう意味では、セルテウス様のお気に入りであるアイリス嬢は大したものである。

 

 あらゆるジャンルの話に精通し理解を示しながらもでしゃばらず、な事を絶対に言わない。


 お客様スケベヤロー共が求めているのは己の話を理解した上での関心や驚きを示してくれることであって、それ以上では決してないのだ。


 そこをはき違えると


 中にはそういった「問答」を求めるお客様スケベヤロー共もいるにはいらっしゃるが、そういう時にも「正解」は言わない方がいいらしい。

 いかにも駆け出しが至るような答えを出し、訂正していただくことが肝要なのだとか。


 ――嬢たちの努力には頭が下がる。


 そのアイリス嬢がセルテウス様の隣で穏やかな笑みを浮かべながら、俺に軽く会釈する。


 今宵の話題はテラヴィック大陸の正しい軍事均衡パワー・バランスについてか、あるいは同じ軍事大国であるグレン王国とノルバレン連邦の友好がいかにテラヴィック大陸にとって重要かの御講義か。


 どちらにせよ俺には話題だ。

 よくもまあにそういう話で盛り上がれるものだと思う。


 萎えねえもんか?


 アイリス嬢は今回の花冠式コロナット・ソレムネでは「三枚花弁トレス・フォリュムフロリス」に留まったが、来年は間違いなく「四枚花弁クアトゥル」――「高級娼婦クルティザンヌ」になるだろう。


 いや間違いなくなる。


 ふわふわした蜜蜂色の髪と同じ色の瞳をした、一見すると難しい話には一切興味のない、優しげで男性に尽くすことを当然としているの御嬢さんに見える。

 そのイメージに反した各ジャンルに精通した知識と、それに裏打ちされた専門的な会話であってものない受け答えが、知性を己の武器とするお客様スケベヤロー共に大変な支持を受けている。


 ギャップ萌というのは異世界でも共通らしい。


 もっともそのギャップもさることながら、今度はそうでありながら脱ぐと凄い系のスタイルと、での激しさという二段構えでアイリス嬢にハマっちまうお客様スケベヤロー共が多いってんだから男ってのは、なんていうかもう、なあ。


 胡蝶の夢うちのお客様になってくだすっている大国の主席外交官の方々が、ほぼ全員アイリス嬢を贔屓にしてくださっていることからしてみれば、インテリ系ってなあギャップに弱いもんなのかね?


 おっとり箱入り系に見えて才女、でありながら床では文字通り娼婦となれば人気も出ようというものか。


「けっこう長い間お世話になったね。とうとう支配人マネージャーと気安い仲になる事が出来なかったのが心残りだが、残念ながら時間切れが来てしまった。――それを伝えたくて、支配人マネージャーが忙しい事は百も承知で声をかけさせてもらったのさ」


 少し残念そうな表情と声で、セルテウス様が告げられる。


 時間切れ、つまり――


「お国へ戻られるのですか? これはまた急な」


 外交官という仕事柄、いずれ国へ戻るのはまあ当然だ。

 だが俺の知る限り、ここまで急な帰国というのは珍しい。


 に決定している帰国というのは特に。


「主席とはいっても外交官なんてそんなものだよ。お国の都合であっちこっちを行ったり来たりさ。グレン王国に在任した期間は、実は私にとって最長記録でもあるんだ」


 セルテウス様が最も長くいた赴任国がグレン王国であるという事は把握している。

 まあ外交官というものは、そういうものなのかもしれない。


 ――だけどセルテウス様、今回はそういうのとは違うでしょう?


「そうなのですか。――しかし残念です、せっかく各国の主席外交官様たちとアイリス嬢の心を射止めるために競っておいででしたのに。そちらの決着はついたのですか?」


 少なくともセルテウス様を含めての主席外交官が、かなりの頻度でアイリス嬢にせっせと通われていたことは確かだ。

 お互い丁寧な言葉に包んだ相手への罵倒を、アイリス嬢に相手に伝えてもらうという子供じみたこともなさっていた。


 そういって視線をアイリス嬢へ向けると、いつも穏やかな笑みを浮かべている顔に朱がさし、わずかに目を伏せる。


 長いまつげがかすかに震えている。


 そのアイリス嬢の様子を見て、セルテウス様は満足そうな笑みを浮かべる。


「どうかなあ。――私としては勝者であったと思いたいところなのだけれどね。とにかく名残惜しいが今宵が胡蝶の夢ここで遊ばせてもらう最後になる。これから朝まで、ゆっくりとアイリス嬢との最後の離別わかれを惜しむとするよ」


 ――勝者ね。


 からを勝ち得たと思いたいものか。

 そしてセルテウス様ご本人としては、勝ち逃げを決めるような心持なのだろうか。


 実際問題、たとえアイリス嬢の心を射止めたとしてもどうにもならない。


 大国の主席外交官とはいえ「三枚花弁トレス・フォリュムフロリス」であるアイリス嬢を身請けすることはさすがに不可能だし、もしこんな急な帰国でなかったとしても、いずれ戻ることは避けえない。


 セルテウス様が、何を持って勝ちとなさるのか。


 それが何であれ、買われた時間はお客様スケベヤロー共の色に染まり、望む夢を見せるのが胡蝶の夢うちの嬢達のお仕事だ。


 アイリス嬢は「大陸一の性都」と呼ばれるグレン王国王都グレンカイナ、その中でもナンバーワンである胡蝶の夢うちが誇る人気嬢の一人だ。


 そこらへんに抜かりはない。

 しっかりセルテウス様との最後の夜を、セルテウス様が望むとおりの夢を見させてくれるだろう。


「そういうことでしたらこれ以上お邪魔はできませんね。をゆっくりとお愉しみ下さい」


「……そうさせてもらうよ」


 いつも通り、仲睦まじげに部屋へ移るセルテウス様とアイリス嬢。


 存分に夜をお愉しみ下さいお客様。

 夢は夜見るものでございますから。


 ――だけど夜は必ず明けるんですよ、セルテウスの旦那。


 二人が入室したこと確認して、胡蝶の夢うち店員スタッフが動く。


 報告へ行くのだ――王宮へ。





 暁闇。


 本来、娼館である胡蝶の夢パピリオ・ソムニウムには似つかわしくない緊張した空気が満ちている。


 王国魔導軍の若き天才、「賢者の一番弟子」ルザフが、その配下を率いてを捕らえる為に兵を展開しているからだ。


「ノルバレン連邦主席外交官セルテウス・ミスラム殿。貴方の身柄を国家情報機密法違反並びに汎人類同盟法違反の罪で拘束します。……いいですね?」


 完全な夜明けを待たずに、セルテウスに、無表情にルザフが告げる。


 「疑い」ではなく、「罪」と断定している。


 いいですね? というのは拘束の是非を問うものではなく、何故に自分が拘束されるのかわかってるんだろうな、という意味だろう。


「私は帰国を急がねばならぬ身です。外交官特権を……」


 他国の外交官を軍とはいえ一国の意思だけで拘束することは、本来であれば不可能だ。

 しかもセルテウスは軍事大国ノルバレン連邦の主席外交官。


 ――だが。


 返答としては定石なのではあろうが、この場面で言っても効果があるはずなどないことは、セルテウス本人が一番わかっているだろう。

 そんな言葉で引くくらいであれば、もともと捕らえに来るはずもない。


 傭兵王の軍はそんなに甘くはない。


 外交官特権を無効化できる状況が整っているか、そんなものを無視してでも強行する意志を持っているかのどちからかだ。


 いずれにせよ言葉や立場で抜け出せる状況ではない。


「失礼、ノルバレン連邦主席外交官セルテウス・ミスラム殿。現時点ですでにノルバレン連邦は貴方の主席外交官の一切の権限を剥奪し、我がグレン王国に対して身柄の引き渡しを要求してきています。――よって貴方に外交官特権はありません」


 ルザフが無慈悲な事実を淡々と告げる。


「素直に従ってくれれば、ノルバレン連邦の要求には従う予定です。――の要求を拒否するつもりはグレン王国にはありませんので」


 つまりセルテウス・ミスラム主席外交官は、母国であるノルバレン連邦の指導者達に切り捨てられたのだ。


 主席外交官とはいえ、いや主席外交官であるからこそ、国家の機密情報を盗むことや汎人類同盟法に背くという大それた行為を独断でやるわけがない。

 優秀な人材であればあるほど、その行動の一切は己の所属する国家からの指示に従ったものなのだ。


 ――だがすれば切り捨てられる。


 大きな権限を持った慮外者が国の信頼を裏切り、暴走した。

 大変遺憾であり、今後同じことが起こらぬように充分に留意し、ご迷惑をかけたことを心よりお詫びする。

 ついては我が国民であるその慮外者の身柄引き渡しをお願いしたい。


 そんなところだ。


 はかりごとを仕掛けねばどうにもならない強国相手に、謀がならぬのに挑む馬鹿はいない。


 トカゲの尻尾は切られるために存在する。

 市井の者がうらやむ立場である大国の主席外交官とはいえ、国家から見れば数多ある尻尾のひとつにすぎない。

 切るべき時には躊躇いなく切る。


 それも込みで国家の指示に従って動くのがこの世界、この時代の外交官であるし、そのための日頃の好待遇ともいえるだろう。


 グレン王国としてもせっかく未然に潰せた謀なのだ、決定的に敵対するつもりなどはじめからない。

 もしも傭兵王がそのつもりであれば、謀に気づかぬふりでその状況そのものに乗ることを選ぶだろう。

 こんな時点でことを晒したりはしない。


「……従わなければ?」


「我が王陛下には、抵抗するようなら殺してもよいとの指示を賜っています」


 この時点でセルテウスの肩が落ちる。


 自国には売られ、謀を画策した相手国家のトップには「殺してもいい」と判断されている。

 つまりセルテウス自身が持つ情報は国家の面子や国民の安全より優先させる価値はなく、己の命を人質にすることもできぬという事だ。


 彼の外交官としてのキャリアは今終わった。

 知っていること全てをうたい、五体満足で国へ帰れたとしても二度とふたたび表舞台に出ることはないだろう。


 大陸に名をはせる天才魔導使いとその配下を相手に、知を武器とする文官であるセルテウスが逃げおおせられるはずもない。


 そもそもその知における戦いで敗れたからこそ、セルテウスは今こういう立場に追い込まれているのだ。


「どこで露見しましたか?」


「言えるはずがないでしょう。心配しなくともあなただけではありません。関わっていたすべての人間はすでに拘束を完了しています。心当たりがあれば羅列していただいてもかまいませんが?」


 セルテウスは一つ深く息をつき、天を仰ぐ。

 その端正な顔には、意外と絶望よりもサバサバしたような表情が浮かんでいた。


「少し話をしても?」


「――どうぞ」


 己を拘束する責任者の許可を取る。

 自分が相手を逃がす可能性など毛ほども想定していないルザフは寛容だ。


 いや、その話相手が胡蝶の夢パピリオ・ソムニウム支配人マネージャーであると悟ったからこその許可か。


「みっともないところを見せてしまったね。長くお世話になったのにこういう終わりになってしまって申し訳ない、支配人マネージャー、アイリス」


 罪人として捕らえられるセルテウスが、拘束現場の責任者としてこの場にいる胡蝶の夢パピリオ・ソムニウム支配人マネージャーと、自分を見送る為に傍についていたアイリス嬢に詫びを入れる。


「セルテウス様はいいお客様でございました。このようなことになってしまい、私共としましても誠に残念です」


「最後まで気さくには話してくれないか。私はもう罪人であってお客ではないけれど、それでもかい?」


 今や罪人となった己に対しても慇懃な態度を崩さない支配人マネージャーに、苦笑いを受べてセルテウスが問いかける。


 支配人マネージャーは無言のまま一礼を返しただけで答えようとはしない。


 答えをもらうことを諦めて、セルテウスは自らの傍らに立つアイリスに語りかける。


「……アイリス。最後がこんな形になって申し訳ない。だけど外交官として動く私にとって、君との時間は本当に大切なものだった。それだけは信じて――」


「最後も嘘なのですね」


 いつも通りの穏やかな笑顔の中、ほんの少しだけさびしそうな色を浮かべながら、アイリスがセルテウスの別れの言葉を遮る。


「まさか……アイリス、君が私を……」


 一度は諦め、悟ったような表情となっていたセルテウスの顔に、信じられないという驚愕が浮かび上がる。

 事が露見したことは理解できていても、それがどこからなのかは理解できていなかったのだ。


 まさかそれが利用しているつもりだった娼婦からとは信じがたい。


 どこでどんな失言、失態を自分がしたというのか。

 いつの何が今日今このときの自分の立場につながったのか。


 自慢の記憶力をフル稼働させても、思い当たる節はない。

 だが彼女の言葉の意味は、彼女がセルテウスのはかりごとを暴いたとしか思えない。


「いいえ、私はセルテウス様が何をなさっているのかなど、何一つわかりませんでした。――わかっていたのは一つだけ……」


 そういって今度は、いつも見せていたとびっきりの笑顔を見せる。


 仕事の時にしていた表情と寸分たがわぬ笑顔で、つい先刻まで夢を見せていた相手にそれは全て仕事だったのだと理解できる――理解せざるを得ない言葉をやさしく投げかける。


「――セルテウス様が、に興味がないという事だけです」


 セルテウスの表情が今度こそ凍りついた。


 市井の者にはとても手が出せない三枚花弁トレス・フォリュムフロリスである自分に、何の執着もないくせに三日と空けず通い詰める男。

 優しく、穏やかで、優雅な時間を与えてくれるのに、言う言葉は全て嘘の男。


 そんな男が同時期に複数いれば、おかしいと思えるくらいの自負をアイリス嬢は持っている。


 当然お客様スケベヤロー共は嘘をつく。


 小さいものから大きいものまで、罪のないものから悪意にまみれたものまで、本当にしか思えない巧妙な嘘から荒唐無稽な法螺まで、ありとあらゆる嘘が夜街には溢れている。


 だがそれらは全てその相手の気を引きたい、よく思われたいからつくものだ。

 

 そうではない者は、夜街では


 毎夜お客様スケベヤロー共の下心に満ちた嘘を聞きなれている、娼婦相手であれば尚のことだ。


 アイリスのその疑問を娼館の支配人マネージャーに伝えれば、その支配人マネージャーが疑問を持てば、この国の中枢は動く。


 それを長い外交官生活でおぼろげに知るセルテウスは、すべてを理解した。


「君か、支配人マネージャー


「遊ぶ場所で仕事をするなよ、セルテウスの旦那」


 初めて聞く、支配人マネージャーな言葉。

 その声には少しの怒りと、少しの呆れと、少しの残念さが含まれているような気がした。


 自分たちは大陸一と言われる娼館の人気嬢と褥を共にしてさえ、冷静に仕事を進めていた。

 色香に迷ったをして、逆に利用しているつもりでいたのだ。


 だがに事は露見した。


「……もし私に今後があったら、肝に銘じるよ」


 今度こそ本当に、セルテウスの顔からすべての表情が抜け落ちた。

 彼の信奉してきた「知」は、そうではないものに敗れたのだ。


 もう何も話すこともなく、ルザフに拘束されて行く。

 

 夜はまだ明けきってはいない。





「まあそのなんだ、貧乏くじ引かせたみたいで悪かったな、アイリス嬢」


 俺の執務室へ戻り、アイリス嬢へ俺の魔法をかけている最中だ。

 どっかの丸出しで精神集中を邪魔しやがるトップ3の一角とは違い、アイリス嬢は素直に俺の前の椅子に座り、背を向けてくれている。


 自分のお客様スケベヤロー共におかしな方が複数おられる、というアイリス嬢の俺への報告から、軍事大国複数が画策していたグレン王国包囲網は瓦解した。


 アイリス嬢の疑問を俺もおかしいと思い、王宮に報告した時点でセルテウスの旦那はアウトだ。


 その道の専門家が徹底的に洗えば、隠しきれるものはこの世にゃねえ。

 この手のはかりごとってやつぁ気付かれないことが肝要で、逆にいや気付かれた時点で終わりだ。


 それがまさか娼館でだったからってのは少々気の毒ではある。


 まあ胡蝶の夢うちの嬢を謀に巻き込んだ報いとしちゃ妥当なところだ。

 嬢の矜持を土足で踏みにじるような真似をするからそうなる。


 とはいえアイリス嬢にとっては、常連客であったお得意様を一気に失うことになるのは間違いのない事実なんで、その辺は申し訳ない。


「いいえ? セルテウス様もほかの方々もいいお客様でしたもの。一気に失ってしまうのは痛いですけれど、何とか取り返しますよ?」


 本人はいたって前向きじゃああるが。


「いや今回のお手柄で来年は確実に高級娼婦クルティザンヌ入りだろ。今年はのんびりしてもいいんじゃねえか?」


 グレン王国に多大な寄与をしたってことで、アイリス嬢の「四枚クアトゥル」昇格は間違いない。

 何らかの恩賞も出るだろうし、無理することもねえと思うんだが。


「娼婦が実力以外で花弁増やすのは恥ですのよ?」


 ちょっと怖い笑顔で微笑まれた。

 

「そういうもんか……」


「そういうものです」


 こりゃ余計なこたしないほうが無難だな。

 まあちょいと王宮関係の御贔屓が増えるのは黙認してもらおう。


 胡蝶の夢うちとしても王宮が今回の補填をそういう形でしてくれることはありがたくもあるからな。


「一つ聞いていいか、アイリス嬢」


支配人マネージャーには何なりと答えますよ?」


 なんで胡蝶の夢うちの嬢たちゃ、俺には何というかこう素直なんだかな。


 所有者オーナーの教育が行き届いているのやら、トップスリーが懐いてくれているのが功を奏しているのやら。


「お貴族様じゃなくても、主席外交官たちにあれだけちやほやされていて、ほんとになんとも思わねえもんか? いや実際に骨抜きにされっちまうとは思わねえが」


 嬢たちはそれぞれ目的をもって胡蝶の夢うちで働いている。


 その矜持と自負を疑うこたねえが、今日みたいなことがありゃ落ち込んでも不思議はねえと思うんだが、強がりってわけでもなさそうにアイリス嬢は平気そうだ。


 いやお客様スケベヤロー共にいちいちいれあげてたら仕事にならねえってのはわかるんだけどな。


 嬢はお客様スケベヤロー共を入れあげさせてなんぼだ。


「そうですねえ。強いて言えばセルテウス様は素敵でしたけれど、私をは下さいませんでしたわね。狂わせてさえくだされば、私ならどう利用されても、誰を裏切っても尽くすのですけれど」


「――怖ええよ」


 台詞も怖いが表情がもっと怖い。

 なんで純真無垢みたいな笑顔でその台詞が言えるんだか。


「あら、女とはそういう生き物ですよ?」


「セルテウスの旦那じゃねえが、肝に銘じとくよ」


 アイリス嬢はくすくす笑いながら、俺の各種回復魔法を受けている。

 嬢たちの役に立つって点だけは、俺は俺の魔法を気に入っちゃいる。


 ルザフの旦那見てえな派手なのも時には使いたいと思うがな。


「お客様としてではなく、外交官様としてではなく、一人の殿方として本気で口説いてくださらなければ女は狂えませんよ。そもそもセルテウス様は女としての私に執着なんてされていませんでしたからね。――失礼しちゃう」


 そういってふざけて怒り顔を作っている。

 こういう顔してるときゃ、胡蝶の夢うちの嬢たちゃみんな普通の女の子にしか見えねえ。

 

 本気どころか、あしらわなくてはならないお客様スケベヤロー共レベルにも達してない方々だったから、言うほど落ち込みもしないのか。


 そういう相手にも「俺に惚れている」と思い込ませる技術テクは、今俺に見せている一面からは想像もつかねえな。


 ――女は怖いわ、本当に。


「本当はね?」


「?」


 俺の前にちょこんと座ったまま、仰向けに俺の顔を見上げてくる。


 おいこら、体重掛けんな。

 俺が退いたらひっくり返るぞ。


支配人マネージャーは私たちのが終わった後に、今みたいに魔法をかけてくださいますでしょう?」


「おお。そりゃ俺の仕事だからな」


 嬢たちゃみんな気持ちよさそうに魔法を受けてくれるから、俺の仕事はやりやすい。

 実際効果もあるし、労使関係としちゃ胡蝶の夢うちの売りでもあるしな。


「あれで私たちはお客様からつけられた色も、つかれた嘘も、好きにされた躰も、媚びた自分の心も、全部全部、真っ白に戻してもらったような気がするんです」


 回転する椅子をくるりと一周させて、低い位置から俺の顔を覗き込むようにする。

 

 谷間見えてるから隠せ。

 って隠しようもねえか、放り出してる訳でもねえしな。 


「そりゃありがてえけどよ。ありゃ体には有効だが心にゃ何の効果もねえぞ?」


 俺の魔法は身体にゃ完璧に作用する。

 だが心には何の効果もねえ。


 嬢たちがそう感じてくれるのはありがたいが、過信は禁物だ。

 実際胡蝶の夢うちでも病む嬢は稀に出るしな。


 こればっかりは止めようもねえが、だからと言ってしょうがないとも言いたくない。

 支配人マネージャーとしてできる限りのことをしたいと思う。


「本当に朴念仁なのねえ、支配人マネージャー。「三枚トレス」くらいじゃ話す時間も魔法かけてもらう時くらいだから知らなかったけれど、高級娼婦クルティザンヌの娘たちが言ってたとおりね」


「そりゃドウモ」


 そう言われることにも、もう慣れたわ。

 今のやり取りのどこが朴念仁なんだが一向にわからねえが、それこそが朴念仁と言われる原因なんだろうから世話ねえや。


「よし決めた。私も高級娼婦クルティザンヌ目指します。いつか私も五枚クインケになって、真っ白に戻してもらうのじゃなくて、支配人マネージャーの色に染め直してもらえるように」


 アイリス嬢、アンタもそれか。


 先の花冠式コロナット・ソレムネの夜会から、こういうことを言う嬢がやたらと増えた。


 やる気出して上狙ってくれるなあいいが、ルナマリアのやつは一度本気で説教せにゃならんな。


 あれからシルヴェリア王女殿下砂糖菓子頭の様子もいつもより輪をかけておかしくなったし、ジャリタレカリン王女殿下は妙に色気づいていやがるし、王陛下とガイウスの旦那とアレン王子殿下はやたらと殺気放ってくるし、どういうこった。


 勘弁してくれよ。




 数日後に俺は、本気で花冠式コロナット・ソレムネの一件を後悔することになる。

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