枯れ木の魔女

「……うぅ……」




 差し込んだ陽の光が眩しい。


 最後の記憶は暗い洞窟の中だったから尚のこと眩しく感じる。


 気がついた時俺は小さな小屋のベッドに寝かされていた。


 枕元には取っ手が取れかかっているコップに入った水と消えたロウソク。窓は隅が少し欠けていてドアは立て付けが悪いのかガタガタと音を立てている。




「お気づきになられましたか?」




 レインが優しく顔を覗かせる。




「俺はどれくらい寝ていた?」




「丸一日位ですね。」




 そんなに寝ていたのか。






「ここは……?」




「あまり綺麗では無いですが、私の家です。」




 そう言い恥ずかしそうに少し顔を下に向ける。


 窓の外を見ると枯れかけた木々が生い茂り、人の気配は感じられない。




「私の家は村から少し離れた所で山に最も近いんです。」




 あんなに凶暴な動物が徘徊している山に目の見えない女性1人を住まわせているのか。最も近いと言うより山に片足突っ込んでるじゃないか。


 村人たちへ湧き上がる怒りを押し殺し、そんな境遇でも笑顔でいるレインに疑問が浮かぶ。




「目が見えないのにレインはどうやって生活してたんだ?」




「山の果物や、罠を張って動物達の命を貰いながら生活してました。本当は山には入っちゃいけないんですけどちょっとだけお邪魔して……」




 周りに助けてくれる人間も居ない、自分の飢えをしのぐ為にはそうするしか無かったのだろう。




「それに私、他の人とは体質的にも違うみたいで……」




 ここからはレインが話してくれた内容。




 動物、植物、無機物にすら存在する魔力と言うエネルギー。


 それは生命活動に必要不可欠であり、完全に魔力が枯渇すると動物は死に、植物は枯れ果て、無機物は砂になるという。


 レインは体内の魔力の器が人より多いため、多くの魔力を無意識に吸い取ってしまうらしい。


 その日はクレアの20歳の誕生日であり、人間は成人すると魔力の器が大きく成長するそうだ。


 元々村に住んでいたが、その影響で彼女の家の近くの畑は壊滅し村に置いておけないということで追放されたという。


 周りの作物を枯らせ、追放した先の山でも暫くの間彼女の小屋の周りは木々が枯れたそうで、村人からは『枯れ木の魔女』と呼ばれ蔑まれたと言う。




「村の人達は自分達の生活を守るため仕方なかったんですよ。私が皆さんの畑を台無しにしてしまったので当然の報いなんです。」




 そう笑顔で締めくくるレインを見て俺はたまらず涙が溢れた。


 成人してから5年以上、仕事ばかりしていて俺の感情は枯れ果てたと思っていた。態度の悪い客にも笑顔で対応し、自宅に帰っても腹を満たしてただ寝るだけだった。


 そんな俺にパンと水と優しさを与えてくれた命の恩人がどんな境遇に居ようと笑顔でいるのだ。


 これがどれだけ凄いことか。


 彼女も村人も何も悪いことをしようとしてはいないのだ。


 そう思うと涙が止まらなかった。




「あ、あの……」




 レインが心配そうに俺の顔を覗き込む。そんな彼女の両肩を掴み、見えない目を見つめながら俺は言った。




「今まで1人で良く頑張った。これからは俺がいつでもそばに居る。」




 そう言うと彼女も溜め込んでいたものが溢れ出たかのように涙を流し、やがて赤子のように大声で泣き始めた。






 レインは一人だった。


 目が見えない事で、両親以外に信頼出来る人という存在を感じ取ったことが無かった。


 その両親が死んだ時、レインは本当にその光の無い世界に唯一人取り残された。


 聞こえてくる音は村人からの哀れみの声。それはある時から蔑みに変わった。


 そんな声を聞かないようにしたくても、その特異な体質は許してくれない。


 やがて山小屋に住み始めてから、嫌な声は聞こえなくなった。


 最初は良かったが、人間は飢えには抗えない。動物を殺し食す度に、レインは更に一人を思い知った。


 これまで否定され続けた自分が、他の命を否定しながら生き伸びている事実は、レインにとって重くのしかかった。




 レインには今まで自分を肯定してくれる存在がいなかった。


 そんな中、目が見えず枯れ木の魔女とまで呼ばれた自分を受け止めてくれた一成という存在は、既にレインにとって大きな存在になっていた。




 この時一成は意図せずレインの最も弱く、脆く、穴の空いた場所にピースをはめていた。


 一成の暖かい腕が、穏やかな心音が、レインが否定した自らの心すらも満たしていたのだった。






「1人で辛かったよな。頼れる人がいなくて寂しかったよな。この先は俺を頼っていい。」




 レインの背中をさすりながら自分とレイン、2人に言い聞かせるように俺は言った。






 レインは山の神への供物の人間として、簡単に言えば生贄として山に登らされた。


 その際他の物も渡されたようで、お神酒や食料(おにぎりやパンだけでなく俵に入った米なども家の前に置かれていたらしい)古いが上等な衣服などの日用品まで手渡されていた。




 俺はこれに違和感を覚えた。


 もしかしたら村の人間たちはレインに対して後ろめたさがあり、生活できるだけの物を供物として用意して手渡したかっただけなのではないか?


 それに村の人間たちの中で山の神を実際に見たという人間は居ない。


 耳の良いレインだけが狼を山の神と認識して知っていただけで、村の人間たちは山の神など存在しないと思っていたのではないか?




 体がほぼ完治し動けるようになった俺はそんなことを考えながら外でタバコを吸っていた。




「何をしてらっしゃるんですか?」




 レインが家のドアを開けてテコテコと寄って来る。しかしタバコの煙を初めて嗅いだのか近寄るなりケホケホと咳き込み始めた。




「ああ!ごめんごめん!」




 そう言って靴の裏でタバコの火を消す。


 ああ、まだ結構吸えたのに……とは思ったが非喫煙者がいる前で堂々と吸うのはマナー違反だもんな。


 だがヘビースモーカーの俺にとっては結構死活問題だったりする。こちらの世界でタバコを入手することは期待できないからな。


 残り箱の半分を切ったタバコを見つめながら今消したタバコをもう一度火をつけたら吸えないかなんてケチ臭いことを考えていた。




「私こそなんだかお邪魔したようで……」




 申し訳なさそうに言ってくるレインを見てこっちが申し訳なくなってくる。




「大丈夫大丈夫!こいつは俺が元いた世界の嗜好品でね。数に限りがあるし害もある。こっちじゃ買えないと思うから辞めないととも思ってたしな。」




「そうだったんですね!尚更すみません!良かったらそれ、復元しましょうか?」




 ん?復元?




「え、そんなことできるの?」




「そういう簡単な魔法があるんですよ。私が使っていた回復魔法に近いものですけど……」




「是非にも!!」




 レインが言い切る前に食い気味に返事してしまった。辞めることは当分出来なそうだな……




 その後レインはタバコを復元してくれた。どうやら復元と言うよりも複製に近いようで、物自体を増やすことが可能のようだ。


 タバコのような簡単なものなら複数本単位で日に数回行うことも可能のようで、負担にならないでできる限り増やしてもらって1箱と半分位まで手持ちのタバコは増えた。


 難しい物や複雑なものほど時間も魔力もかかる上、そういうものは完全には複製出来ない為やらない方がいいそうだ。




「助かったよ……」




「これくらいしか出来ませんから。」




「これが出来るだけでも充分凄いよ。」




 褒めるとえへへと照れながら笑う。小動物を見ているようで心が和む。


 タバコ不足という不安も解消され俺は改めてこの後どうするかをレインと考えることにした。




「どちらにしてもこのまま村の付近で生活をするのは厳しいだろう。レインは何か良いアイディアは無いか?」




「私は……」




 モジモジと何か言いたげにしているが。




「私が居ては足でまといになるので……」




 と、呟くとまた少し暗い表情になる。




「俺はレインの意見を尊重するし、俺にとっても死活問題何でね?」




 そう言いながらタバコの箱をトントンと叩くと、レインはフフっと笑った後、意を決したように答える。




「私は、色んな世界を回ってみたい……です……」




 最後の方か細くて聞こえ辛かった。しかしこの言葉はレインが恐らく初めて人に話した我儘だったのだろう。


 受け入れて貰えないと思ったのか、言ってしまった……失敗した……と言うような表情でこちらをチラチラと見ている。


 見ていて可愛らしいので敢えて少し間を置いて。




「旅かー!ここに来る前まではほとんどした事なんて無かったな。してみたいという願望はあったが。」




 肯定されると思っていなかったレインはえ、え?と困惑する。そんな彼女を他所にこの辺りにはどんな物があるのかとかどんな物が見れるとかそんな事を聞き続けた。


 するとレインも少しずつ「私も詳しくはないんですが……」と嬉しそうに語り始めた。




 レインは自尊心が普通の人間に比べて低い。と言うより自分は人一倍周りに迷惑をかけながら生きていると思い込んでいる。


 それは彼女の圧倒的で献身的な優しさから生まれたものであり、その部分を否定するつもりは全くないし、むしろ尊敬すらしている。


 しかし同時に、自分自身を押さえ込んででも他人のため、周りのために尽くそうとする自己犠牲と紙一重だった。


 だからこそ彼女は村の人間に言われるがまま村を出て、生贄まで進んで引き受けたのだ。


 そんな性格の彼女が言った自分のやりたい事を無碍にするほど俺は落ちぶれちゃいないと思っている。




 いつの間にか出会って1週間も経っていない彼女の笑顔は俺にとってかけがえのないものになっていた。


 あとついでにタバコをもう少し復元して貰わないと1日持たないかもしれない不安が……

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