四章(三)

 受験の佳境を迎える冬になった。

 僕は、学校で願書をもらった。先にあの人に署名と印鑑を押してもらった。去り際に「K高校ってちゃんと書きなさい」と言われた。

 だが、僕は書かなかった。「K県立S高等学校」と書いた。翌日それを学校に提出した。それは僕の手元に戻ってくることは無く、S高校へと郵送された。


 嘘はすぐにばれた。

 二月の三週目頃に、三者面談があった。そこで、ばれた。

 教師の前だというのに、僕は今までで一番怒られた。あの人は、鋭い金切り声をあげ、目を血走らせ、僕を叱った。

「なぜ、K高校じゃないのか」

「なぜ、嘘をついたのか」

「なぜ、勝手なことをしたのか」

 僕は、一切答えなかった。ただ、黙って下を向き、膝の上で爪が食い込むほど強く拳を握っていた。

 その場は、担任と騒ぎを聞きつけた隣のクラスの担任、学年主任が何とか収めた。

 しかし、家に帰っても僕は追及と罵声を受けた。

「K高校じゃないと駄目だ。」

「あいつらを見返せない。」

「私の人生が終わる。」

 僕の耳は、もう母の金切り声に慣れてしまっていた。

 僕はその日は、夕飯も食べずにお風呂にも入らずに寝た。

 暗い僕の部屋の前で、あの人はずっとぶつぶつと何か言っていた。

 

 次の日学校へ行くと、教師らに呼ばれた。S高校へ行く理由を聞かれたが、K高校に受かる自信が無かったといえば納得してくれた。教師らは一応の答えが欲しかっただけだったのだ。

 受験本番まで、あの人は僕に「考え直せ」と言ってきた。だが、僕は何もいわなかった。「何か答えなさい」と叱られることもあったが、答えなかった。

 受験は無事合格した。番号が張り出される合格発表の瞬間も、その後の説明会もあの人の姿は僕の隣には無かった。

 説明会でもらった制服などの備品や教材の金額がそれぞれ記載されたリストをあの人に渡した。しかし、あの人は、「私は、受け取らない」といい、僕の胸に叩きつけるようにそれを突き返した。翌日も渡したが、同じだった。

 僕は、電車で一時間程の隣県に住む祖父母の家へ自分で調べて行った。

「あなたは…、繁君?」

 インターホンを押し、出てきた祖母にそういわれた。

 事情を話し、リストを渡すと、お金をくれた。だが、今回だけだと釘を刺された。


 家に帰ると、あの人が待っていた。

 ただならぬ、気配を僕は感じた。

「何をしてきたの?」

 刃物のように鋭利で、冷たい声だった。

「言えない。」

  どこか後ろめたい気持ちが僕にはあった。

「言いなさい。」

 怒りで震える腕で僕の肩をつかみ、激しく揺らした。

「祖父母の家に行ってきた。」

 恐る恐る僕は話した。

「なんで?」

「お金をもらうため。」

「なんで、そんなことしたの?」

「お母さんがリストを受け取らなかったから」

「違う」

「何も、違くない。」

「何で、あの人たちを頼ったかを聞いてるの。何であの人たちを。私を見下したあいつらを。」

 泣いていた。床に膝をつき、肘をつけ、腕に額をのせて泣いた。その姿は何かに祈っているようにもみえた。

 僕はその様子をただ見つめていた。


「もういいよ、お金とリストを出しなさい。」

 やがて、震える声で僕にそう声をかけた。僕は手渡した。

「お金はあの人たちに返します。あなたは、二度とこんなことしないで」

 そう言い残し、あの人は立ち上がり、奥の部屋へと戻って行った。

 何かが変わると思った。あの人が僕の目の前で号泣し、感情を吐露した。きっと変わると信じていていた。


 だが、その希望はまたしても打ち砕かれた。

 あの人は、「次は大学受験よ」と意気込み、塾を二つ契約してきた。授業主体と個別指導が主体である塾の二つだ。

 僕は、限界だった。それに、貴重な高校時代を勉強のみに注ぎ込みたくはなかった。だが、もう言い返すことはできない。僕は、僕のわがままをすでに通してもらっていた。次は僕があの人に今までよりもさらにきつく、固く縛られるのだと理解した。

 それから、僕はとにかく解放される術を考えた。自分のわがままを悔いた。しかし、時は絶対に巻き戻らない。僕は、想像していた高校生活を思い出した。だが、どの場面においても、あの人が僕を縛り、動きにくくする、生きにくくする。

 そして、僕は一つの考えが思い浮かんだ。

 死のうと、死んでやろうと。

 そうしなければあの人は分からないのだと。

 どう進んでも、地獄のような三年間、いや、人生を送ることになるのだ。

 僕はあの日、そう決めた。

 そして、真っ白なコピー用紙に「ざまあみろ」と書きなぐり、たまたま引き出しにあった茶色い封筒に「遺書」と書いた。

 その時は、四月二十四日の深夜。つまり、二十五日の未明。僕が一つ年を取った瞬間だ。



 フィルムはそこで終わっていた。

 もう一人の僕はいなくなり、暗闇が晴れ、真っ白な世界に変わる。

 あの人が誰かと話す声が聞こえる。  

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