第5話 化け物

 夕陽に照らされた埠頭で大勢の人がひしめいていた。互いを押し合い、つかみ合い、怒号をあげている。


 ターミナルから埠頭に続く道も人で溢れ、路面のアスファルトなど全く見えない。


 その群衆の奥に目を向けると、遠くに見える港の入場門が外から無理矢理に開けられようとしている。


 溶接されて接合されていた門扉が火花と共に左右に開けられた。立ち込める煙の中に奴らの醜い姿が見える。


 港の中に侵入してきた奴らは、足下に倒れている鉄柱を蹴り払って退けると、鋭い牙と長い舌の間から粘度の高い涎を垂らしながら赤く光る三つの眼球をギョロギョロと動かしてゆっくりと前進してきた。


 既存の塀の上に瓦礫を積み上げて高くした周囲のバリケートも奴らの同類によって乗り越えられていた。


 奴らはでこの港に入ってきた。


 設置されていた鉄条網も固い皮膚をもって難なく捻じ曲げた奴らは、最後の防衛線を敷いている兵士たちからの凄まじい発砲も物ともせずに突進し、六本の腕の先の鋭いかぎ爪で次々と兵士たちを襲っていった。


 四肢を引き千切られ体を引き裂かれた兵士の臓器や手足が逃げ惑う群衆の上に降り注ぐ。


 大きな悲鳴や絶叫と共に、人々は他人を強く押してこちらへと向かおうとする。


 老人が群衆に押されて岸壁から海面に落下した。その老人が守ろうとした少女は逃げ惑う人の波に飲み込まれ、押し倒され、踏みつけられ、誰にも気づかれないまま息絶えた。


 私は双眼鏡を床に叩きつけ、隣に立つ男に言った。


「副船長、斜路ランプを下ろせ! この船にもっと避難者たちを乗せるんだ!」


 副船長は強く反論する。


「船長、斜路を下ろしたら、上げるのに時間を要します。その間に車両甲板への奴らの侵入を許しかねません。危険です」


「しかし、このまま避難民をタラップから乗船させていては、時間がかかり過ぎる。奴らはもう港周囲の防御壁を突破したのだ。軍も長くはもつまい。ランプウェイを接岸させれば、一度に大勢が乗船できる。一人でも多く載せるためには……」


「船長! 只でさえ、このフェリーは港に近づき過ぎているのですよ。この距離では奴らがいつ飛び乗ってきても不思議ではありません。この船は軍艦ではなく民間船舶です。奴らが数匹入り込んできただけで、簡単に沈められてしまうでしょう。むしろタラップを上げて、今すぐ港を離れるべきです」


「何を馬鹿な。現にああして、今もタラップを渡っている人たちがいるのだぞ。そんな事は出来ない!」


「ここは非情になってください! 一刻も早く出港しないと、もうじき夜になります。暗くなると奴らの数が増えるという事はご存じでしょう。夕陽が射している今のうちに奴らが苦手とする海水の上に避難するべきです!」


 私は副船長を一喝した。


「軽率に過ぎる! いいかね、たとえ洋上に逃げきれたとしても、今この船に積んでいる食料は全乗員の一か月分しかないのだぞ。燃料も少ない。エンジンが止まった後に、この小さなカーフェリーで海流に乗って大海原を漂えば、接舷できる陸地に遭遇するまでに半年はかかるはずだ。それなら……」


「船長! 陽が沈み始めました。奴らが分裂を始めます!」


 ブリッジの窓から外を見張っていた甲板長が叫んだ。


 私は大声で指示を飛ばした。


「ランプウェイを接岸。車両甲板を解放し、避難民を乗船させろ!」


「船長! それではあの化け物どもが船に……」


 抗議の目で睨む副船長の胸倉を掴んで、私は強く怒鳴った。


「目の前の殺されそうな人を放っておくつもりか! 化け物はどっちだ!」


 私は副船長を押し退けると、艦橋にいる船員たちに声を張った。


「みんな聞け! あの化け物どもは、分裂中は動きを止める。その間に軍の兵士たちが奴らに反撃するはずだ。倒せるのは数匹だけだろうが、それでも分裂を終えた奴らが再び襲ってくるまで時間を稼げる。その間に一人でも多く人間を船内に入れるのだ。持ち込む荷物は最小限にさせてくれ。一人でも多くを乗せたい。急いで取り掛かるんだ!」


 船員たちは口を縛った真剣な顔で頷き合うと、テキパキと動き始めた。


 人々の収容が進む中、すっかり暗くなった埠頭では、化け物どもが背を丸めた姿勢で動きを止めていた。その化け物たちに生き残った兵士たちが必死に攻撃を加え続けている。


 やがて、化け物どもは痙攣と共に呻き声を発し始めた。化け物どもは背中から自分よりも一回り小さな化け物を二体放出すると、再び兵士たちに襲い掛かった。放出された二体は逃げ惑う兵士たちを次から次へと捕食していき、一人を喰らう毎に急速に成長し、徐々に体を大きくしていった。


 数を増した化け物の中の一匹がこの船に気付いた。走ってきて船に飛び乗ろうとする。しかし、既に人々の収容を終えて離岸していた我々の船には届かず、落水した。その化け物は激しくもがきながら溶けていった。


 船の甲板に目を向けると、そこには難を逃れた人々が多数乗っていた。


 私は安堵の息を吐いた。

 これで安心だ。


 半年分の食料はある。

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