7、帰り道

「残念でしたね」

 博士の家から駅へ戻る道々、和戸三吉助手が師匠の小悟探偵に言いました。

「何のことだ? わざわざ夢野町くんだりまで来て、収穫が無かったことか?」

「はい」

「和戸くん、ひとつ教えてやろう」

「はい、何でしょう」

「探偵の仕事の九割は、無駄足を踏むことだ。それをおこたっちゃいかんよ」

「はあ」

「それにしても、あの御隠居さま、私の訪問を甥っ子にペラペラしゃべってしまうとは、案外と口が軽いな。あれでよくエス・エス・アイが務まったものだ」

「たしかに。少し軽率だなと思いました」

「まあ、そういう所も含め、専門分野に関する飛び抜けた能力も含め……良し悪し全部あわせての『大変人』なのだろうが、ね」

 そうこうするうちに、こんもりと木々の茂った雑木林に突き当たりました。

 右に折れて、林と平地の境界をなぞる細い迂回路を行きます。

 周囲には誰も居ません。

 四月下旬の……初夏間近の晴れた日、静かな林の脇を美青年と美少年が行きます。

(のどかだなぁ)三吉は、暖かい日差しを見上げてしみじみ思いました。

 と、突然!

「ふははははははは!」

 どこからともなく高笑いが聞こえてきました。

 探偵と助手が立ち止まって周囲を見回します。

 声は聞こえど姿は見えません。

「ふははははははは!」

「だっ、誰だ!」たまらず三吉少年が叫びます。

「ふはははは、こっちだ、こっちだ」

 二人は声のする方を振り返りました。

 さっき通った、何もない細い道の上です。

 どうやら声は、その何もない所から発せられているようです。

 これは一体どういうことでしょう?

 昔の小説に出てくる『透明人間』の仕業だとでも言うのでしょうか?

「ふはははは! 小悟智明探偵! さすがの君でも私の姿をとらまえる事は出来んと見えるな。ふはははは!」

 相変わらず声は細い道の上から聞こえてくるようです。

「よろしい! 名探偵とうたわれる小悟智明氏に敬意を表し、姿を現して進ぜよう! ぬーん!」

 謎の声が低くうなります。

 と同時に、小道の上に薄っすらと何かが見え始めました。

 人の姿のようです。

 しかしただの人ではありません。

 半透明なのです!

 映画の二重露光のように、人の姿に合わさって向こう側の景色が見えるのです。

 ああ、何という事でしょう! では、この不思議な声の主は、本当に透明人間なのでしょうか?

 突然に現れた怪人物は、少しずつ少しずつその体の色を濃くして行きます。それに反比例して、今まで透過していた後ろの景色が見えなくなって行きます。

 ついに完全不透明体となった怪人の、ああ! その異様な姿!

 潜水士のような体! 同じく潜水士のヘルメットのような頭部!

 ヘルメット全体が鏡のようにの光を反射してギラギラと輝いています。

 その球状の頭部には、人間であれば両眼に相当する部分に二つの黒いのぞき穴のようなものが開いています。鼻と口に相当する部分にも呼吸口のような黒い穴があります。

 首から下は、手袋の指先・長靴ブーツの爪先まで鮮やかな黄色に染まっていました。

 胸の辺りには、タイマーかストップウォッチのような丸い装置が縫い付けられています。

 鏡のように反射する球状の頭、潜水服のような真っ黄色の体、胸のタイマー! 探偵と少年の目の前に突然現れた異様な姿の怪人!

 そは一体、何者!

「ふはははは、我こそは遥か百億光年の彼方タキヨン星からこの地球に飛来した正義の使者! 遊星人タキヨンだ! お初にお目にかかる! ごあいさつに、我が遊星の先祖より代々伝わる宇宙秘技、『分身の術』を披露しんぜよう。ごろうじろ!」

 遊星人タキヨンと名乗る怪人は、ふたたび「ぬーん」という低い唸り声を発しました。

 するとどうでしょう、怪人の体が二体に分かれたではありませんか。まさに分身の術です。

 三吉は、その不思議さに思わず「あっ」と叫びました。

「ふふふ、どうだ驚いたか?」

 小悟探偵は終始冷静に、ただ黙って怪人を見つめています。

「ぬっ、これでもまだ驚かぬとは小癪こしゃくな奴め。ならば! ぬーん!」

 掛け声と共に、遊星人の体が今度は三体になりました。

「どうだ?」

 しかし探偵は黙って怪人を見つめるだけです。

「まだ驚かぬというのか? むむう……」

 そのとき、怪人の胸に縫い付けられたタイマーが「チーン、チーン、チーン……」とベルを鳴らしました。

「やっ、もうそんな時間か」

 怪人が胸タイマーのボタンを押してベルを止めます。

「名探偵・小悟智明よ、名残なごりしいが、どうやら別れの時間が来たようだ。小悟探偵、我が終生のライバル! そして最愛の友! 次は犯罪現場で会おう。どちらが早く事件を解決するか、君と僕で知略を競うのだ! さらば」

 怪人の体の色が、ふたたび薄くなっていきます。

 どんどん、どんどん薄くなって、とうとう目の前から消えて無くなりました。

「ふはははは」何もない空間から声がします。「小悟くん、最後に一つ忠告してやろう。私のガスはくさいぞ。とんでもなく臭いぞ。今すぐこの場所から立ち去るがいい。ふはははは」

 それを最後に、怪人の声は途絶えました。

 数秒後、遊星人タキヨン(と名乗る怪人物)の居たあたりの空間が、徐々に黄色みを帯び始めます。

 突然その空間に黄色の霧が発生したみたいです。

 霧は徐々に周囲へ広がっていきます。

「むっ」小悟探偵の顔が不快そうに歪みました。

「うわっ、く、くさい!」和戸少年が叫び、急いで鼻を覆います。

 この上もない悪臭でした。

 まるで一番くさいオナラを煮詰めて何倍も濃くしたような匂いです。

「和戸くん、全速力で逃げるぞ。この黄色のガスから出来るだけ離れるんだ」

 探偵がクルリと後ろを向き、言ったとおりに全速力で走り出します。

 和戸少年も必死でその後を追いました。

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