スワイプ

ドラコニア

恐怖!マッチングアプリの巻

「おい聞いてくれよ正樹!」

 一限前でまだ人がまばらな構内に、友人の太陽の声が響く。

「なにさ朝から」

 寝坊で朝食を抜いている俺は、若干不機嫌に尋ね返す。

「実はな? 前々から言ってたマッチングアプリついに始めたんだよ!」

「へーよかったじゃん」

「何でそんなに興味なさそうなんだよ! 祝えよ! 俺の新たなる門出を!」

「捕らぬ狸の皮算用ってやつじゃないのそれは」

 ウキウキに目を輝かせている太陽を見ながらそう忠告する。

 太陽はどこか楽観的過ぎるところがある。なんかポジティブすぎるというか、まあそれが時々うらやましくはあるけれど。

「バカ言え正樹! 女は星の数ほどいるんだしマッチしないわけないだろ!」

 うーんポジティブだこの男。自己肯定感が高すぎるよあまりにも。

「マッチングアプリって色々あるけど、どれにしたのさ?」

「いちおう王道のLinder入れた!」

「え、でも激戦区って聞いたことあるけどLinderは。バキバキのイケメンしかマッチしないらしいし別のアプリにした方が可能性も…」

「いやいけるだろ! なんかフツメンの方が安心感得られるっていう女性が増えてるってネットニュース最近みたぞ!」

 自分がフツメンって自覚は一応あるんだなこの男。まあ何言っても聞かなそうだし無視しよ…。

 

 朝ごはんを抜いてきた反動で学食を爆食いする僕そっちのけで、太陽と高嶺は何やら熱心に話し込んでいる。

 太陽と高嶺は大学のダンスサークル繋がりでよくご飯を食べる仲である。ちなみに僕も一応所属だけはしているが、最近は完全に幽霊部員化している。

 集中して聞いてみると、どうやらマッチングアプリの話で盛り上がっているらしい。太陽は完全にマッチングアプリの虜らしい。そして高嶺もどうやらマッチングアプリをやっているらしかった。

「正樹も始めてみたらいいじゃない」

 いつの間にか聞き入って箸が止まっていた僕を見て、高値がそう話しかけて来た。

「なんでさ。そんなのマッチしないのがオチだよ。そもそも僕には彼女がいるし」

「えー? そんなことないわよほら。私なんか男からのライクとかメッセとか絶え間ないわよ」

 どことなく自慢げにアプリの画面を見せてくる高嶺。

 その画面には999+という表記。どうやらライクとかメッセージのがカンストしている状態らしい。

 高嶺は顔はいい部類に入るとは思うが、決してモデル級にかわいいとかそういわけではない。少なくとも僕はそう思っているが、世間から見たらやはりかなりの美人なのだろうか。

「えー、いいなあ! 俺なんかまだライク二個しか来てないぜ」

 心底羨ましそうにしながら太陽が高嶺の画面をのぞき込む。

「ま、あんたみたいなフツメンだと厳しんじゃない? 知らないけど」

 さらりとそう言い捨てる高嶺。まんざら冗談でもなさそうなところが怖い。

「その点で言えばやっぱり正樹は有望株なんじゃないか?」

 太陽は気にした様子もなく、今度は僕の方を見ながらそう言う。

「多分彼女いなくてもやらないよ、めんどくさそうだし」

「めんどくさくないって! ほら、こうやって出て来た女の子をスワイプしてくだけなんだ」

 そう言いながら画面を実演形式でスワイプしてくれる太陽。

 キラキラした見た目の女性たちが次々に右へ右へとスワイプされていく。どうやら右にスワイプしたらライクを送ったということになるらしい。

 あ、なんかあからさまにブサイクな女性が左にスワイプされたな。

 その瞬間NOPEという暗色の文字が画面に表示される。

「今のは?」

「ああ、タイプじゃない子は左にスワイプしてスルー? する感じなんだよ」

「いいね! ならぬよくないね! みたいな感じ?」

「そうそう! まあ相手にそれが送られたりすることはないけどな」

 そう言いながら太陽はいまだに熱心に画面を右へ左へめくっている。

「そんなのわかったら太陽なんて何個ノープが付くかわかったもんじゃないわよ」

 高嶺は無邪気そうにケタケタと笑う。

 なんか高嶺、性格悪くなった? 喉まで出かかったその言葉を何とか飲み込む。

「それじゃ私はこの後アポあるから」

 そう吐き捨てると、高嶺はスタスタと食堂の出口の方に足早で去っていった。

「なんだろねアポって」

「あれだよあれ。マッチングアプリで予定組んで会うことをアポって言うんだ」

「はぇー」

 そんなのに詳しくなってどうすんだよ太陽…。


「よっ! 久しぶりだな正樹」

 学食で一人うどんをすすっていた僕の背中に元気な声が降ってくる。

「久しぶり。三日ぶりくr…」

 そう言いかけた言葉は、瞬間どこかへいってしまった。

 振り返った僕の前に立っていたのは、正樹のような何かだった。

 声や服装は間違いなく正樹なのに、正樹ではない。

「何だよ、変な顔して」

 そう喋る正樹は、一反木綿みたくうすっぺらい見た目をしている。

 別にこれは軽薄さを感じさせる服装をしているとかそういうことの言い回しではなくて、明らかに物理的に薄っぺらいのである。

「ま、正樹だよね? なんか変わった? いや、変わったよね…」

「そうか? 三日ぐらいじゃ何も変わんねーだろ」

「い、いや…。なんかこう、うすっぺらくない…?」

「なんだそれ、軽薄さを感じさせる見た目って言いたいのかよ? 会って早々失礼な奴だなお前は」

 なんか太陽に思考を読まれたみたいで少々腹がっ立ったが、そんなことはもはや問題ではない。問題なのはどう考えても太陽のこの見た目である。

 どうやら太陽は、自分がのっぺりなってしまっていることに気付いていないらしい。僕の幻覚かと思いきや、まわりの人にも僕と同じように見えているらしく、通り過ぎる人たちは皆、明らかに普通の人間とは様子が異なる太陽の姿を物珍し気に見ている。

「しっかし聞いてくれよ正樹! あれからも全然マッチしねえんだよな~俺、さすがに自信が無くなってきたぜ」

 僕の心配をよそに、どこか自信なさげに愚痴る太陽。こんなにしょげてるこいつを見るのは初めてで少し戸惑う。

「それじゃ俺この後講義あるからもう行くわ」

「あ、まっ…」

 呼び止めようとした僕の言葉はそこで途切れる。

 自信を失った太陽の後ろ姿を、どうしても呼び止めることは出来なかった。


 なんだかんだで僕も昼から講義があったので、急いでうどんをすすり切り教室へ向かう。

 高嶺も同じ授業を取っていたので、できれば太陽のことを相談したい。

 そう思い僕は一番後ろの席を二人分取り、高嶺が来るのを今か今かとそわそわしながら待っていた。

 見逃すまいときょろきょろしていると高嶺らしき格好の人が、教室の前側から入ってきた。

「高嶺こっち!」用意していた僕の言葉は、違和感に飲み込まれる。

 高嶺の様子がどこかおかしい。いや、高嶺の様子といった方が正しいんだろうか。

 ペラペラになったトムジェリのトムみたいな見た目の太陽とは反対に、高嶺は遠目から見てもわかるほどに分厚かった。なんというか、大型冷蔵庫くらいの身体の厚みがあった。

 そして、いわゆる鍛えて得た体の厚みや太っているだけなのとは全然違う質感があまりに不気味だった。

 そもそも高嶺は自分で太りにくい体質だと言っていたし、細身だった高嶺が数日であそこまで太るのはいくら何でも不可能だろう。

 やはりなにかの見間違いではないかと目を凝らすが、どうやら顔は高嶺そのものだった。

 もうどうしたらいいかわからない。とりあえず今は高嶺に気付かれないように机に突っ伏してやり過ごすのが先決だろう。


 なんとか高嶺に気付かれることなく講義は始まり、無事終わった。

 僕は逃げるように教室を後にすると、アパートの自室に全速力で帰った。

 今あの二人に会っても、何を喋っていいのかわからない。というか喋れない気がする。

 とりあえず一旦気分を落ち着けなければ。そうだ、久しぶりにテレビでも見よう。

 埃被ったリモコンのスイッチを入れ、適当にチャンネルを変えながら面白そうなのを探していく。

『緊急特番』という見出しにチャンネルを変える手が止まる。

 その画面に映っていたのは、顔にモザイクをかけられた二人の人間らしき人物。

 人間と言ったのは、それが一見僕が知っている人間の姿かたちとはかけ離れていたからだ。

 その二人はの一方は、まるで太陽のようにペラペラな見た目で、もう一方は高嶺のように分厚いブロックじみた見た目をしている。

 テレビキャスターの男が神妙な顔で語り始める。

『現在20代から30代の男女の多くに、この画像のような症状が多く確認されています。男性の多くはこのように体がどんどん薄くなってくような症状が見られ、逆に女性の多くはこちらの画像のように体がどんどん厚みが増していくということです。本人たちに自覚症状のようなものはなく…』

「なんだよ、これ…」

 脳裏に太陽と高堰、二人の姿が浮かび、思わず声が漏れる。

『彼らの共通点として《Linder》というマッチングアプリを使用しているということがわかっており…』

 そうか、あの二人があんなになったのは…。

 おそらく太陽は女性たちにNOPEされまくった結果、あんなふうにすり減ってしまったのだ。

 高嶺はその逆。LIKEされるたびに、それが堆積するようにしてどんどんどんどん…!


 ピンポーン!


 まるで正解だと言わんばかりのタイミングでインターホンが鳴る。

 心臓が早鐘を打つ。

 落ち着け、落ち着け。何をこんなにドキドキしているんだ。そもそも僕には関係ない話だし、太陽たちの様子を見るに人に害をなす風には見えなかったし大丈夫のはずだ。気をしっかり持つんだ僕! このチャイムも宅配か何かに違いない。

 そう懸命に自分に言い聞かせながら通話ボタンを押す。

「は、はい。どちら様ですか」

 気丈にふるまおうとした僕の声は情けなく震えている。

「正樹! 私だよ」

 その声は僕の彼女のものだった。

「なんだよ朱莉か…、おどかさないでよ…」

 安堵というのはこういうことを言うんだろう。恐怖で凝り固まっていた心が氷解していくのが手に取るようにわかる。

「なんだよって何よ! 今日バレンタインだからチョコつくってきてあげたのに!」

「ごめんって。今開けるから」

 急いで玄関に向かい、鍵を開ける。

 扉を開けた先にいたのは、いつもと変わらぬ眩しい笑顔を振りまく彼女の姿。

 そんな彼女の身体は、あまりにも、あまりにも分厚かった。

 

 




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