第2話 幸福の料理
あ、ラーメンだ
私が教室に入るなり、どこからかそのような声が聞こえた。その後のやめなよぉと笑う声も。少し控えめなボリュームだったのは私に聴こえないようにするためか。
私は客観的に見ても主観的に見ても太っている。小学校の時からで、その頃はもっとあからさまにそれをいじられていた。男子は目の前で私の体型のことを口にし、ジェスチャーで私の体型を表し笑う。女子も男子の気をとるためか、私のことを言っていた。
始業のチャイムと共に担任が教室に入ってくる。生徒たちは優等生なのですぐに席に着いて、先生の話を真摯に聴く。
…
終業のチャイムと共に担任が教室を出ていく。私も礼をした後すぐに鞄を持って教室から出ていく。
これが一日の終わりと感じるものも多いだろうがしかし、私はこれからが一日の輝きなのだ。
伊ちゃん
私が隣のクラスの前に行くと、ちょうど中学一年から友達の伊ちゃんに会えた。
早く帰るぞ
私を見上げてそう言った伊ちゃんはスタスタと私を背に歩いていった。
伊ちゃんとは最近になって一緒に帰っている。目的は私の家にある最新のゲームだ。私はやらない。
校門を出て横に並んで歩く。伊ちゃんはどこからか拾った木の棒を、歩行のリズムと共に前後に振っていた。
私は伊ちゃんを見る。
伊ちゃんは私と違ってガリガリで背も低い。もう少し肉つきも良くなったら男子を軽く落とせそうである。しかし彼女は望まない。拒食症というわけでもない。ただ、彼女にはゲームと睡眠が楽しすぎるらしい。それにそれでモテても意味がないという。せんてんてき?な要素で威張りたくないらしい。私はよくわからなかった。
私は前を見る。前方右側の家の垣根からミモザが見えた。
伊ちゃんも私の体型をよくいじる。しかし投げたりしない。
痩せたらあいつらに見返しできるだろ
せんてんてきな部分で勝つのは無意味なんでしょ?
……なんだよ。分かってたのかよ
伊ちゃんは少し足を速めた。
それに私がクラスのみんなの影響で痩せてしまうと伊ちゃんが離れるような気がしてとてもダイエットなんて気にはならなかった。恥ずかしいし殴ってきそうで言わないけど。
私たちは黙って並列を崩して縦に歩いていく。先頭は伊ちゃん。だけど目的地は私の家である。伊ちゃんの肩甲骨まで伸びているポニーテールがこれもまた歩行と同じリズムで揺れていた。
私はこれがチャンスだと思っている。彼女こそは嫌がってはいるが私は彼女にはもうちょっと食事に興味を持って欲しいし、可愛くなって欲しい。だから私はお得意の料理を作っている間、彼女が嫌がらない範囲で、少し彼女に振る舞うことが近頃のタスクになっていた。
彼女は早々とゲーム機の電源を入れる。私の両親は共働きでまだ帰っていない。私一人の前ではダラっとしている伊ちゃんだけど両親を前にするとどこかの旅館の女中さんのように礼儀正しくなる。しかしそこに媚びへつらう、打算的な態度は含まれていない。
私はキッチンに向かう。
キッチンは二階にありリビングの隣に位置している。東側にあるリビングと違い、キッチンは西側にあるので、夕方に差し掛かる現在、日が眩しい。
伊ちゃんのホームがゲームなら私はここだ。ここでは私は一人になれる。踊れる。誰にも負けない気がする。
私は冷蔵庫に入れていた昨日作ったクッキーのあまりを、電子レンジで少し温めてから伊ちゃんに出した。伊ちゃんはゲームに必死で目がもう女の子のそれではなくなっている。気付いてなさそうだ。
花形のクッキーを一つつかみ、伊ちゃんの右腕の上から侵入させて、口の下からあーんと食べさせる。
ハッと目をいつものくりくりな目に戻してから前歯で掴んだクッキーを口の中に入れてバキバキと食らう。
あぶねぇ!
と言ったきり伊ちゃんはまたゲームに溶けていった。余計なことしたかなと思ったが、キッチンに戻った後もゲームの合間合間にちょくちょくクッキーを手に取って食べているのが見えた。よかった。
次は夕飯だ。料理が好きになったのは小学校の時、興味で母親に教えてもらったのがキッカケだ。それから徐々に自分で調べるようになり、中学生になって両親が忙しくなる時にはこうやって夕飯を任せられるようになった。今ではずっと作っていたい。
今日作るのは麻婆豆腐。
私は母に裁縫で作ってもらったエプロンをかけた。
冷蔵庫から豆腐、豚のひき肉、ニンニク、生姜、鷹の爪を取り出す。豆腐を一丁、手のひらに置き、包丁を入れ、食べやすい大きさに切る。母親がこれをしているのを初めて見た時は目を疑ったものだ。
シンクの下の戸棚に入っているフライパンを取り出してごま油で熱した後、そこに豆板醤、輪切りにした鷹の爪、ニンニクと生姜のみじん切りを入れ炒める。数分後香りが出てきたところで豚のひき肉を豪快に上からぶち撒く。肉の香りがブアっと立ち込めた。
ひき肉に火が通ってきたところで先ほど切っておいた豆腐と醤油、酒、砂糖、コチュジャン、鶏がらスープの素、オイスターソースを適量入れ煮込む。ここで一気に麻婆豆腐の姿が現してくる。ピリッとした匂いが私の気分とお腹を躍らせる。
とろみをつけるため片栗粉を入れて長ネギをまぶす。私たち一家は辛いのが好きなのでここからさらにラー油、山椒を振りかけて完成だ。
毎回幸せそうに作るなぁ
いつのまにか伊ちゃんはキッチンとリビングの間にあるカウンターのような場所で肘をついて私を見ていた。テレビ画面にはデカデカとLOSEの文字が輝いている。
学校の奴らにも見せろよ
できた麻婆豆腐を見ながら呟く。
そんなことしないよ
馬鹿だなぁ
伊ちゃんは学校では決して見せない、ゲームをやっている時とはまた違った笑顔を見せた。
あ、だけどよ。ゲーム中に渡すのはナシだかんな。置いとけよな。お前にもゲームやらせるぞ
ごめんなさい
伊ちゃんを帰らせた後、私はキッチンに戻り、料理で使った道具や出たゴミを片付けていく。ここが嫌いという人がいるらしいが私はここでやっと料理という作業が終わると考えている。あらかた片付いたあと蓋をされた麻婆豆腐を見る。時刻は午後六時。両親が帰ってくるまで後少しといったところ。リビングに戻り、ふぅっと一息ついた。
私は料理が好きだ。しっかりと夢中になれるものがある。それは人生において幸せだと母に昔教わった。その時はあまり理解できなかったけど、最近伊ちゃんを見てそう思うようになってきた。ゲームをしている彼女はとても楽しそうで、そりゃあゲームにヘソを曲げる時は困るけど、それでも人のことを気にせず笑顔になっている姿は素敵だと思ったのだ。他人を落とすのではなく。
だから私はこれからも伊ちゃんと両親にしか料理は振る舞いはしないだろうし、誰かに自慢することもないだろう。その時は料理がつまらなく感じた時なんだと思う。
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