UPOレポート

灰汁須玉響 健午

第1話

 繁華街の裏側――満足に明かりも届かない路地に、その少女は佇んでいた。

 丁度、綺麗に出ていた満月の光がスポットライトのように彼女を照らし出し、本来なら暗い路地がまるで舞台上のように見えた。

その少女の名前を、俺は知っている。

 それもそのはず、彼女は俺の高校のクラスメイトで、学年で一番の美人と言われるほどの美少女で、おまけに成績優秀で運動神経も抜群という『天は二物を与えない』という言葉を、正面から殴り倒して屈服させるくらいの非現実的な存在であった。

……というか、それ以前にそもそも俺は、彼女を中学生の頃から知っている。つまりは『同中オナチュー』な訳だが、三年間クラスが違っていたので殆ど面識はない。他クラスの女子と仲良くなれるほど、俺はコミュニケーション能力に長けてはないし、間違っても陽キャやパリピの類ではないのだ。

 まぁ、それはいいとして。

 高校に入学してからまだ一か月。

 それでも彼女は、超の付く有名人で、ほぼ毎日のように同学年やら先輩やらから、告白されている。

 オーラもカリスマ性もあるハイスペックな美少女。

 それが、花村伊織という女子生徒のイメージであり、客観的な情報だろう。

 だが――。

 それにしては、妙だ。

 俺の知ってる花村伊織は、確かに美少女だし、目の前の少女は間違いなく花村と同じ顔と背格好なのだが、明らかに違う部分がある。

 優等生であり、スクールカーストの上位に君臨する彼女の髪は艶やかな黒のはずで、目の色だって焦げ茶色の至って普通の瞳の色だったはずだ。学校のある日は、嫌でも毎日会う訳で、つまりは今日も教室やその他諸々でそれなりに目撃したから、間違いない。

 だが、目の前の少女はどうだ?

 今日日ギャルだってここまでの綺麗な金髪にはしないだろうってくらいのバッキバキのブロンドに、暗がりでもわかる真っ赤な瞳。

 俺はもちろん知ってるし、大抵の人間は知ってることだろうけど、例えどれほどの『美少女』であっても、人間の目はこんな風に光ったりしないものだ。LEDでも入ってるのか?

と、この時点で、かなり怪しいことは決定なのだが、それに加えて、ニヤリと笑った彼女の口元に見えたのは、白く長い犬歯だった。

 意識してなければ、見逃してしまいがちだが、少しだけ気を付けていれば、すぐにわかる。

 人間の犬歯はあそこまで長くはなく、たとえ大爆笑してたとしても、あんなにギラりと存在を主張したりはしないのだ。

 つまり、十時間ほど前までは真っ黒だった髪が、嘘みたいな金髪になり、焦げ茶の瞳はルビー色に輝き、犬歯が異常に伸びている、というすでにハロウィンの仮装レベルの変貌を遂げた花村伊織が、よりにもよって、深夜一時の繁華街の裏路地いたと、そういう訳だ。

 格好は、なんというか、ワインレッドと黒のシックなヒラヒラの付いたスカートに、レトロな飾り襟のブラウス。首元にはリボンタイをあしらって、ケープマントのようなものを羽織っている。

 ああ、そうだ。確か『ゴスロリ』とかいうジャンルの服装に酷似してると思う。

 そんな非現実的な服装でも、それ自体は異常なほど似合っていて、違和感はない。

 そう、服装には違和感はないのだが――それ以前に、彼女自身に違和感があるのだ。

「……君は、花村伊織、だよな?」

 俺は声をかけてみる。

 同じ高校の同じ学年のクラスメイトだ。いくら見つかったら補導確実な深夜に繁華街で出会ったからと言って、それくらいは不自然でもないだろう。

「貴方は……ああ、鷹司君ね? 同じクラスの鷹司……武充君」

 綺麗な顔をしっかりとこちらに向けて振り返り、彼女は言う。

「……というよりも、よくこの姿の私を見て、花村伊織だと分かったわね」

 右手を軽く握って人差指を顎にあて、自らの左腕に肘をついて、支えるような仕草で首を傾げる。

「まぁ、いいわ」

 何かを言う間も与えてくれず、彼女はそう呟く。

 どうやら、先ほどからの言葉は俺に向けられたものではなく、ただの独り言……自問自答のようなものだったようだ。

 すうっと、滑るように俺に近づいてくる。

 いや、滑るように、ではなく実際に滑っているのだ。人間が歩く時に生じる、左右、上下の体の揺れ。それがないだけでここまで違和感を覚えるものなのか。

 俺は思わず、彼女の足元を見た。

 暗がりで分かりにくいが、少なくとも彼女は歩みを進めてはいない。

 足が動いていないのだ。

 推測だが、わずかに地面から浮いているような感じがする。

 俺は咄嗟に、一歩、二歩と後ろに下がるが、その距離もすぐに詰められてしまう。気が付けば、彼女の顔は俺の目の前にあり、少しだけ上を見上げるようにこちらを見ていた。

 存在感のある女子だし、スタイルが良いので身長が高い印象だったが、実際にはこんなものなのか、なんてどうでもいいことを考える。百七十三センチの俺との高低差から、おそらく彼女の身長は百六十五センチないくらいか――いや、もし推測通り浮いているのだとしたら、もう二、三センチ、低いかもしれない。

「構える必要はないわ。すぐにすべてを忘れるから」

 そう言って、目と鼻の先までその綺麗な顔が近づいてくる。

 キスでもするんじゃないかというくらいまでの距離を保ったまま、赤い瞳がジッと俺の目を見つめる。

「いいかしら? 全てを忘れるの。今晩、ここで私に会ったことも、私のこの姿も、なにもかもを綺麗さっぱりね」

 花村伊織の赤い瞳が滲むように光り、何かを訴えかけるように俺の中に入り込んでくる。

 奇妙な感覚だ。

 当然、今俺が見つめているのは、彼女の瞳であり、それは、色は少し奇抜であっても、形状としては普通の人間の瞳とさほど変わりはない。なのに、この目には、騙し絵を見てるような、なんとも心地の悪い感じだけがあるのだ。

 ゆっくりと、五秒くらいを数えて、彼女はふと目を反らした。

「これでいいわ。さぁ、家に帰りなさい。何事もなく帰って眠りにつくのよ」

 言いながら、彼女は振り返る。

 だが……

「花村、悪いが、それは俺には効かない」

 俺は彼女の背中に向かって、そう言った。

 花村が驚いて振り返ったのは、俺の言葉とほぼ同時だった。

「え……? ど、どういうことよ」

 俺は答えることなく、ジッと彼女を見つめた。

 何をどういうべきか、この僅かな時間では、簡潔にうまく説明する方法を思いつきそうになかった。

「体質でね。洗脳も暗示も魅了も、それが少しでも超常の領域に至れば、ほぼ無効になんだ」

 そこまで言って、これではさらに面倒な説明をしなくては意味不明だな、と少し後悔をする。

 しかし、花村は何も言わず、怪訝そうな顔で僕を見つめているだけだった。

「君はいつから、そうなんだ? 生まれた時から? それとも、何年か前から? 最近?」

 未だ驚きが続く表情の中で、ふと彼女の目にグッと力が入った。

「あなた、何を知っているの?」

「俺が何を知ってるのか、そして君が知りたいことを知っているかどうかも、花村がいつそうなったかによって異なってくる」

 俺は答えた。

「もし数年か、あるいは最近なら、おそらく俺は君以上に、その現象に関して教えられることがあるはずだ」

 彼女の赤い瞳が、迷っているように見えた。

 警戒と懐疑。

 人間の目の形をしているのに、その瞳の奥は猛禽類のような、捕食者のそれを彷彿とさせるのは、彼女の陥っている状態が、少なくとも人間を食料と見なす現象に浸食されているからだろう。

 じっくりと俺を見つめて、彼女の瞳孔が、キュッと閉じて変化する。

「……わかったわ」

 そう言って、小さく息を吐く。

 それまで張り巡らされていた緊張感のある空気が、すぅっと、溶けてなくなっていくのが分かる。それと同時に、彼女から発せられていた独特のオーラのような威圧感も消えていく。

 驚いたのは、花村伊織の髪の色と目の色が、みるみるうちに変化したことだった。

 輝くような金色の髪は、黒く染まり、赤い目はこげ茶色の至って、普通の色へと変わっていく。まるでCGやVFXの映像処理のようだ。

「それで、あなたは、何を教えてくれるの?」

 十分に俺の知っている花村伊織の姿になった彼女は、腕組をしながらそう尋ねる。

 ゴスロリ風の服装は、黒髪になっても死ぬほどよく似合っていて、確かに美少女とこの服装の組み合わせは反則的だな、なんてことを思いながらも、やっぱり日常でこの類のファッションセンスをしてる女子は、どう考えてもメンヘラ味が強いことは否めないという実に偏見的な意見を、とりあえず全部心の内にしまい込む。

「あ~ちょっと待って、とりあえず、座れる場所に行こう。ここだと要らないトラブルに巻き込まれそうだし」

 なんにせよ、こんな治安の悪そうな裏路地には、長居したくはないものだ。

 俺たちは、この時間でも営業しているファミレスへと向かって、歩き出した。

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