第36話 甲子園で敗者復活戦があった

「甲子園」こと、全国高等学校野球選手権大会。


 テレビに映る球場、高校球児たちの掛け声、鳴り響く球場のサイレン……あー、始まったなー、もうそんな時期だなーという気分にさせられます。


 野球部に所属する全国の高校生にとっても、見守る家族にとっても、家族ではないけど野球ファンにとっても、見逃せない一大イベント。


 高校球児たちが悔し涙を流しながら、甲子園の土を持って帰る姿は、ひときわ印象に残ったりしますが……実はこの「甲子園の土」、春と夏で変えているのだそうです。


 甲子園の土は、黒土と砂を混ぜて作っています。

 雨の多い春先は、水はけが良くなるように黒土と砂の割合が5:5。

 夏になると日差しが強く、照り返しの中でも白球が映えるように、黒土6:砂4と割合を変えて黒土を増やしています。


 負ければ即敗退という厳しいトーナメント戦ゆえに、生まれるドラマもあります。


 ですが、昔、「敗者復活戦」があった時期があります。


「甲子園球場」で大会が開催されるようになったのが第10回大会からで、1915年の第1回大会と翌年の第2回大会は大阪の「豊中球場」、第3回大会は兵庫の「鳴尾球場」で開催されていました。


「敗者復活戦」は、第2回大会(大正4年)から開始しました。


 ですが、翌年の大正5年に行われた第3回大会で、奇跡が起きました。


 一度は敗北した愛知の学校が、敗者復活戦で勝ち上がり、ついには優勝したのです。


「一度負けているのに、優勝するのはおかしい」とクレームがついたため、敗者復活制度は翌年から廃止となり、たったの2年間で終わりとなりました。


 甲子園の歴史の中で、面白いニュースをもうひとつ。


 1951年の大会で、兵庫県の高校が「仲間の応援のために、ゾウを連れて行けば盛り上がるだろう」と、応援団長が近隣の遊園地に頼んで、甲子園球場にゾウを連れて入場したことがあったそうです。


 高野連のヒンシュクを買って、すぐに退場を命じられたそうですが……(そりゃそうだ)。


 ですが、ゾウの応援の効果もあったのか、その高校は準優勝まで行ったそうですよ。


 ネットで検索すると、当時の写真も出てきます。新聞の記事にもなったそうで。

 球場内を闊歩するゾウ。なかなか見られるものではありません。

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