第27話 のぞき魔とチョコレート

「エポニム」について、書ききれなかったことを、もう少し。


 水死体のことを「土左衛門(どざえもん)」と呼ぶことがあります。


 江戸時代に実在した、「早瀬川土左衛門」という巨漢の相撲取りからきています。 体内にガスが溜まって、ぱんぱんに膨れ上がった水死体を見て、誰かが「土左衛門みたいな体になっていた」と評したのが広まったのだとか。


 のぞき魔の男性のことを「出歯亀(でばがめ)」と呼んだりもします。


 これも、明治時代に実在した「出っ歯の亀太郎」こと池田亀太郎から命名されたもの。

 女湯をのぞく行為を繰り返し、たびたび警察の厄介になっていた男が、特徴的な出っ歯をしていたので警察関係者から「出っ歯の亀太郎」略して「出歯亀」とあだ名をつけられていました。

 亀太郎がついに女性を殺害する事件が起きた時、新聞報道の記事でそのあだ名に触れられ、「出歯亀」の俗称が世間に知られたそうです。


 のぞき魔の俗称は、英語にもあり、「ピーピング・トム」と言います。


 トムという男性がこっそり女性の裸を覗いたので、その名前が残っているわけですが、どういう状況だったのかというと……。


 11世紀のイングランドのお話。


 コヴェントリーという町では、領主のレオフリック伯爵が圧政を強いて、重税で町人たちを困らせていました。


 レオフリック伯爵の妻で、若く美しい夫人ゴダイヴァは、聖母のような優しさで町人の生活苦を心配し、「どうか減税してください」と何度も夫に頼みます。


 伯爵はそのたびに𠮟りつけるのですが、あまりにもゴダイヴァの要求がしつこいので「ひとつ、いうことをきいたら、お前の要求を叶えてやろう」と無理難題を出しました。

 それは「全裸になって馬に乗り、町の端から端まで渡れ」というものでした。


「そんなことはできません」と妻が音を上げる……と思っていたレオフリック伯爵ですが、意外にも、ゴダイヴァは束ねていた髪をほどき、服を脱ぎ、全裸となって、毅然とした態度で「約束はお守りください」と言い、馬の準備を始めました。


 役人たちは、このことを急いで町人たちに知らせ、「夫人の意志を汲んで、決してその御姿を見ぬように」と命じました。


 町人たちが窓を閉め切り、外を見ないように屋内に閉じこもっている間に、ゴダイヴァは全裸で馬に乗り、見事に町の端から端まで渡り切りました。

 レオフリック伯爵は驚きましたが、妻との約束どおり、コヴェントリーの町の重税を軽減しました。


 町人たちは、夫人の勇気ある行動に、深く感謝したのでした……という話です。


 この騒動の中で、誘惑に負けて窓をこっそりと開けて、ゴダイヴァ夫人の一糸まとわぬ裸を唯一盗み見てしまったのが、トムという男性でした。

 それで、のぞき魔の俗称を「ピーピング・トム」と呼ぶようになった、というわけです。


 コヴェントリーの町には、自らの身を挺して町人たちを救った、ゴダイヴァ夫人の銅像が立っているほか、時計台のモチーフにも使われています(時計台には、覗き見ているトムの姿もあります)。


 また、ジョン・コリアというイギリスの画家は、この話を元に「ゴダイヴァ夫人」という美しい絵を描きました。

 全裸で馬に乗り、町を移動する夫人の絵は、エロティックというよりも町人を救う気高き崇高さに満ちているようです。


 美しい心を持った夫人の名から、ベルギーのチョコレートメーカーが、自分の会社に名前をつけています。


 ゴダイヴァを英語読みすると「ゴディバ」。


 チョコレートブランドで有名な、あのゴディバですね。

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