お話は、M県とはずっと離れた、この東京からはじまるのです。

 東京の山の手のある学生街に、お定まりの殺風景な、友愛館という下宿屋があって、そこのもっとも殺風景な一室に、ひとひろすけという書生ともごろつきともつかぬ、そのくせ年輩は三十をよほどすぎていそうな、不思議な男が住んでおりました。彼は沖の島の大土工がはじまる十余年前に、ある私立大学を卒業し、それからずっと、別に職を求めるでもなく、といってこれという確かな収入の道があるでもなく、いわば下宿屋泣かせ、友だち泣かせの生活をつづけて、最後にこの友愛館に流れつき、かの大土工がはじまる一年前くらいまで、そこで暮らしていたのです。

 彼は自分では哲学科出身と称しているのですが、といって哲学の講義を聞いたわけではなく、ある時は文学に凝って夢中になり、その方の書物をあさっているかと思うと、ある時はとんでもない方角違いの建築科の教室などに出掛けて行って、熱心に聴講してみたり、そうかと思うと、社会学、経済学などに頭をつっこんでみたり、今度は油絵の道具を買いこんで、絵描きの真似ごとをしてみたり、ばかに気が多いくせに妙に飽き性で、これといってほんとうに修得した科目もなく、無事に学校を卒業できたのが不思議なくらいなのです。で、もし彼が何か学んだところがあるとすれば、それは決して学問の正道ではなくて、いわば邪道の、奇妙に一方に偏したものであったにちがいありません。それゆえにこそ、学校を出て十年以上もたっても、まだ就職もできないで、まごまごしているわけなのです。

 もっとも、人見広介自身が、何かの職について世間なみの生活をいとなもうなんて神妙な考えは持っていなかったのです。実をいうと、彼はこの世を経験しない先から、この世に飽きはてていたのです。

 一つは生来の病弱からでもありましょう。それとも、青年期以来の神経衰弱のせいであったのかもしれません。何をする気にもなれないのです。人生のことがすべて、ただ頭の中で想像しただけで充分なのです。何もかも「たいしたことはない」のです。そこで彼は年中汚ない下宿に寝ころんだまま、それで、どんな実際家もかつて経験したことのない、彼自身の夢を見つづけてきました。つまり一口にいえば、彼は極端な夢想家にほかならぬのでありました。

 では、彼はそうして、あらゆる世上のことを放擲して、一体何を夢見ていたかと言いますと、それは、彼自身の理想郷、ゆうきようのこまごました設計についてでありました。

 彼は学校にいる時分からプラトン以来の数十種の理想国物語、無可有郷物語を、世にも熱心にたんどくしました。そして、それらの書物の著者たちが、実現すべくもない彼らの夢想を、文字に托して世に問うことによって、せめてもの心やりとしていた、その気持を想像しては、一種の共鳴を感じ、それをもって、彼自身もわずかに慰められることができたのでした。それらの著書の中でも、政治上、経済上などの理想郷については、彼はほとんど無関心でありました。彼の心をとらえたのは、地上の楽園としての、美の国、夢の国としての理想郷でありました。それゆえ、カベの「イカリヤ物語」よりもモリスの「無可有郷だより」が、モリスよりはさらにエドガア・ポーの「アルンハイムの地所」の方が、一層彼を惹きつけるのでした。

 彼の唯一の夢想は、音楽家が楽器によって、画家がカンバスと絵の具によって、詩人が文字によって、さまざまの芸術を創造すると同じように、この大自然の、山川草木を材料として、一つの石、一つの木、一つの花、或いは又、そこに飛びかうところの鳥、けもの、虫けらの類に至るまで、皆生命を持っている、一時間ごとに、一秒ごとに、生育しつつある、それらの生き物を材料として、途方もなく大きな一つの芸術を創作することでありました。神によって作られたこの大自然を、それには満足しないで、彼自身の個性をもって、自由自在に変改し、美化し、そこに彼独特の芸術的大理想を表現することでありました。つまり、言葉をかえていえば、彼自身神となってこの自然を作りかえることでありました。

 彼の考えによれば、芸術というものは、見方によっては自然に対する人間の反抗、あるがままに満足せず、それに人間各個の個性を付与したいという欲求の表われにほかならぬのでありました。それゆえに、たとえば、音楽家は、あるがままの風の声、波の音、鳥獣の鳴き声などにあきたらずして、彼ら自身の音を創造しようと努力し、画家の仕事はモデルを単にあるがままに描きだすのではなくて、それを彼自身の個性によって変改し美化することにあり、詩人はいうまでもなく、たんなる事実の報道者、記録者ではないのであります。

 しかし、これらのいわゆる芸術家たちは、なぜなれば楽器とか絵の具とか文字とかいう間接的な非効果的な七面倒な手段により、それだけで満足しているのでありましょう。どうして彼らはこの大自然そのものに着眼しないのですか。そして、直接大自然そのものを楽器とし、絵の具とし、文字として駆使しないのでありましょう。それがまるで不可能な事柄でない証拠には、造園術と建築術とが、現に或る程度まで自然そのものを駆使し、変改し、美化しつつあるではありませんか。それをもういっそう芸術的に、もういっそう大がかりに、実行することができないのでありましょうか。人見広介はかく疑うのでありました。

 したがって彼は、先に挙げたような数々のユートピヤ物語よりは、それらの架空的な文字の遊戯よりは、もっと実際的な、そのうちのあるものは或る程度まで彼と同じ理想を実現したかに見える、古来の帝王たちの(主として暴君たちの)華々しい業績に、幾層倍も惹きつけられるのでありました。たとえばエジプトのピラミッド、スフィンクス、ギリシャ・ローマの城廓的な或いは宗教的な大都市、シナでは万里の長城、ぼうきゆう、日本では飛鳥あすかちよう以来の仏教的大建築物、金閣寺、銀閣寺、単にそれらの建築物ではなくて、それを創造した英雄たちのユートピヤ的な心事を想像する時、人見広介の胸はおどるのでありました。

「もしわれに巨万の富を与えるならば」

 これはあるユートピヤ作者の使用した著書の表題でありますが、人見広介もまた、常に同じ嘆声を洩らすのでありました。

「もしおれが使いきれぬほどの大金を手に入れることができたらばなあ。先ず広大な地所を買い入れて、それはどこにすればいいだろう、数百数千の人を役して、日頃おれの考えている地上の楽園、美の国を作り出して見せるのだがなあ」

 それにはああして、こうしてと、空想しだすと際限がなく、いつも頭の中で、完全に彼の理想郷をこしらえてしまわないでは気がすまぬのでした。

 しかし気がつけば、夢中でこしらえていたものは、ただ白昼の夢、空中のろうかくにすぎなくて、現実の彼は、見るも哀れな、その日のパンにも困っている、一介の貧乏書生でしかないのです。そして、彼の腕前では、たとえ一生を棒に振って、力かぎり根かぎり、働き通してみたところで、たった数万円の金さえ蓄積することはできそうもないのでありました。

 しょせん彼は「夢見る男」でありました。一生涯、そうして夢の中ではちようてんの美に酔いながら、現実の世界では、なんというみじめな対照でありましょう、汚ない下宿の四畳半にころがって、味気ないその日その日を送って行かねばならないのです。

 そうした男は、多く芸術にはしって、そこにせめてもの安息所を見いだすものですが、何の因果か彼にはたとえ芸術的傾向があったとしても、もっとも現実的な、今いう彼の夢想のほかには、おそらくどの芸術も、彼の興味をひく力はなく、又その才能にめぐまれてもいなかったのでした。

 彼の夢がもし実現できるものとしたならば、それは実に世に比類なき大事業、大芸術にちがいないのです。それゆえに、ひとたびこの夢想境をさまよった彼にとっては、世の中のいかなる事業も、いかなる娯楽も、さてはいかなる芸術さえもが、まるで価値のない、取るに足らぬものに見えたのは、まことに無理もないことでした。

 しかし、そうしてすべての事柄に興味を失った彼とても、食うためには、やっぱり多少の仕事をしないわけには行きません。それには、彼は学校を出て以来、安翻訳の下請けだとか、童話だとか、まれにはおとなの小説だとかを書いて、それを方々の雑誌社に持ちこんでは、からくもその日のたつきを立てているのでした。

 最初のうちは、それでも芸術というものに多少の興味もあり、ちょうど古来のユートピヤ作者たちがしたように、お話の形で彼の夢想を発表することに、少なからぬ慰めを見出すことができましたので、いくらか熱心にそうした仕事をつづけていたのですが、ところが彼の書くものは、翻訳は別として、創作の方は妙に雑誌社の気受けがわるいのでした。それというのが、彼のは彼自身の例の無可有郷を、いろいろな形式で、微に入り細をうがち描写するにすぎない、いわば一人よがりの退屈きわまるしろものだったものですから、それは無理もないことといわねばなりません。

 そんなわけで、せっかく気を入れて書き上げた創作などが、雑誌編集者に握りつぶされたことも一、二度ではなく、そこへもってきて、彼の性質が、ただ文字の遊戯などで満足するには、あまりにどんらんであったものですから、小説の方では一向うだつが上がらないのです。といって、それをやめてしまっては、早速その日の暮らしにも困るので、いやいやながら、いつまでも下積み三文文士の生活をつづけて行くほかはないのでした。

 彼は一枚五十銭の原稿を書きながら、そして、その暇々には、彼の夢想郷の見取図だとか、そこへ建てる建築物の設計図だとかを、何枚となく書いては破り、書いては破りしながら、彼らの夢想を思うままに実現することのできた、古来の帝王たちの事蹟を、限りなきせんぼうをもって、心に思い描くのでした。

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