パノラマ島奇譚

江戸川乱歩/カクヨム近代文学館

 同じM県に住んでいる人でも、多くは気づかないでいるかも知れません。I湾が太平洋へ出ようとする、S郡の南端に、ほかの島々から飛び離れて、ちょうど緑色の饅頭をふせたような、直径二里たらずの小島が浮かんでいるのです。今では無人島にもひとしく、附近の漁師どもがときどき気まぐれに上陸して見るくらいで、ほとんどかえりみる者もありません。ことに、それはある岬の突端の荒海に孤立していて、よほどの凪ででもなければ、小さな漁船などでは、第一近づくのも危険だし、また危険をおかして近づくほどの場所でもないのです。

 所の人は俗に沖の島と呼んでいますが、いつの頃からか、島全体が、M県随一の富豪であるT市のこもの所有になっていて、以前は同家に属する漁師たちのうち、物好きな連中が小屋を建てて住まったり、網干し場、物置きなどに使っていたこともあるのですが、数年以前、それがすっかり取り払われ、にわかにその島の上に不思議な作業がはじまったのです。何十人という人夫土工、あるいは庭師などのむれが、別仕立てのモーター船に乗って、日ごとに島の上に集まってきました。

 どこから持ってくるのか、さまざまの形をした巨岩や、樹木や、鉄骨や、木材や、数知れぬセメント樽などが、島へ島へと運ばれました。そして、人里離れた荒海の上に、目的の知れぬ土木事業とも、庭作りともつかぬ工作がはじまったのです。

 沖の島の対岸の村々には、政府の鉄道はもちろん、私設の軽便鉄道や、当時は乗合自動車さえ通っていず、ことに島に面した海岸は、百戸に充たぬ、貧弱な漁村がチラホラ点在しているばかりで、そのあいだあいだには、人も通わぬ断崖がそそり立っていて、いわば文明から切り離された、まるで辺鄙なところだものですから、そのような風変りな大作業がはじまっても、そのうわさは村から村へと伝わるだけで、遠くに行くにしたがって、いつしかおとぎ話のようなものになってしまい、たとえ附近の都会などにそれが聞こえても、たかだか地方新聞の三面を賑わすほどのことで済んでしまいましたが、もしこれが都近くに起こった出来事だったら、どうして、大変なセンセイションをまき起こしたにちがいありません。それほど、その作業は変てこなものだったのです。

 さすがに附近の漁師たちは怪しまないではいられませんでした。何の必要があって、どのような目的があって、あの人も通わぬ離れ小島に、費用を惜まず、土を掘り樹木を植え、塀を築き家を建てるのであろう。まさか菰田家の人たちが、物好きにあの不便な小島へ住もうというわけではなかろうし、そうかといって、あんなところへ遊園地をこしらえるというのも変なものだ。もしかしたら、菰田家の当主は気でも狂ったのではあるまいか、などと噂しあったことでした。

 というのには、またわけのあることで、当時の菰田家のあるじというのは、てんかんの持病を持っていて、それが嵩じて、少し前に一度死を伝えられ、附近の評判になったほども立派な葬式さえ営んだのですが、それが不思議にも生き返って、しかし生き返ってからというものは、ガラリ性質が変って、ときどき非常識な気ちがいじみた行動があるとの噂が、その辺の漁師たちにまで伝わっていて、さてこそ今度の工作もやっぱりそのせいではないかと、疑いをいだくことになったのです。

 それはともかく、人々の疑惑のうちに、といって都に響くほどの大評判にもならず、このえたいの知れぬ事業は、菰田家の当主の直接の指図のもとに、着々進捗して行きました。つきつきとたつにしたがって、島全体を取り囲んで、ちょうど万里の長城のような異様な土塀ができ、内部には池あり、河あり、丘あり、谷あり、そしてその中央に巨大な鉄筋コンクリートの不思議な建物まで出来上がりました。

 その光景がどのように奇怪千万な、そしてまた世にも壮麗なものであったかは、ずっと後になってお話しする機会があろうと思いますから、ここには省きますが、それがもし完全に出来上がってしまったなら、どんなにすばらしいものだったでありましょう。心ある人が見たならば、現にあるなかば荒廃した沖の島の景色から、充分それが推察できるにちがいありません。ところが、不幸にも、この大事業は、やっと完成するかしないに、思わぬ出来事のためにとんをきたしたのです。

 それがどういう理由であったかは、ほんの一部の人にしかハッキリはわかっておりません。なぜか、ことが秘密のうちに運ばれたのです。その事業の目的も性質も、それが頓挫をきたした理由も、一切あいまいのうちに葬られてしまったのです。ただ外部にわかっていることは、事業の頓挫と相前後して、菰田家の当主とその夫人とがこの世を去り、不幸にも彼らのあいだに子だねがなかったため、親族のものがその跡目を相続しているということだけでした。その彼らの死因についても、いろいろの噂がないではありませんでしたが、たんに噂にとどまって、いずれもつかみどころのない、したがって、それがその筋の注意を惹くというほどのものではなかったのです。

 島はその後も、やっぱり菰田家の所有地にちがいないのですが、事業は荒廃したまま、訪ねる人もなくほうてきされ、人工の森や林や花園は、ほとんど元の姿を失って、雑草のはびこるにまかせ、鉄筋コンクリートの奇怪な大円柱たちも、風雨にさらされて、いつしか原形をとどめなくなってしまいました。そこに運ばれた樹木石材などは、非常な費用をかけたものではありましたが、さて、それを都に運んで売却するには、かえって運賃倒れになるというような点から、荒廃はしながらも、一木一石、元の場所をかえたわけではありません。したがって、今でも、もし諸君が旅行の不便を忍んで、M県の南端をおとずれ、荒海を乗りきって沖の島に上陸なさるならば、そこに、世にも不思議な人工風景の跡を見出すことができるにちがいありません。

 それは一見、非常に宏大な庭園にすぎないのですが、ある人はそこから、何物か、途方もないある種の計画、もしくは芸術というようなものを感じないではいられぬでありましょう。それと同時に、その人は又、その辺一帯にみなぎる怨念というか、鬼気というか、一種の戦慄におそわれないではいられぬでありましょう。

 そこには実に、ほとんど信ずべからざる一場の物語があるのです。その一部は菰田家に接近する人々には公然の秘密となっているところの、そして、その肝要な部分は、たった二人の人物にしか知られていないところの、世にも不思議な物語があるのです。もし諸君が、私の記述を信じてくださるならば、そして、この荒唐無稽とも見える物語を最後まで聞いてくださるならば、では、これからその秘密譚というのをはじめることにいたしましょうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る