第12話 最期の刻

あらゆるものは完成した瞬間から崩壊が始まるという。

十五夜に満ちた月が少しずつ欠けていくように。

幸せな人生というのも例外ではないらしい。

もっとも、月と違って俺達には猶予いざよいとまもないようだが。



あの日を境に兎は急激に衰弱すいじゃくしていった。1人で歩くことも困難になり、寝たきりの生活をおくるようになった。

兎が起きている時間は二人で語り合った。二人の思い出や、俺の子供の頃の話を。兎の過去についても訊いてみたのだが、どうも記憶がはっきりしないらしい。思い出したら話すと言ってくれた。

傭兵の仕事には行かなくなった。兎を1人家に残すのも不安だし、お金にも不自由していない。何より残された兎との時間を大切にしたかった。……もう兎が回復の見込みが無いことは何となく分かっていたから。


そんな日々を過ごし続け、春が過ぎ、夏が過ぎた。買い物に出たときに見た街路樹の葉が色づいていた。季節はもう秋だ。



昨晩、兎の容態ようだいが急変した。季節の変わり目の温度変化にやられたのかもしれない。湿った咳が激しくなり、黒褐色こっかっしょくたんが出るようになった。兎は処方された薬を飲んで何とか眠りについたが、いよいよ最期さいごときが近づいているのかもしれない。




誰かに身体をすられて意識が覚醒する。


「…ど…し!……う…!…………同志!」


誰かが俺を呼んでいるようだ。いや、俺をこんな風に呼ぶヤツは1人しか居ない。

まぶたを開け、声の主を見上げる。


「おはよう。同志、話がある。少し付き合ってくれないか?今日一日でいいんだ。何もせず一緒に居てくれ。」


「兎、お前……。」

兎はにこやかに言った。昨日と比べて血色も良く咳も出ていない。だがこんな事を言うということは、きっと今際いまわきわなのだ。兎はその時間をけがすまいと懸命に耐えている。ならば俺も言葉を飲み込むべきだ。


「同志?」


「分かった。」


「……ありがとう。何から話そうか?兎は迷ってしまうな。」



その後は兎とひたすらに話した。もう何度も話した思い出話だったが、喉が渇くのも忘れて話し続けた。朝が過ぎ、昼が終わり、日が傾いてきた。窓から差し込むオレンジ色の光は、兎との生活がもう数時間で終わることを告げていた。


「そうだ同志、兎は思い出したぞ!」


「何の話だ?」


「兎の昔の話だ。聞いてくれるか?」


「当たり前だ。」

兎は静かに頷くと語り始めた。


「兎は月の士官だった。前にも言ったが月で生まれた獣人は軍人としての教育を受ける。月に住む神々に尽くすためにな。」


「月の神々?」


「月の支配者階級だ。月の住人に仕事や食料、衣類、住居などを割り当て管理している。月に住まう者はみな、彼らのおかげで自身の能力を活かし、幸せな生活を営むことが出来ていると信じていた。」


「……だが実際は違った。そうだな?」


「ああ、兎は地上に来て気づいた。最低限の寝食と引き換えに身をにして働き、病気になっても満足に治療を受けられない。兎はそんな生活を幸せと呼んでいたのだと。」


「兎は落ちこぼれだった。兎はよくミスをした。同じ班の人も始めは励ましてくれた。だが何度も連帯責任を取らされるうちに兎をむようになった。彼らはある日を境に兎をいじめる様になった。私物を隠されたり、聞こえるように陰口を叩かれたりしたな。そんなある日のことだ。兎に辞令が言い渡された。」



『あー、目が覚めたか?自分が誰だか分かる?』

気がつくと医務室と思わしき部屋のベッドで寝ていた。バッジの付いた白衣を着た男性に呼びかけられて目が覚める。


『えーと、あれ……?』

名前を思い出そうとするが、思い当たる名詞はない。


『やっぱり影響出てるな。機密保持処理剤と、ドーピング剤。どっちの影響かわからないけど。覚えてないのは名前だけ?自分が月の軍人ってことは覚えてる?』


『覚えて……ます。』


『よし、じゃあ兎ちゃん。君に辞令を言い渡す。【本日をもって二等兵の任を解き、同日を以て伍長に任命する。貴殿には地上侵略部隊の一員として活躍することを期待する。】』


『そういうことだから。頑張ってね。』



「その後宇宙船に詰められて兎たちは地上に送られた。部隊は僅か10人、やまいを患っているものも居た。この後宇宙船が壊れたことを考えても、本部は本気で地上を制圧する気など無かったんだと思う。つまりは兎たち爪弾き者を追放して処分するのが目的だ。」


「そんなのってお前……!」

月の社会のために人生を捧げて来た兎に対する仕打ちとしてあんまりだ。


「大丈夫だ同志、兎は幸せだった。この後同志と出会えたんだからな。……ゴホッ……ゴホッ……………うぅ……。」


「大丈夫か!?しっかりしろ!!」

咳き込む兎の背中をさする。口元を抑えた兎の手のひらからは血がしたたっていた。


「……なぁ同志、人の魂は死ぬとどうなるんだ?」


「……故郷に帰ると言われている。」


「そうか……。それは辛いな。月に兎の味方は居ない。兎はひとりぼっちだ。」


「……俺がお前のそばに居てやるよ。」


「なら安心だ。……もう最期が近いな。……そうだ、名前。思い出したんだ。兎の名前はラブリだ。……呼んでくれるか?」


「ラブリ!俺がずっと一緒だ。お前に寂しい思いはさせない!」


「ありがとう……兎は幸せだ。……同志?明かりを消したのか?何も聞こえないぞ?同志、どこだ?」


「ラブリ!!俺はここだ!!」

血に濡れた兎の手を掴み、呼びかける。


「……ああ、良かった。同志はそばに……居るんだな。それ……なら…………安心…………だ……。」


「ラブリ?…………ラブリ!!」

俺は大きな声を上げて泣いた。兎の手を掴んだまま、ずっと大粒の涙を流したまま泣いていた。次第に冷たくなっていく兎とは対照的に、夜は段々と明けていき朝日が俺を刺した。


兎が亡くなった翌日の晩、兎の火葬が行われた。夜空に浮かぶ満月に向かって煙が立ち上っていた。それはまるで兎の魂が月へと戻されているようだった。そう思ったと同時に兎が居なくなった実感が湧いてきた。

重い足を引きずりながら家に帰り、ソファに横になった。本棚の旅行雑誌が目について、兎の真似事をして横になりながらページをめくったが、何一つとして頭には入ってこなかった。それでも無気力に眺めているといつの間にやら眠りについていた。

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