第12話 苦行バス

 5月7日、わたしはスィルケジのホテルをチェックアウトして、地下鉄を使ってオトガルへ行った。

 オトガルとは長距離バスターミナルのことだ。トルコはバス大国で、長距離移動をする場合、バスを使うことが多い。

 イスタンブールのオトガルには、たくさんのバスがひしめいていた。

 バス会社のカウンターが並んでいるところへ行って、「カッパドキアへ行きたい」と伝えた。

「ネヴシェヒル行きのバスが9時に出る」

 カッパドキア観光の起点の街のひとつだ。あと20分で出発。

「チケット買います」

 わたしはチケットを持って目当てのバスを探し出し、乗り込んだ。

 カッパドキアはトルコ中部にある世界遺産である。

 キノコみたいな岩が連綿とつづく奇岩地帯だ。

 数億年前に起きた火山の噴火により、火山灰と溶岩が積み重なった地層ができた。

 柔らかい部分は風雨によって浸食され、固い部分だけが残って、奇妙な風景が生まれた。

 奇岩は「妖精の煙突」とも呼ばれている。

 わたしは写真で見て、絶対にカッパドキアへ行きたいと熱望していたのである。

 バスの運転手は出発直後から、大音量でトルコポップスを流し出した。

 街道をひた走るエンジン音を超えるボリュームで、トルコ語の歌謡曲が延々と鼓膜を震わせる。

 最初は面白いなと思ったが、どの曲も同じに聴こえて、すぐに飽きて騒音でしかなくなった。

 ウンタラカンタラナンタラカンタラギョーン、としか聴こえない。

 車窓を見た。

 羊がいる草原がつづき、ときどき地方都市が出現する。

 単調な風景ですぐに飽きた。

 ネヴシェヒルまでは12時間以上かかるらしい。

 トルコポップスがうるさくて眠ることもできない。

 バス旅行は苦行となった。

 ときどきオトガルに停車し、トイレタイムが設けられる。

 それは助かる。

 昼飯時に到着したオトガルでドネルケバブサンドを買い食いした。

 やはり美味しい。ひとときのやすらぎ……。

 それからまた強制的にウンタラカンタラナンタラカンタラギョーンを聴かせらた。

 耐える。苦行バスに耐える。

 隣に座っているトルコ人男性が歌い出し、騒音が激化した。

 トルコの首都アンカラのオトガルには午後4時ごろに到着した。

 ここで1時間の休憩。少し早めの夕食タイム。

 2階がバスの発着所になっていて、1階にレストランがあった。

 トルコ風の水餃子マントゥを食べた。挽き肉を包んだ小さな餃子たちにニンニク入りのヨーグルトソースがかけられている。

 いろいろな餃子があるものだと感心した。もちろん美味しかった。

 元気を得て、バスの座席に戻った。

 耐えるぞ、と思っていたのだが、すぐに元気を失ってしまった。

 ウンタラカンタラナンタラカンタラギョーンを聴いているうちに、気分が悪くなってしまったのである。

 酔った。

 久しぶりに味わう車酔いだった。

 苦しい。

 わたしは網棚に乗せていたバックパックからビニール袋を取り出し、いつでも吐ける体制を整えた。

 隣にいる男性は歌うのをやめ、わたしを心配そうに見た。

 やさしげに話しかけてくれたが、トルコ語なので、なにを言っているのかわからない。

 わたしはなんとか車内で吐くのを耐え、次に停車したオトガルのトイレで盛大に戻した。

 吐いても、少しばかり楽になっただけだった。

 軽い酔いはずっとつづいた。

 目を瞑って背もたれに体重を預け、ひたすら苦行バスに耐えた。

 ネヴシェヒルは遠かった。

 発車から12時間後、午後9時になっても到着しなかった。

 クルシェヒルという街のオトガルのトイレで、わたしはまた吐いた。胃液しか出なかった。

 到着したのは、午後10時30分頃だった。

 わたしは転がり落ちるようにしてバスから脱出した。

 オトガルのそばにあったホテルまで懸命に歩き、受付で空室があるかどうかたずねた。

 空きはあった。ほっとして、チェックイン。

 シャワーも浴びず、ベッドに倒れ込んだ。

 疲れ切っていた。

 強い睡魔がやってきて、わたしを苦しみから解放した。

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