第37話 なんで

【side桃香】


 登校する生徒で賑わう校舎を黙々と一定の速さで進む。時刻はじきに8時になるというところ。

 階段の上から街宣車のようにやかましく会話する自称『クラスの中心人物』の品のない声が聞こえてくる。自称『中心人物』らの会話の多くは、他人の悪口だ。登校が遅れれば、その標的になる。まだ始業前だが、彼女らのポジション争いは既に始まっている時間なのだ。



(鷺原くん、大丈夫かしら)



 テレビの前でゴロゴロと転がり、一向に支度を完了させない後輩を思い、『大丈夫じゃないかも』と一層不安は募った。あの子は変わり者だし、人の目なんてどうでも良いと言わんばかりに自由気ままに構えている。おまけにスケベで、自分勝手で、わがままだ。いじめられたりしなければ良いのだけれど。



 でもでも、と頭の中のもう一人のわたしが鷺原くんを弁護する。


「でもでも、なんだかんだ優しいし、頼りになる時もあるし、料理は上手いし、なんか良い匂いするし、笑顔は可愛いし、人当たり良いし——」


「——誰の話ですか」


 突然背後から話しかけられ、「ひぃあ?!」と変な声と共に肩が飛び跳ねた。

 おそるおそる振り向くと、そこには生徒指導の北村先生が呆れた目を私に向けて、立っていた。


(ぇ、嘘、口にでてた?! てか、ここ……職員室?)


 いつの間に、私は職員室の前まで来たのだろうか。ワープした? いや、多分考え事をしながら無意識に歩いていたのだろう。


「ジョニーズだか、タマゴザイルだか、知りませんが、アイドルに入れ込むのもほどほどにしておきなさい」わたしがアイドルの話をしていると勘違いしたのか、先生が説教を開始する。放っておくと「私の若い頃は——」なんて続くのだから、早めに流れを切っておく必要があった。


「あの、先生。遅くなってすみません。それで頼みってなんでしょう?」


 今日は生徒指導の北村先生に『頼みがある』と呼び出されていたのだ。何も朝呼び出さなくても、と思うが口には出さない。

 北村先生は「ああ、そうそう」と手を叩いてパチンと音を鳴らした。

「また転入生が入るんだけどね、その子に学校を案内して欲しいのよ。丁度桜井さん、同じ学年だし」

 なんだ、そういうことか、と若干拍子抜けしながらも「いいですよ」と引き受けた。

「じゃあ放課後、生徒指導室まで来てくれる? そこで待たせておくから」

「どんな子なんですか?」一応、特定できるよう特徴を聞いておこうと尋ねると、先生は含みのある笑みを浮かべた。

「ふふふ、見てのお楽しみよ。きっと驚くから」


 なんだそれ、と思いながらも納得したフリをする。教師の意に沿う言動をすることが最も面倒がない。わたしは内心で呆れつつ「分かりました」と微笑んだ。

 とは言えPTA役員の接遇とか、朝礼の挨拶とか、もっと厄介な事案かと思っていたから、肩の荷が降りる思いだった。




 ♦︎




 生徒指導室の扉を開き、転入生と対面した時、わたしの体は制御を失った。体が硬直し、もはや1歩たりとも動けない。



(そんな……なんで、なんでこの子が——)



 早くもわたしは後悔していた。

 よく確認もしないで、先生の頼みごとを安請け合いした自分を呪うしかない。

 3年間ひたすらに目を反らし続けてきたというのに、もはや逃げ場などどこにもなかった。ついにわたしの罪が裁かれるときが来た、ということか。




「久しぶり。桜井さん」




 断罪の執行人、黒沢 椿が言った。

 彼女に思い出を懐かしむ様子などない。無表情でこちらを見つめる彼女の情動は決して無なんかではなかった。加害者の死刑を見届けるような冷たい怒り。

 足が震え、嫌な汗が背筋をつたう。声を出そうとするが、上手く出ない。


「生徒会長をやってるんだって?」


 黙っているわたしに代わって、椿は一人話つづける。


「立派なものね、あの桜井さんが。だけど、私も頑張ったのよ? 女優になって、汗水垂らして働いて、有名になって。学校だって通信制で頑張ってたんだから」


 友達と近況報告をするような一見軽い口調で、しかし、彼女の眼はナイフのように鋭く、敵意に満ちていた。


「あなたを見つけなければ今だって月9ドラマに出演していたところよ。オファーがあったの。断ったけれどね」


 なんで、という疑問が頭を占める。

 なんでわざわざ、わたしのいる学校に…………? 嫌な予感が浮上しては、手で押し沈めて目を反らす。予感が的中してしまいそうで今一つ覚悟が持てず、やはり言葉は発せられない。


「月9はもったいなかったけど、仕方のないことなの。私にはこの学校に来てやらなければならないことが出来たから。悔いはないわ」


「椿…………なんで……」ようやく絞り出した声はかすれていた。なんで、この学校に来たのか。わたしはそれを知らなければならない。だけど、知るのが怖い。恐怖で尻すぼみに声は消えていった。

 だが、椿にはそれが届いた。届いてしまった。









「『なんで』ですって?」









 椿は不快を示すようにハァと強く息を吐くと「こちらが聞きたいところだわ」とあざ笑う。椿のアーモンド型の大きな眼孔にはまる黒くよどんだ宝石が、怯えた獲物を写していた。

「ねぇなんで?」と椿が口だけを不自然に歪め、笑う。


「なんで、あなたは幸せに生きてるの?」目を見開いたまま、椿が首を傾げる。「なんで満ち足りた顔をしているの?」続けざまに問う。「なんで楽しそうに恋しているの?」彼女は止まらない「私を陥れたくせに」「私の恋を奪ったくせに」「私の居場所を壊したくせに」




 何一つ答えられない。椿の言葉の弾丸はとうにわたしを貫いていた。血は冷たいのに、鼓動は早い。




「何も答えないのね。卑怯者のあなたらしいわ」

「わたしは……!」



 反射的に言葉が出たが、先が続かない。

 再び訪れた沈黙に、椿は鼻で笑った。答えられない私と反対に、彼女は答える。



「なんで来たのか、だったかしら?」椿は何でもないことのようにサラッと「あなたにも味わってもらおうかと思ってね」と言った。

 それからわたしの目をじっと見つめたまま笑った。

















「絶望を」




 それは屈託のない晴れやかな笑みだった。

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