第34話 トドは『オゥオゥ』ではなく『ガォー』
【side栗栖くるみ】
寮生揃っての夕食も終わり、解散の雰囲気が漂う中、私はトドゴンの手首を握りさりげなく自室に引っ張り入れた。トドゴンが大げさに顔を歪めて「いたたたた」と大声を上げようとしたため、私は『声を出させてはまずい』と思い至り、トドゴンの頬をひっぱたいた。
声の代わりにパァン、と気持ちの良い音が響いたが、幸い他の寮生は既にダイニングを発った後だった。
「なんでひっぱたく?! 口押えるとかでよくないか?!」トドゴンが訳の分からない文句を垂れる。
「唾が手につくじゃないですか。というか、大声あげるトドゴンが悪いんですよ?」
トドゴンは頬を押えながら微妙に私から距離を取った。失礼なトドである。
「てか、なんの用だよ」面倒くさそうにトドゴンが言う。
「そんなに警戒しないでくださいよ。トドゴンのために、私はやっているのですから」
少し被せ気味に「嘘つけ」と返ってきた。何故だ。
トドゴンにもメリットがあることなのは本当です、と釈明するが全く警戒が解かれない。どれだけ私は信用がないのだろうか。
私が「同盟を組みましょう」と切り出すと、トドゴンはいつも通りのアホ面を返した。
「はぁ?」と気のない返事をするトドゴンに、自然とため息が漏れる。1からか? 1から説明しなくてはダメか? トドゴンは野生のトドより知能が低いのではないか、という説が今、浮上した。
「トドゴンがいつもガネっちにあしらわれて周囲に居たたまれない空気を振りまいているのは周知の事実ですが——
「——ちょっと待て。そんな認識なの
「ですが、私の協力を得られたらどうでしょう? 少しはガネっちの気をひけるのではないですか? 例えばそれとなくトドゴンの魅力的なところをガネっちに吹き込んだり」
「俺の魅力的なところって?」
私はあごに手をやり、たっぷり考えて答える。
「………………泳ぎが得意」
「それトドな」
「………………サッカーが得意」
「それゴン中山な」
ダッメだ。全然出てこない。真先輩のいい所だったら無数に出てくるのに。
「と、とにかく!」と仕切りなおすと、「おい誤魔化すな。俺の良い所は?」としつこく掘り返す。そういう粘着質なことをしているから、良いところが一つも出てこない男に仕上がっているのだと気付いてほしい。
「ガネっちを落とすのを、私が全面的に協力しましょう」と強引に質問をシャットアウトした。トドゴンは「ふーん」とまたも気のない返事をした後に「で」と半眼を私に向けた。
「対価はなんだ?」
ちっ。バレていたか。
見透かされるのは少し癪だが、話が早いのは助かる。
「私が真先輩を落とすのに協力してください」
この約束を取り付けたくて、トドゴンを連れ出したのだ。
今日の真先輩と桃香先輩は何かがおかしかった。お互いがお互いを変に意識しているような、気まずそうにしているような、そんな雰囲気を感じるのだ。二人の間に何かあったに違いない。おそらく仲が進展するような何かが。
私は膨れ上がる危機感を抱えきれなくなって、トドゴンを味方につけようと思い立った。
「…………協力って?」
「それはまだ分かりません。その時々で、野生のトド程度の脳みそでも役に立つ時があるかもしれませんし」
「お前それ協力者に向ける態度じゃないよね?」
おっと、しまった。つい本音が。今はおだててこのトドを手懐けなくてはならないのだった。
「私はトドゴンがガネっちと結ばれるのを全力でサポートし、トドゴンは私と真先輩が結ばれるのを全力でサポートする。そういう同盟です」
トドゴンがガネっちとくっつけば、ガネっちという強力なライバルが一人減るので一石二鳥だ。
トドゴンは訝しみながらも、「まぁそういうことなら」と同盟が締結された。続けて発された私の「つきましては」という言葉を受けて、トドゴンは満面のしかめっ面になる。
「つきましては、トドゴン。寮生全員参加型のキャンプを企画してください。すぐに」
「はぁ?! なんで俺が?!」
「これも我々の恋を成就させるためです。がんばろ?」手をグーにして可愛らしく胸の前で握って見せる。
——が、
「お前がやれよ!」トドゴンにぶりっ子は効かない。
これは言葉で言い負かすしかないようだ。私はちっちっちと人差し指を振って、トドゴンを挑発する。
「トドゴンが企画して私が『あっ、それ良い〜』って賛同するのと、私が企画してトドゴンが『オゥッオゥオゥッ』って鳴くのと、どっちが効果的だと思う?」
「そりゃ前者でしょうね! 比較対象がおかしいだろ!」
トドゴンがオゥオゥごねていると、唐突に私の部屋の扉がキィイイイイと開いた。私とトドゴンがビクッと同時に扉を向く。
「見ィ〜ちゃったぁ、見ィ〜ちゃったァ。
あごをしゃくらせて目をかっぴらいた真先輩がそこにいた。
隣から「ひぃぃいい」と情けない叫びが上がった。トドゴンがビビるのも無理はない。目をかっぴらいてこちらを凝視する真先輩は異様すぎる。可愛い顔をよくもそこまで、という程に歪めている。確かに怖い。ホラー映画の子供の霊が怖いのと同じ現象だろう。あるいは遊園地の着ぐるみが怖いのと同じ。
「女と男、一つの部屋に二人きり」ここで会ったが百年目、よろしく一息に真先輩が言う。
「ち、違います! 誤解です先ぱ——
「——女が喘ぐ。『オゥッ、オゥッ、オゥッ❤︎』」
なんでさっきから妙にリズミカルなんだ、この人。
とにかく何やらとんでもない誤解が生じているようだった。私はそんなトドみたいな喘ぎ声はしない。絶対。
「違うんです! 本当に! ちょ、真先輩?! 待っ——」
真先輩が扉を離れてドタドタと走り去る。そのしゃくれた口は何かを繰り返し囁いていた。私達は視界から消えた先輩を追いながらも耳を澄ました。
——
古い!
一昔前のCMソングを口ずさんでいる。何故だ。意味不明である。
しかし、トドゴンは冴えていた。
「おい栗栖。あのCMソングは、正しくは『
なん…………だと…………!
私は慌ててリビングを駆け、桃香先輩の部屋をノックもせずに開いた。
バンっと扉が壁に衝突する音の直後に「きゃァア! 何?! 何なの?! ノックくらいしなさいよ!」と鏡の前で服を体に合わせている桃香先輩が叫んだ。上はキャミソール、下はパンティ姿である。真先輩はいなかった。体に合わせている服は明らかに小奇麗なお出かけ用コーデ。ベッドの上には洋服がいくつも広げられていた。…………やっぱり怪しい。
私が桃香先輩の尋問を切り上げ部屋から出ると、真先輩はリビングで牛乳を飲みながら、トドゴンとオセロをしていた。なんとも呑気なものである。
遊んでいるということは誤解は解けたのか。
疲れを吐き出すようにため息をついてから、彼らに歩み寄る。
真先輩は私に気付いて顔を上げると、たしなめるように言った。
「あ、栗栖。トドの鳴き声はオゥオゥではなく、正しくはガオーだ。次トドとセックスする機会があったら、『ガオォオオオん❤︎ そこはガオォォオオオン❤︎』にしとけ。間違えるなよ」
この後、私がオセロ台返しをしたのは言うまでもない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます