第32話 毒を以て毒を制する

 

 チャイムを合図に教室を出たチョロQを追うように廊下に出ると、先生に連れられて歩き去って行くローラの哀愁漂う背中が見えた。

 強く生きろよ、と祈りを捧げる。祈りはすぐに神に届いたらしく、ローラが「やかましいわ!」と振り返った。僕が何か言うよりも、先生の拳骨の方が早かった。

 頭を両手で押さえて再び歩きだすローラを見送った後、教室に戻ろうと振り返るとミルクティー色のクリーミーな茶髪が視界に映る。甘いけれど、甘すぎない清楚な女の子を思わせる心地よい香りが鼻を抜けた。


「せーんぱいっ❤︎ 来ちゃった」跳ねるような口調で僕を呼ぶ栗栖は、少し胸を上下させ、乱れる呼吸を抑えているのが分かる。わざわざ小休憩のこの時間に、走って2年の教室まで来たようだった。

「何しに来たんだよ」

「あー先輩ひどーい。可愛い彼女がわざわざ遊びに来たっていうのにィ」ぷくぅと頬を膨らまして芝居じみた反応をする。

「誰が誰の彼女だ。人聞きの悪いことを言うな」

「人聞きの悪いだなんて、人聞きの悪い!」


 栗栖がこうして僕にだる絡みをしにやってくることは少なくなかった。寮でも学校でも西へ東へ、だる絡みをしにひた走る。まじで厄介な後輩だ。こいつのおかげで、桃香先輩をデートに誘うチャンスを何度ふいにしたことか。


 ズボンのポケットに手を突っ込み、しまっていたチケットに手を触れる。

 いっそのこと栗栖でも——と頭をよぎるが、結局チケットはポケットにしまったまま、手だけをポケットから出した。

 栗栖はもう攻略済みだ。にもかかわらず、ローラはミッションクリアを宣言しなかった。ということは、栗栖を落とすだけでは不十分……ということなのだろう。栗栖も十分過ぎる程、美少女だが、やはりあの美の化身たる生徒会長桜井桃香でなければダメということだろうか。厄介なミッションを課されたものだ。

 昼休みにでも桃香先輩を誘おうか、と考える。



「お前今日昼休みは来るな」

「なんでですか?」

「用事がある」

「ご一緒します」

「オナニーするから」

「ご一緒します」


 ご一緒すんなよ。ドン引きして離れていくかと思いきや、『やぁ一緒にお昼食べよ』のトーンで合わせてきやがった。やぁお昼食べよ、やぁ一緒に帰ろ、やぁオナニーしよ。やっぱりコイツ、イカれている。

 イカれた後輩はチャイムと同時に陸上選手のように綺麗なフォームで走り去って行った。


 危機感だけがあとに残る。このままでは桃香先輩にデートの誘いを断られることさえできない。断られるにしても、なんとか誘うところまでは行きたい。

 仕方がない。毒を使うか。

 毒をもって毒を制す。

 キングギドラにはゴジラを。

 貞子には伽椰子かやこを。

 頭のおかしい後輩には、元半グレ総長の白ギャルを。


 僕は毒にメッセージを送った。



 ♦︎



「お、お、お、お待たせ」


 昼休み、僕の教室に関節が溶接されたロボが来た。それは、よく見るとギクシャクと異様に動きの硬い白金だった。

 緊張と期待の色を顔というキャンバスに、ありありと塗りたくっている。そうか、僕呼び出した要件を言わなかったっけ。


「やぁ。よく来たな」

「さ、鷺原から呼び出すなんて、珍しいなァ?」何の用かは聞いてこない。ただ胸の前で両手を揉んだり、スカートの裾を触ったりと落ち着きなくもじもじしている。

「別に。お前が学校で上手くやれてるか気になっただけだっての」とワザと雑に言ってみると、白金が口をもにゅもにゅさせて半分ニヤけているような変な顔になった。分かりやすい奴。


「鷺原のおかげでなんとかやれとるわ。ありがとォな」白金が柔らかい笑みを浮かべる。

「僕何もしてないけどな」

「何言うてんねん。鷺原の友人がようさんウチんとこに来てくれてんで」


 事実だった。僕は当然のことながら女子にモテる。あまりにモテるから日常生活に支障をきたす程だ。だから、僕を口説こうとする女にはいつもこう言っている。


『僕を口説きたかったら、まず白金かな子を通せ』


 こう言えば、大抵は二度目はなく、さらに良いことに『鷺原には番犬がついている』と噂され、僕に言いよる女子はさらに減るという寸法だ。

 しかし、どこで何を間違えたのか、僕を口説くために頑張って白金に挑む女子を、白金は気さくに話しかけてきてくれる友達だと思っているようだった。

 勘違いしてるならそのままにしておこう、と僕は特に訂正はしなかった。

 それよりもそろそろ栗栖が来る。仕込みを完了させなければ。


「白金」と声を張り、彼女の視線を僕に固定する。

 白金に身体が密着しそうな程に近づく。僕は白金のブロンドを手でかしながら、彼女を見つめた。僕の手はスーッと引っかかることなく、黄金の川を下る。


「今日の昼は可愛い女の子と二人っきりで、ランチしたいと思ってたんだよね」


 を作るのは簡単だ。眠そうにしていれば良い。あとは相手が勝手にセクシーだの、色気があるだの良い様に解釈してくれる。

 案の定、白金も口をパクパクして頬を染めた。白金の目が水槽のメダカのように右へ左へ俊敏に泳ぐ。延々とスイミングしていた白金の目は、ようやく覚悟を決めたのか僕の目を見つめ返した。


「そ、そ、そ、それならウチと——

「——それなら丁度良かったです。先輩にぴったりの美少女が今、参りましたァ」突如現れた茶髪のちびっ子によって白金の覚悟は塗り潰された。


 来たな貞子さだこ、もとい栗栖。

 突然現れるや否や僕と白金の間に身体を潜り込ませて割って入る。栗栖の発展途上の胸が僕のみぞおち辺りに押し付けられる。


「なんや、栗栖。邪魔せんといて。鷺原はウチを呼んだんや。栗栖ちゃう」

「関係あらへんあらへんー」栗栖が関西弁を真似て挑発する。「鷺原どんは可愛い女の子って言うただけどすー。私の方が可愛いどすー」ドンもどすも何か違う気がするが、栗栖はお構いなしに白金を煽る。

「はァ?! アンタみたいな幼女はマスコット枠や。せいぜいふなっしーか、ネバールちゃんのポジションや」

「誰が梨汁ぶしゃーですか!」


 貞子と伽椰子かやこの不毛な戦いは幕を切った。

 そして予定通り僕は白熱する2人を置いて、こっそりと教室を後にした。




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