第29話 生贄

 部室の並ぶ第二校舎を出てすぐの校舎前に無秩序にわらわらと集まり、談笑するのは、先日まで僕と等々力を殺害しようとしていた危ない女たちである。

 ある者は石でできた横長の洗面水道台に座り、あるものは石タイルの床に直接座る。


 今、こうして見るとなんてことのない普通の女の子集団にしか見えないから不思議だ。というか、誠真学園の生徒ではない彼女らをこっそり学校敷地内に入れているのだから、もう少し忍んでもらいたいのだが——



「あっははははははは」

「それな」

「ウケる〜」



「ねぇ、鷺原くんって可愛くない?」

「分かるけど、アンタじゃ不釣り合い。アタシがいく」

「いやお前もな」

「ふっ。ウチ、鷺原くんの電話番号もってるっすよ?」

「「あ゛あん?」」



「ちょ、虻川さんやめてください何してんですか」

「や、学生っつったら三つ編みおさげじゃねぇの? 知らんけど」

「やめてください! 後生ですから! 三つ編みおさげの虻川さんだけは見たくないです」

「な、なんでだよ! ぶっ飛ばすぞ」



 キミたちもう少し、静かにできないの? バレちゃうから。先生来ちゃうから。



 諦めて、花壇のレンガに座って彼女らを眺めていると、僕の隣にとさか頭が腰を下ろした。


「おう。怪我は大丈夫か、チビ」等々力がポケットに手を突っ込んだまま、こちらを見ずに言う。

「まぁな。お前は頭大丈夫か? 病院でニワトリに改造されたか? 元からか?」

「てめぇ、ぶっ殺すぞ」

「コケーコッコッコ、コケェエエエエエエエ」


 等々力が僕の肩を殴る。栗栖に比べたらニワトリの体当たり程度の威力だ。


 等々力は下唇を突き出し、もぞもぞと座りを直したり、後ろ首をさすったりと落ち着きがない。もじもじする男など、気持ち悪くて見ていられない。


「なんだよ。言いたいことがあるなら、はっきり言えよ。コケコケコケコケ気持ち悪ィなぁ」

「誰がコケコケ言った、誰が」


 等々力は少し照れくさそうに床タイルを見つめながら口を開く。


「その……助けに来てくれて、サンキュな」


 僕は等々力に一瞬だけ嫌味を込めてニッコリ笑いかけてから、真顔に戻って言う。


「気持ち悪。それが僕の正直な気持ちです。受け取ってください。気持ち悪」

「う、うるせーよ二度も言ってんじゃねぇ」


 等々力が頬を少し染める。本当に気持ち悪いやつである。


「マジで感謝とかしなくて良いから。というか、するな。マジで」



 むしろゴメン、とは言わなかったが、心の中で言っておく。


 めんごォ! 誠心誠意のめんごォ! をキミに送るゥ!

 キミがさらわれたの僕のせいなんだよね。ハハハ。

 一応、等々力が殺されないように、いろいろ準備はしていたけれど、等々力がボコられるのは普通に見て見ぬふりしていたからね。ハハハハ。


 僕のスマホがF1のテーマソングを奏でた。

 確認すると栗栖から、これから向かうとの連絡だった。


「皆ァ! もうそろそろ来るから、準備よろしく」

『ウィィイっす』クレッシェンド女子が一斉に応じる。


 だから忍べって。普通にうるせぇ。


「おら、お前ら鷺原さんに迷惑かけんじゃねぇよ! とっとと配置につけ」虻川が怒鳴る。

 いや、お前もうるせぇから。何ならお前が一番うるせぇから。

 虻川はあの一件以来、鷺原さん鷺原さんと付きまとってきてウザい。お前、年齢的には高校3年の歳だろ。後輩にさん付けして付きまとってんじゃねぇよ。




 等々力がしゃがんでうずくまり、その周囲をクレッシェンドの構成員が取り囲む。はたから見たらリンチしているような光景である。まさにそう見せかけることが狙いだ。

 準備が整ってすぐ男バスを引き連れた栗栖がやって来る。



「男バスの皆さん、こっちです。こっちで等々力くんがクレッシェンドに絡まれてます」



 栗栖が男子バスケットボール部の山田とその取り巻き2人を連れて、こちらに駆けて来る。

 山田と取り巻き達はニヤニヤと品の無い笑みを引っさげて、意気揚々と栗栖の後ろを大股に歩く。

 大方、「自分たちは等々力が虻川さんの妹さんに暴力振るっているのを見ました」と虚偽の証言でもしに来たのだろう。

 救いようのないやつらだ。もっとも救うつもりもない。









 彼らは生贄だ。









 2日前、クレッシェンドがヤクザの傘下から離脱したいと申し出るため、ケツ持ちの暴力団の事務所を虻川と訪れた。

 普通のオフィスと変わらない部屋。普通のオフィスと一つ違うのはそこらかしこに監視カメラが設置されていることくらいだ。


 虻川は顔面蒼白で小刻みに震えて、相手方の若頭を前に頭を下げていた。

 白金はいない。

 虻川が『不健全な集団にしてしまったのは自分だから』と、白金には秘密にするよう僕に頼んできたのだ。

 僕は頭を下げた虻川の隣にぼんやりと突っ立っていた。


「詫びるつもりで来たんじゃないんか?」と若頭が頭を下げない僕に目を向けて穏やかに言った。穏やかなのは口調だけで、若頭の目は感情のない淀んだ窪みだ。

「鷺原さん!」と虻川が僕に頭を下げさせようとする。僕は伸びてきた虻川の手をあむっと口に咥えた。


「んひゃぃ?!」虻川が頭を下げたまま、ビクッと跳ねる。器用なやつである。


「詫びる必要なんてないだろ」僕が虻川の手を解放してから言うと、虻川はギョっと僕を睨んだ。

「だって、この人達、お前らを解放する気ないもの」


 若頭が「ほぅ」と感心するように目を見開いた。初めて見せたわずかな感情の動き。


「ボクちゃん、よく分かっているね。ボクちゃんの言うとおりだ。虻川、お前らを解放するつもりはない」すぐに相変わらずの無表情に戻り、冷めた視線で虻川を貫く。

 ヤクザってのはそんなもんだ。自分らに利益のないことは決して許可しない。情に熱いイメージが一般化されているが、決して感情だけで動くやつらではない。

 だったら、どうするか。メリットを提示してやれば良いだけだ。

 なぁ、と僕は若頭に呼びかける。

「クレッシェンドなんて使えねぇガキより、もっと良いもんやるから、それで手引いてくれないか」と。


 縮こまって瞬きが忙しない虻川は、目だけで僕の無礼を止めようと必死に何か伝えようとしていた。当然無視する。


「……良いものってぇのは、なんだい」若頭が目を細めて、僕を見る。品定めをするような居心地の悪い視線。


「うら若い男1人」ぺろっと舌を出してウインクしてみる。

 若頭は興味が湧いたのか、ピクっとまぶたが反応した。


「へぇ。それはキミのことじゃないんだろうね」


「当然、僕じゃない。だから、煮るなり焼くなり好きにするといいよ」


 若頭は僕の言葉に目を丸くして、口をぽかんと開け、それから大声で笑った。


 「はっはっはっはっはっ、キミ良い性格しているよ。ウチの組に欲しいくらいだ」


「やだよ。ヤクザなんて」


 ひとしきり笑ってから、だがね、と若頭が言う。これだからヤクザ者は、と僕は心の中で悪態をついた。


「役に立たないとはいえ、集団との引き換えに男1人ってのはどうなんだい?」


 肩をすくめて、隣の虻川に『役に立たないって言われてるよ?』と目を向けるが、虻川は俯いて黙っていた。

 若頭が言いたいのは、要は『おかわり』ってことだろう。想定内だ。


「分かった。仕方がない。お姉さんには負けたよ。うら若き男2人だそう」


 若頭は今度はピクリとも反応しない。

 こちらの妥協案にまだ納得していないようだ。


「本当に良い性格をしているよキミ。負けた、なんて微塵も思ってないんだろ?」若頭はゆっくりと目を歪めて、言外で僕をゆする。本当に欲張りな奴だ。だが、まぁヤクザ者の強欲さなど、初めから織り込み済みではあるが。

ピッと指を3本立てる。


「うら若き男3人」


 これで手を打て、と僕も言外に若頭に訴えかける。

 長い沈黙の後、若頭が小さく頷いた。


「良いだろう。3日以内にここに連れて来い」




 翌日には山田竜也と取り巻き2人が、カツアゲ暴行——罪名で言えば強盗致傷、を起こした証拠をヤクザに引き渡した。これをかせに奴らを組に縛り付けるつもりだ。

 後は身柄を引き渡して、晴れてクレッシェンドは解放される。


 山田たちは、まぁこの後、波乱万丈な人生を送ることになるだろうが、僕の知ったことではない。

 別に僕は正義の味方でも、聖人君子でもないのだ。

 勧善懲悪ですらない。善だ悪だだなんてどうでも良い。

 気に入ったら助けるし、気に食わなければ潰す。

 それだけだ。









 等々力を取り囲む最後尾に僕と並んで加わっている虻川が、引き気味の苦笑いを僕に向けた。


「アタシは鷺原さんが一番恐ろしいです」


 失礼なやつである。殺人未遂やらかしている虻川にだけは言われたくはない。


 前の方で僕が仕込んだ茶番が行われている。

 もうそろそろ、クレッシェンド女子たちが山田達を取り囲むタイミングだ。

 僕は、何も知らない山田竜也と最後まで名前を覚えられなかった取り巻き2人に心の中で合掌し、『人生頑張れよ』と激励を送った。







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