第18話 ブタメンも上から見れば円形
「ハッピバースデイ、トドゴーン」
パンパンとクラッカーが鳴る。
いつもの暖色の照明の下、クラッカーから飛び出た長い紙片が、年輪の立派な木製テーブルに散らかった。
「……ありがとよ。…………だが、一つだけ言っていいか?」
トドゴンの表情は暗い。
せっかくトドゴンのためにクラッカーを買ってきたのに。ブタメンも買ってきたのに。
トドゴンは誰も許可していないのに勝手に毒を吐く。
「俺誕生日じゃねぇんだが」
「え?!」と桃香先輩が僕に振り向いた。素早く顔をそむける。トドゴンの誕生日だということにして、桃香先輩に飲み物やらピザやらの代金を出させたのだ。
「ほら。トドゴン、以前より表情明るくなったと思わない? これはもう生まれ変わったといっても過言ではない。今日はトドゴンの新たな誕生の日だよ皆」僕が完璧な弁明を果たすと、
「思いっきり仏頂面してますけど」と栗栖がツッコむ。
栗栖はいつも余計なことを言う。
黙っていなさい、と栗栖の背後に回り、後ろから手で口を塞ぐとようやく栗栖が黙った。
後ろから見える栗栖の耳が赤い。
トドゴンが『仲良し寮』にやって来て一週間が経過していた。
クレッシェンドは未だ寮には現れない。
上手く潜伏できているということだろう。
だが、学園内ではクレッシェンドが等々力元太を血眼になって探しているという噂で持ち切りだ。
だからトドゴンは学校も欠席し、寮内での引きこもり生活を送っていた。
白金といい、トドゴンといい、あっちもこっちも引きこもりである。嫌になる。
「お金を出すのはいいけどさ、買ってきたのはクラッカーとピザだけなの?」桃香先輩は目を細めていぶかしむ。
僕がおつりをくすねるとでも思っているのだろうか。失礼してしまう。
「違いますー。ちゃんとブタメンも買いましたー」キッチンに置かれた山のようなブタメンを指さして示す。
「1年分くらいありますね」栗栖はルンルンとブタメンを取りに行き、1つ取ってお湯を入れる。
「ばか栗栖。それはトドゴンのだ。僕らはこっちのドミノのピザで我慢だ」固いダンボール紙で作られた箱を開けるとチーズとトマトの良い香りがホカホカと部屋に広がった。
「…………俺もピザが良いんだが」トドゴンが訳の分からないことを宣う。
「トドゴン。遠慮するな。あのブタメンはトドゴンのためだけに買ってきたんだ。ピザは俺たちで責任もって片づけるからお前は気にせず、すすれ」栗栖が用意した熱々のブタメンをトドゴンの前に置いた。
「あ、いや、俺も——
「——トドゴン先輩。今日は……譲ります。特別ですよ? あ、真先輩! 私明太餅の方で」
栗栖に明太餅ピザをとってやると小さな口でパクリとかぶりつき、ほっぺに手を当てて満足そうな顔を見せた。
その幸せそうな笑みにグッとくる。
奇行がなければ、めちゃくちゃ可愛い後輩である。
桃香先輩は、トドゴンに同情の目を向けながらも、自分もピザを取ってハムっとかじる。
多分、僕と栗栖に絡まれるのが面倒だからトドゴンを生贄にしようという魂胆だろう。
ピザに舌鼓を打ち、歓談の花が咲く。
笑い声が響くなか、ちゅるるとどこか切ない音が紛れ込んでいた。
トドゴンがブタメンを3つくらい食べたころ、「ピザばっかりで飽きてきたわ」と桃香先輩が言う。
トドゴンは桃香先輩を睨んだ。ブタメンは渡さない、という意思表示だろうか。
「こうも円盤料理が並ぶと、もっと違う料理も欲しくなるでしょ? 四角とか三角とか」
飽き方の癖が強い。形の問題なのだろうか……。
「ブタメンならありますよ」栗栖がトドゴンのために積んだブタメンを1個手に取る。
「そんなものいらないわ!」
そんなものっつっちゃったよ、この人。トドゴンの気持ちも考えろ。
桃香先輩は立ち上がるとこれ見よがしに腕まくりをした。
「私が何か有り合わせのもので作ってあげる」
顎を上げて、ドヤ顔で先輩が言った。見かけによらずポンコツな桃香先輩なだけにそこはかとなく心配である。
「桃香先輩、料理なんてできるんですか?」怒るかもしれないと思いつつも、聞かずにはいられない。
「当たり前でしょ!」ほら怒った。「料理は得意なの。任せて」
桃香先輩は一人キッチンに歩いていった。
「じゃあ私たちはスマッシュシスターズでもやりましょう! 先輩方を蹂躙してさしあげます」
栗栖が家庭用ゲーム機の電源を入れ、コントローラーを僕とトドゴンに投げて渡した。
♦︎
「………栗栖。お前弱すぎないか」トドゴンが拳を口に当て、少し言いにくそうに指摘する。
「むきィィイイ! もう一回! もう一回です! 今のは本気出してませんから! まだ3パーセントくらいしか実力だしてませんからァ!」
なら、なんでそんなに悔しがってんだよ。
栗栖の操作するキャラはなぜかトドゴンを粘着質に攻撃しようとして、返り討ちにあっていた。
僕のキャラは端っこで放置され、栗栖とトドゴンの因縁の対決を観戦しながら、ステージ内を散歩するのみである。はっきり言ってつまらん。
僕はやっぱり桃香先輩が気にかかり、コントローラーを置いて、キッチンに向かった。
キッチンには魔女がいた。
両手でシャカシャカを持って、大きなボールに入ったドロドロの液体をかき混ぜる姿は、釜で秘薬を調合する魔女そのものである。
並々に注がれたクリーム色の液体をびっちゃびっちゃと辺りにまき散らせながら一心にかき混ぜている。
覚束ない所作とは裏腹に表情は真剣そのものである。
三角巾が巻かれた美しい
無意識に自分の胸に手を当てる。
走る鼓動を押さえようとするが、目の前に彼女がいる限りそれは叶わない。まさに傾国の魔女だ。
桃香先輩はかき混ぜるのに必死で僕が来たことに気付かない。
僕は桃香先輩の後ろから彼女の手とボールとを綿に触れるように優しく握った。
「こうやるんですよ」
先輩の手を動かして丁寧にかき混ぜる。
先輩は「ぁ」と一つつぶやいてから、視線を脇に反らしながらもされるがままに動かされている。『料理が得意』という嘘がバレたためか、ほっぺが桃の果実のようにほんのり染まっていく。
スラっと姿勢の良い背中が僕と密着している。先輩の香りに当てられて頭がぼんやりしてきた。
吸い寄せられるように先輩の後頭部に頬を当てる。
(温かい……)
頭皮から上がる匂いはより濃厚で香りが強い。
だけど全く不快感はなく、いつまでも嗅いでいたい心地良い香りだった。
「しゃ、しゃぎはらくん……」
ハッと気が付いた時には先輩は両肩を上げてカチンコチンに硬直した状態で立っていた。
かき混ぜる腕はとうに止まっている。こわばった顔は熱を帯び、首から耳まで真っ赤に熟れていた。
「——すみません」咄嗟に離れてから、少し後悔する。先輩から離れた頬は先輩の温かさを知る前よりも一層ヒンヤリと冷たく感じた。
先輩も僕と同じ冷たさを感じたのか、「……ぁ」と呟く。
先輩は液体の飛び散ったキッチンテーブルをじっと見つめたまま、ぎこちない微笑みを維持していた。
多分僕も同じような表情をしているのだろう。こめかみから冷や汗が伝い落ちた。
沈黙がずっしりとキッチンの空気を支配する。
僕は気まずさを取り払うように口を開いた。
「せ、先輩。ところでコレ何作ってんですか?」
謎の液体を指さして示す。
ぼんやりとしていた先輩は『ハッ』と我に返ると、こめかみ辺りに手のひらを当てて、一昨日の晩飯でも思い出すかのように忙しなく視線を彷徨わす。
「ぇ? え、ええっと、これは、アレ、何だっけ……ぁ、お好み焼き! お好み焼きだった」
作っているものを作っている最中に忘れることってあるの……?
少なくとも『料理が得意』な人の発言ではない。
——というか、
「お好み焼きも円盤形じゃないですか……?」
「…………………………あ」
会長は心底意外そうに口を半開きに固まった。
このポンコツを落として、僕は本当に救われるのだろうか。一抹の不安が芽生える夜だった。
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