第17話 トドゴン

【side等々力元太とどろき げんた


 混濁する意識の中、俺は冷え切った手を強く握った。

 自分だけに分かる程度の小さな震え。抑えようとするほど、それは強くなる。


 何が起こった?


 俺はバスケの練習をしていたはずだ。

 いつもどおり誰も俺にパスを出さない練習試合。

 山田竜也や他の部員に嫌われているのは分かっている。

 何かにつけて練習で手を抜こうとする奴らに、文句を言う俺が疎ましいのだろう。だが、あのタトゥーの女たちはなんだ。


 全く知らない。


 会ったことも話したこともない女たちに俺は襲撃された。

 男には抵抗できない圧倒的な腕力を前にただただ暴力の嵐が過ぎ去るのを待つしかできなかった。




 体育館で手放した意識が戻ってきた時にそばにあったのは、暖色系統の明かりに照らされた温かな木造の壁と天井。

 俺はベッドに横たわっていた。

 他人のにおいがするベッド。



 体を起こし、ベッドに座ったまま壁を見つめているとノックもなしに唐突に扉が開いた。

 ビクッと体が跳ねる。


「おっ。目が覚めたか。ごんた」最近妙に絡んでくる黒髪パーマのチビ。確か鷺原とか言ったか。

「ごんたじゃねぇ。元太げんただ。てか名前で呼ぶんじゃねぇ馴れ馴れしい。」鷺原は俺の辛辣な言葉を全く気にすることなく、勝手に部屋に入ってきた。

 まぁここが奴の部屋だとしたら、勝手に入るのは当然のことなのだが。

「ここはお前の部屋か?」だとしたら、汗だくの体でベッドを使い、少し悪いことをした。

「ゴンちゃん。リビング来い。みんな待ってんぞ」鷺原は俺の質問には答えずに、代わりに俺の手首を持って引っ張る。


元太げんただっつってんだろ」


 俺は引っ張られるままにリビングに出た。

 なぜ抵抗しなかったのか。自分でもよく分からない。


「あ。等々力くん。もう大丈夫なの?」生徒会長が俺の身を案じ、

「トドくん、ちょーボコられてたもんね」ちびっこい茶髪が俺に妙なあだ名をつける。


 木製の大きなダイニングテーブルに女子2人が腰かけて待っていた。


「さぁ、トドゴン。とりあえず座れよ」

「妙なあだ名と妙なあだ名を組み合わせるんじゃねぇよ」鷺原は俺の肩を持って、椅子に座らせた。





「で」と生徒会長が目を細めてジトっと鷺原に視線を向ける。

「何があったか、説明してもらえるんでしょうね。いきなり鷺原くんが等々力くんを担いできたときは、何かと思ったよ」生徒会長が頬杖をついて、テーブルに身を乗り出した。


「簡単に言えば、トドゴンと僕が殴られて、栗栖が切れた」


 全くわけが分からない説明である。


「簡単に言い過ぎよ。なんでトドゴンくんと鷺原くんが殴られたのかを聞いているの」


 ついに生徒会長まで俺を『トドゴン』と呼び出す。こいつら本当に舐めてやがる。

 だが、なぜ襲撃を受けたかについては、俺も知りたいところだった。


「一言でいえば『冤罪』……だな」何でもないことのように鷺原が肩をすくめる。それから背もたれに深く腰掛けて足を組んだ。


「先週の水曜日——丁度僕と栗栖が白金の家に行ってた日だ——北大斜きただいしゃ駅で、一人の女子が何者かに襲われた。犯人は3人。いずれも男の声だったらしい。女子はすぐに目隠しされたから犯人を見てはいない。目的は金銭目当てだったようだが、副次的な目的としてストレス発散もあったようだ。その女子は全身に青あざを作って道端に転がされていた」


「なんで鷺原くんがそんなこと知ってんのよ」生徒会長は鷺原の発言にはいちいち懐疑的である。


「バンドウーマンな友達から聞いた。横ぱいつついたら、調べてくれるって引き受けてく——ぐぼぉ!」栗栖とかいう一年が机の下に潜り込みながら、鷺原に前蹴りを繰り出す。器用なやつだ。


 鷺原はフローリングに沈んだ。

 よろよろと椅子の背もたれを掴んで何とか這い上がりながらも鷺原は話を続ける。


「その襲われた女子がクレッシェンド現総長、虻川 朱美あぶかわ あけみの妹だったんだ」

「だーから、半グレたちがやってきたのかぁ」栗栖が話題に似つかわしくない呑気な声をあげた。


 不良集団がどう絡んでいるのかは理解した。

 おそらく俺が虻川妹襲撃の犯人だと勘違いした、ということだろう。




 ——だが、まだ分からない。

 握った手の爪が掌に食い込む。一度目を閉じて、深呼吸をした。

「なんで俺が疑われてんだ。俺は、北大斜きただいしゃ駅は普段から使わん。疑われる要素なんてないだろ」


 鷺原が首を振る。


「ところが、そんなこともない。被害者の女子は腹を殴られた際に嘔吐した。その吐しゃ物が犯人の1人の靴にかかったらしい。そして犯人はこう言ったとその子は証言している」





 鷺原は一度言葉を切って、強調するように再度ゆっくりと口を開く。






「——もうこうなったらバッシュ履いて帰るしかねぇな」





 バッシュ。

 ヤツらがバスケ部に乗り込んできた理由はそれか。




「そして犯人の制服がうちの学校のものだったことから、犯人は誠真学園の男子バスケ部に絞られたわけだ」






 たかぶった感情が氾濫し、目の前がぐわんと歪んだ気がした。

 無意識に目に力がこもり、まぶたがピクピクと引き攣る。

 男子バスケ部は全部で8人。その内、電車通学をするものは5人で北大斜駅を使う者はさらに限られる。

 今の話だけで犯人は特定できたようなものだった。


「山田…………!」


 全身が焼けるように熱く、ひどく喉が渇いた。

 首筋の筋肉がビキキとこわばる。

 許せねぇ。山田の野郎。ぶっ殺してやる。

 はらわたが煮えくり返り、眩暈すら感じるほどだった。


「あの日、私とトドゴンくんは山田竜也とその仲間2人に校門で会ってるけど、確かに北大斜駅前のゲームセンターに行くって言ってたわ」


 どうせ遊ぶ金欲しさにその辺にいた女を襲ったに決まっている。


「だけどなんで、トドゴン先輩だけ疑われているんですか? 今の話を聞く限りでは、男子バスケ部全員が容疑者みたいなものじゃないですか」と栗栖が言う。


「アイツらが口裏を合わせて俺をはめたに決まってる!」反射的に語調が強まる。

 しかし、俺の怒鳴り声に怯えるものは誰一人いなかった。ある者は同情の目を、ある者は冷やかしの目を、ある者は無関心の目をそれぞれ俺に向ける。

 その事実で、何故か少し頭が冷えた。

 今まで俺が関わった女は怒鳴れば皆縮み上がり、言いなりになる。そんなやつばかりだった。


「当たらずとも遠からず。山田竜也はクレッシェンドの副総長と男女の仲にある。つまり、山田とその一味は初めから容疑者候補にない」

「男女の仲にあるから容疑者にならないって、どういう理屈よ」

「奴らに理屈なんて知的な概念はない。単に、仲間か否か。それだけの判断基準で動いてんだよ。野犬みたいなもんだ」

「ひどい言いようですね先輩」


 何故、コイツらは物騒な話題を和気あいあいと話す……。

 いつの間にか俺の大半を占めていた憎悪は、すっかり姿を消していた。

 そして彼らをじっと見つめている自分に気が付く。

 何故か胸がキュッと締め付けられた。


「さてトドゴン」鷺原が不意に俺に話を振る。

「お、おう」少し身を乗り出して応じた。







「お前、もうここに住め」説明も面倒くさいとばかりに、鷺原はいきなり結論を述べる。


「え、はぁ?!」肯定も否定もできず、あいまいな吐息が漏れる。

 説明を放棄した鷺原に代わり、生徒会長が「そうね」と引き継いだ。


「半グレ集団にトドゴンくんが犯人だと思われてるんなら、家に帰るのは危険だよ。学校もしばらく休みなさい。月曜日に私から先生に言っておいてあげるから」俺の了解も得ることなく、生徒会長は勝手に話を進める。


「トドゴン先輩よろしくねー」

「トドゴン、掛け布団一枚やるから、僕の部屋からは出ていけよ」


 3人がそれぞれ俺に顔を向ける。

 3種3様の表情と言葉。

 だが、その温かさは三人に共通していた。


「お、俺はトドゴンじゃねぇ!」


 ばつの悪さに席を立ちあがり、これから長いこと俺の自室になるだろう部屋の扉を、感情をごまかすように乱暴に開けた。





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