第5話 打算

【side栗栖くりすくるみ】


 彼氏が欲しい。


 私の行動原理はその1点につきる。

 男なら誰でも良いわけではない。

 華奢で、か弱くて、庇護欲をそそるような可愛い男子が良い。

 できれば優しくて、私の求める性的欲求や性癖を全て受け止めてくれる男子が良い。


 でも、現実はそう甘くはないんだよね。分かっている。

 これまでの15年で嫌という程、思い知らされてきた。


 私の容姿は悪くない。

 というか、自分でも可愛いと自負している。

 にもかかわらず、である。

 彼氏ができたことが一度もないのだ。

 男子は漏れなく女子に冷たく、攻撃的であり、拒絶的であり、あざけりの対象である。

 女子には辛辣に当たって当たり前。

 そうしない男子は男子にあらず。

 そんな風潮が蔓延していることも、ほとんどの女子に彼氏ができない理由の一つだろう。




「失礼しまァーす」




 テキトーにノックしてから返事も聞かず昼休みの職員室にズカズカと入り込む。

 インスタントコーヒーの香りとオバさん教師の香水の臭いが混じった不快な臭いが鼻をつく。

 窓際のデスクで生活指導の若い教師に2人の女子生徒が呼び出され、説教を食らっていた。

 若い教師ほど、説教がくどくて長い。

『心を鬼にして指導する私』に酔いしれているのだろう。

 そして反対にベテランの教師ほど権力に弱い。


 私はお目当ての寮担当のおばさん先生に目を向けた。

 とっとと用事を済ませよう。

 記入した申込用紙を手に寮担当教師のもとに歩いていく。

 本当は生徒会に提出するものだが、頭の固い生徒会よりもこの教師の方が御し易い。


「先生。これお願いします」


 その教師は申し込み用紙を受け取ると、やる気のなさそうな声で返答した。


「ああ。『仲良し寮』の寮生の応募ね。でもこれ応募締め切りが昨日までだからねぇ」


 そう言って教師が申し込み用紙を私に突き返す。


「違います。昨日、私は先生に出そうとしたんです。でも、先生が見当たらなくて出せなかったんですよォ。どこに行ってたんですかァ、もォ」


 嘘である。

 だが、昨日この教師が部活動で忙しく職員室にいなかったことは知っていた。しかも、生徒会は昨日は活動していないことも把握済みだ。



「あー…………昨日は吹奏楽部の練習だったからねぇ。確かにここにはいなかったかもね」

「でしょう? でもこの申し込み用紙は昨日には既に書きあがっていたんですよ? ほら日付も昨日付けでしょう?」


 嘘である。今日の朝、急遽書いたものだ。


「いや、でも期限は――」


「――へぇ〜そうやって校内を逃げ回って気に入らない生徒の申請を受け取り拒否するんですかァ。一部の生徒が採用されるようにえこひいきするんですかァ。へぇ〜」


 ベテラン教師のまぶたがピクっと動く。


「それならしょうがないですね。帰ってお母様と若者のより良い未来について話し合うとします」

「ちょっと待ちなさい……」


 よし。釣れた。


「分かった。確かに私がウロチョロしてたのにも原因はある。翌日の提出ではあるし、特別に受け付けましょう」


「え。いいんですか?! わーい! やったァ! 先生大好き」


 言うだけ言って、返答も待たずにスキップで職員室を退室した。

 ふふふ、これで私も特別寮の寮生になれる。

 表向きは成績や素行を審査して決めることになっているが、審査するのは学校ではなく教育委員会だ。

 教育委員会のトップ、教育長は母様と親交が深く、ぶっちゃければがっつり癒着している。

 必ず私を採用してくれることだろう。




 購買に向かって歩いていると、離れたところにある別棟のトイレから出てくる真先輩を発見した。

これはあれだ。るろ剣の斎藤一が言ってたアレ。

真・即・抱まこと そく だく』だ。

 真先輩目掛けて突撃した。


「だ〜れだっ❤︎」


 後ろから真先輩の首に腕を巻きつけ、抱きついた。

 さりげなく耳の裏の匂いを嗅ぐ。やばい興奮する❤︎

 まだ出会って間もないのに、こんなセクハラを許してくれる真先輩は神である。

 スーハーしてたら、濡れた手が私の顔を掴んだ。そしてそのまま、水滴を顔をなすりつけられた。

 堪らず真先輩から2、3歩離れる。


「ちょ?! やめ、やめてくださいィ!」

「いや、今日ハンカチ忘れてさァ」真先輩は全く悪びれずにはにかむ。いや、おかしいですからね? はにかむタイミングじゃないですからね?

「だからって私で拭かないでくれます?!」


 ハンカチをブレザーのポケットから取り出して、真先輩に渡す。

 真先輩は無言で受け取って残った水滴を拭った。


「これポケモンの最新のやつ? なんだっけ? ポケットモンスター ボンド・シザーだっけ?」真先輩が私のハンカチを広げて興味津々の顔で眺めている。可愛い。

「はい。そうですよォ。そのハンカチの絵はシザーバージョンの伝説のポケモンですね」

「シザーかァ。僕のは一個前のテープ・ホッチキスのやつなんだよねェ」そう言って真先輩はポケットからポケットモンスター ホッチキスバージョンのハンカチを取り出し、見せびらかす。

「あー、そのポケモンも可愛いですよね〜……って、ォオイ! ハンカチ持ってるんかいィ!」


 真先輩は私の渾身のツッコミを全く聞いていない。


「あ〜、このハンカチ良い匂い……」真先輩は私のハンカチを顔に押し当てていた。

「ちょォァァアア?! やめてください! マジで! マジでやめて?!」


 なんとか先輩に嗅ぐのをやめさせることには成功したが、先輩はまだ私のハンカチを握りしめている。そして、なんかホッコリした顔をしている。

 先輩は女の臭さをまだ知らない……だと?!

 なんと恐ろしいピュアボーイなのか。

 約87%の女子が、男子にすれ違っただけで「くさっ」とか言われた経験があるというのに。私調べである。



 この先輩。

 鷺原 真先輩は私のおかげで一命を取り留め、九死に一生を得た男子だ。

 私がたまたま通りがかって、倒れている真先輩を発見しなければ死んでいたかもしれないのだ。


 だから私は考えた。















 『命の恩人なら告っても断られなくない?』










 分かっている。

 分かっていますとも。

 最低だと、打算的だと、そう言いたいのであろう。

 貸しがあるのを良いことに何をやっているのか、と。


 でも私は自分の気持ちに正直でいたい。

 もう仮面を被った自分に戻りたくない。

 あるがままに、恋を楽しみたい。

 私は真先輩がやっぱり好き。

 真先輩を得るためなら何を差し出しても惜しくない。



「じゃ、僕教室戻るわ」


 そそくさと立ち去ろうとする先輩の後ろ襟をがっしり掴んで引き止めた。


「先輩。ハンカチ。返してください」


 何を差し出しても惜しくはないが、ハンカチは絶対に渡さない。これ以上、臭いを嗅がれては困る。

 天使の微笑みを意識して優しくふんわりと勧告した。

 先輩はため息をつきながら力無く首を振り、諦めてハンカチを差し出す。

 しょんぼりした真先輩も可愛い……❤︎



 ハンカチを受け取りながら、私はギュッと唇を結び、改めて決意した。


















 絶対に……絶対に真先輩を落としてみせる!








 今の私は輝いているはずだ。

 恋する乙女は美しい、という。

 さぁ、真先輩。存分にこの恋する乙女の顔を見よ!



「栗栖さん、顔怖いよ……?」そう言った真先輩の顔は若干引き攣っていた。







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